メモ

ヨーロッパとロシアを結ぶガスのパイプラインの歴史

by rustyruth1959

欧州連合(EU)にとって、ロシアはEU圏と接する最大の国であり、ソビエト連邦時代から東ヨーロッパや中央アジアに大きな影響力を及ぼす微妙な存在です。しかし「天然ガス」という視点で見ると、ロシアは供給の40%を支える大事な存在であり、50年以上にわたり安定した関係が続いているとのこと。政治学者テイン・グスタフソン氏の著作で2020年1月に発売予定の「The Bridge: Natural Gas in a Redivided Europe」をもとに、国際政治学者のアンドリュー・モラフチーク氏がヨーロッパとロシアのガスにまつわる情報をまとめています。

Power of connection: why the Russia–Europe gas trade is strangely untouched by politics
https://www.nature.com/articles/d41586-019-03694-y


第二次世界大戦後、ヨーロッパが復興していく中で、ガスの需要は大きく膨らみました。当時、ヨーロッパではガスのパイプラインはイタリアやオランダで小規模なものが実用化されているにとどまっていて、遠方からのガス供給にはまだ難がありました。

そんな中、ガス田の開発が進んでどこかに売りたいと考えていたソ連と、ガスを買いたいと考えるヨーロッパの利害が一致。機器や技術の進歩もあって、1960年代にシベリアとヨーロッパを結ぶパイプラインの建設計画が立ち上がり、1968年にオーストリアに初めてのガスが送られました。なお、パイプラインが始動したのは、ちょうどチェコスロバキアで起きた共産党の改革運動を、共産党の元締であるソ連がワルシャワ条約機構軍を率いて踏みにじった「プラハの春」の直後でした。

1970年代から80年代にかけて、ガスは石炭や石油よりも安く、環境にも優しいということで、消費量がさらに増大していきます。ノルウェーやイギリスも北海のガス田からヨーロッパにガスを供給しましたが、ソ連は広大なガス田の豊かな埋蔵量を背景に低コストでガスを供給したため、当時の消費量の半分を支えるようになりました。特に、ソ連産ガスへの依存はドイツやイタリアで顕著だったとのこと。

by Alistair Hamilton

1981年、ポーランドで活発に活動していた労働組合「連帯」が政府により非合法化され、戒厳令が発されます。ソ連がポーランド政府の動きを支持したことで、アメリカのレーガン大統領はパイプライン技術の輸出に対して制裁を科しました。これはアメリカがソ連との間でほとんどエネルギー貿易をしていなかったためにできたことで、こうした政治的な混乱のさなかも、ソ連はガス輸送に不可欠なコンプレッサーとパイプ技術の開発を続け、ソ連では開発できない技術はヨーロッパから輸出されていたそうです。

ヨーロッパとソ連とをつなぐガスのパイプラインは、1991年の「ソビエト連邦崩壊」を経てガス工業省が国有企業ガスプロムに姿を変えても、そのまま安定して運用され続けています。

パイプラインは主にウクライナ・ポーランド経由のものと、「ノルドストリーム1」と呼ばれるバルト海を経由してドイツへ至るものがあります。ロシアはウクライナとの間にガス紛争を抱えているほか、ポーランドとの関係もよくはなく、ウクライナ・ポーランドを経由しないパイプライン「ノルドストリーム2」の計画を進めていますが、ガスのロシア依存を脱したいEUの方針には反するもので、ドイツをはじめとした諸国は難しい舵取りを迫られています。

グスタフソン氏は、ロシアのガスはEUにおいて再生可能エネルギーの主要なエネルギー源になり続けるという見方を示し、次の数十年を「ガスの黄金時代」と表現しています。

この記事のタイトルとURLをコピーする

・関連記事
ロシアの永久凍土地帯で地表にできた7000個の「メタンの泡」が爆発する可能性 - GIGAZINE

「温室効果ガス削減は予定よりも遅れている」と国連機関が報告 - GIGAZINE

35年間ずっと燃え続けている地獄へ通じるクレーター「The Door to Hell」 - GIGAZINE

全長488メートルの世界最大の船が建造中、エッフェル塔まで運べる大きさ - GIGAZINE

世界で初めて化石燃料への公共投資をすべて引き揚げる法律がアイルランドで誕生する見込み - GIGAZINE

in メモ, Posted by logc_nt

You can read the machine translated English article here.