モンキーラップなど個性的過ぎる内容で記憶に残る「ドンキーコング64」の20周年を祝って開発者が誕生秘話を語る
by Rob DiCaterino
1999年12月10日に発売されたNINTENDO64向けのアクションゲーム「ドンキーコング64」は、スーパーファミコンのスーパードンキーコングシリーズと同じくイギリスの大手ゲーム開発会社のレアが開発を担当したタイトルです。発売から20年が経過したドンキーコング64について、当時開発に携わったジョージ・アンドレアス氏、グラント・カーコープ氏、マーク・スティーブンソン氏、クリス・サザーランド氏という4人の開発者が海外ゲームメディアのGamesRadar+上で当時を振り返っています。
As Donkey Kong 64 turns 20, the devs reflect on its design, the infamous DK Rap, and how a shocked Shigeru Miyamoto created the Coconut Shooter | GamesRadar+
https://www.gamesradar.com/uk/making-of-donkey-kong-64/
ゲーム業界では過去のゲームを後に評価するようなことが多くあります。ドンキーコング64は20年前に発売されたゲームですが、2019年になってもいまだに多くの人々が同ゲームを分析しています。ドンキーコング64はレアが開発した3DCGアクションゲームですが、海外ではNINTENDO64凋落の原因となったゲームと言われることもあるとのこと。そのため、開発に携わったエンジニアたちの間では「もしもこうしていたら」という考えが、20年間にわたって常に頭のどこかに残り続けていたそうです。
ドンキーコング64でクリエイティブ・ディレクターを務めたアンドレアス氏は、「私はもっと違ったアプローチを取ることがままあります。(今なら)我々はゲーム内のあらゆる要素を縮小し、よりシャープにみせ、より少ないものに焦点が当たるように変更するでしょう。例えばバナナシステム(バナナ・バナナメダル・バナナコインなど)を統合すれば、プレイヤーがゲームをプレイしやすくなることは明らかです。また、定期的にキャラクター交換を促進するでしょう。複数の色のバナナが存在するというだけでなく、収集するのはひとつに統一されたバナナであるというだけで、はるかに複雑さは改善されるはずです」と、後から考えてみればシステムをこんな風に変更すればよかったと回顧しています。
by Caroline Léna Becker
ドンキーコング64の中では重要アイテムの「ゴールデンバナナ」が201本登場し、これを集めることでゲームを進めていくことができます。ゴールデンバナナだけだとそれほど多い数ではありませんが、その他のアイテムも含めると、なんと合計で3821個ものアイテムを収集することが可能となっており、これは記事作成時点でも「世界記録のまま」とGamesRadar+は記しています。
なぜこれほど多くのアイテムが収録されていたのかについて、アンドレアス氏はドンキーコング64と同じくレアが開発したゲームの「バンジョーとカズーイの大冒険」が成功を収めたため、レアの共同設立者であるティム・スタンパー氏が同ゲームとドンキーコング64を差別化するために「収集するものがたくさんあるか確認してください」と、開発チームに語った影響だと述べています。
さらに、開発チームはバンジョーとカズーイの大冒険との差別化のために、プレイ可能なキャラクターを複数用意したそうです。スーパードンキーコングはドンキーコングとディディーコングによる協力プレイで人気を博しましたが、バンジョーとカズーイの大冒険も同じようにバンジョーとカズーイという2体のキャラクターが存在したため、ドンキーコング64ではさらに多くのキャラクターが用意されることになったとのこと。また、アンドレアス氏は「トロッコに乗ったりスライドしたりすることで、バンジョーとカズーイの大冒険のゆったりとしたテンポのアクションよりも爽快感が得られるようにしました」とも語っています。
ドンキーコング64でプレイ可能なキャラクターはドンキーコング・ディディーコング・ランキーコング・タイニーコング・チャンキーコングの5体。一部のプレイヤーは「やり過ぎ」と感じるかもしれませんが、ディディーコングにはジェットパックを用意し、チャンキーコングは鈍足パワータイプにするなどの細かな調整を加えることで、各キャラクターをユニークに仕上げることに成功しています。
アンドレアス氏は「新しいキャラクターに、さらに(他のキャラクターではできない)発見要素を追加することで、キャラクターとしての新鮮さと、ゲームにおける新しい発見を見つけるための要素という2つを追加しました。希望としては、1体のキャラクターでエリアを横断して、他のキャラクターでは見られなかった要素を楽しむということでした。『ああ、チャンキーコングがここにいたらどうなるんだろう?』といった具合に、プレイヤーが異なるキャラクターで同じステージを遊ぶことを期待したわけです」と語りました。
by Ryan Quintal
バンジョーとカズーイの大冒険と差別化するために必要だった要素は他にもあります。具体的に差別化が必要だったのはゲームの「サウンドトラック」で、ここから「モンキーラップ」が誕生したことも明らかになっています。
カーコープ氏によると、当時のレアではドンキーコング64・バンジョーとカズーイの大冒険・パーフェクトダークという3つのタイトルが同時に開発されていたそうです。そのため、頭の中でバンジョーとカズーイの大冒険とドンキーコング64を明確に分ける必要があったとのこと。カーコープ氏は「ドンキーコング64が暗いゲームだと考えていました。(スーパードンキーコングシリーズでサウンドトラックを担当した)デイブ・ワイズ氏の作る曲にはムーディーなパートもあったため、そういった雰囲気をゲームにも反映させる必要があると考えていました」と語っています。
ワイズ氏のサウンドトラックを元に、カーコープ氏はドンキーコング64用のサウンドトラックをゼロから作り上げることに決めたそうです。なお、NINTENDO64のメモリ(RAM)が当時としては大容量な4MBだったことが、サウンドトラックの制作方法にも影響を及ぼしたとカーコープ氏は明かしています。
カーコープ氏は「MIDIを介してCubaseを実行しているPCを開発キットとつなぐことができたので、作曲時に実際にサウンドを再生することができました。そのため、完全な品質で曲を作成しており、音声データを圧縮して取り込むことはしていません。我々はマシン上の楽器を使ってサウンドトラックを演奏したわけです」と、サウンドトラックの作成秘話を明かしました。
by JD Hancock
さらに、海外では評判の悪い「モンキーラップ」の誕生秘話についても語られています。
モンキーラップはアンドレアス氏とカーコープ氏、そしてプログラマーのサザーランド氏が昼食時に話していたジョークから誕生した楽曲だそうです。カーコープ氏は「(モンキーラップについて)誰もが冗談を言うだろうと思っていたのに、誰もそんなことは言いませんでした。自分の音楽についてこれだけネガティブなことを書かれたのは初めての経験でした。それまでの私は幸運だったとも言えます。ほとんどの人が私の手がけた楽曲を気に入ってくれたため、モンキーラップもジョークになるはずでした」と、予想外に多くの批判を集めることとなったモンキーラップについて回顧しています。
多くの批判を集めたモンキーラップですが、同時にインターネット・ミームへと進化し、世界中のDJによりリミックスされ、スマッシュプラザーズシリーズのドンキーコングシリーズをテーマとしたステージのサウンドにも使用されています。
サザーランド氏は「当時、多くの人がドンキーコング64をプレイしてモンキーラップを聴き、『ひどい曲だ』と思ったはずです。しかし、実際にゲームをプレイした多くのプレイヤーが子どもであったため、モンキーラップは楽しい歌以外の何ものでもなかったはずです。その子どもたちが成長し、ラップの意味を理解したことでその評価が変わったのです」と、モンキーラップが世間から批判されるようになった経緯を推測しています。
なお、カーコープ氏は「モンキーラップを作って良かった。人々が何年もの間この楽曲を話題にしてくれていることは喜ばしいことです。私がモンキーラップを作った際にはまだ生まれていなかったにもかかわらず、17歳の息子の友達は全員この曲を知っています。それは信じられないことです」と語りました。
なお、ドンキーコング64のモンキーラップは以下から聴くことができます。
Donkey Kong 64 (N64) - DK Rap Introduction - YouTube
スーパードンキーコングシリーズの2Dグラフィックは非常に多くの賞賛を集めました。しかし、2Dの横スクロールから3Dアクションへの進化はレアにとっても大きな課題だったそうです。当時、スーパードンキーコング3の続編タイトルは、クラッシュ・バンディクーシリーズのような2.5次元的アプローチで開発が進められていたそうですが、さまざまな問題から18カ月で中止されることとなりました。
当時を振り返りながら、リードデザイナーを務めたスティーブンソン氏は「3Dへの移行は、当時の3D技術がまだ初期段階であったため、全く異なるものへのチャレンジとなりました。アートの観点から、スーパードンキーコングシリーズの視覚的要素に匹敵するモノは作れませんでした。3Dグラフィックスを作成することは信じられない程の挑戦で、3Dモデルを操作可能なものとするのは並大抵のことではありませんでした」と、苦労について語っています。
さらに、「私はスーパードンキーコングシリーズの開発に携わったデザイナーとして、2Dのイラストからキャラクターの立体を起こし、動きをつけるという作業を課されました。3Dモデルの場合、キャラクターを360度あらゆる角度から見ることができるわけですが、ゲーム上は素晴らしい見た目だったかもしれませんが、見えない角度ではとてもひどい見た目になっていました!」と、2Dのイラストから3Dモデルを作成することの難しさも明かしています。
by - EMR -
さらに、アンドレアス氏はドンキーコングシリーズの生みの親である宮本茂氏とのエピソードも語っています。
ドンキーコング64を開発していた際、イギリスのレア本社に宮本氏と当時HAL研究所で働いていた岩田聡氏、そして当時の任天堂アメリカのハワード・リンカーン会長が開発現場を訪れたことがあるそうです。当時を回想しながら、アンドレアス氏は「ゲームのスイッチを入れ、オープニングのモンキーラップを見たあと、ドンキーコングをゲームの中で走り回らせました。宮本さんはバナナを集める様子を見て、微笑んでいました。そして、私はボタンを押してショットガンを引き抜きました。それは宮本さんの期待するようなテクスチャーの武器ではなく、弾丸が飛び出し、恐ろしいサウンドエフェクトが鳴り響くリアルなショットガンでした。ショットガンは仮の武器として入れておいたものだったのですが、開発中に慣れてしまい、新しくデザインすることを完全に忘れてしまっていました。そのままショットガンをぶっ放したところ、宮本さんの顔に恐ろしい表情が浮かんだのを私は見ました!それから、宮本さんは微笑みながら紙と鉛筆で、ココナッツ・キャノンのイラストを描いて私に渡しました」と語りました。
宮本氏が衝撃を受けた「ショットガン」は、ドンキーコング64の予告映像の中で確認できます。
Donkey Kong 64 [HC Nº99] + Trailer Super Smash Bros - YouTube
その他、アンドレアス氏はドンキーコング64が発売されたあとに、パートナーとニューヨークに旅行に行った際のことを、「おもちゃ屋さんのひとつへ行き、エレベーターで地下に降りました。そこにはあらゆるビデオゲームが保管されていたのですが、なんとそこではモンキーラップが流れていました。モンキーラップが鳴り響くモニターの前には100人ほどの子どもやその親が集まっており、子どもたちの歌を家族が拍手しながら聴いていました。モンキーラップが家族に喜びをもたらしたことを目の当たりにしたので、それ以降に聞こえるようになった批判は特に気にしていません」と語っています。
・関連記事
プレステやNINTENDO64などの90年代を代表するゲーム機で最も売れたゲームトップ10 - GIGAZINE
どうやってマリオがデザインされたのかを任天堂の宮本茂が語る - GIGAZINE
NINTENDO64の伝説的名作「ゴールデンアイ 007」幻のリマスター版について新たにムービーや画像がリークされる - GIGAZINE
プレイ時間3時間超え・初代「ドンキーコング」で120万点超えという驚愕のハイスコアが樹立される、プレイヤーは引退を表明 - GIGAZINE
任天堂の名機「スーパーファミコン」ではどのようにして音楽が作られていたのか? - GIGAZINE
・関連コンテンツ