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ピザハットとソ連最後の最高指導者ゴルバチョフとの間にある奇妙なつながりとは?


ソビエト連邦最後の最高指導者であり、ロシア連邦の政治家としても活躍したミハイル・ゴルバチョフと、アメリカ発のピザチェーンであるピザハットとの間には奇妙なつながりが存在します。

Gorbachev's Pizza Hut Ad Is His Most Bizarre Legacy
https://foreignpolicy.com/2019/11/28/mikhail-gorbachev-pizza-hut-ad-thanksgiving-miracle/

最後のソ連共産党書記長としてソ連崩壊を体験したゴルバチョフは、ソ連崩壊後のロシア連邦でも政治家として活動することを目指していました。そんなゴルバチョフは、ソ連崩壊後になぜかピザハットのTVCMに出演しています。

ゴルバチョフがピザハットのTVCMに出演し、ピザハットの広告塔に就任したことは後々に至るまで長らくインターネット上でネタにされており、度々「史上最も奇妙な有名人のTVCM」などとして取り上げられ続けています。

ゴルバチョフが出演するピザハットのTVCMが以下のムービーです。

Pizza Hut Gorbachev TV Spot Commercial :60 International version - YouTube


ロシア連邦で初代大統領を務めたボリス・エリツィンは、ゴルバチョフを強制的に辞任に追い込むことで、ソ連崩壊を引き起こした人物です。ゴルバチョフは自身の伝記の中で、エリツィンに対する憎しみを赤裸々に語っています。

ソ連崩壊直後、エリツィンとゴルバチョフは直接的な衝突を避けていましたが、ロシア連邦設立から数カ月が経過したのちに、ゴルバチョフはエリツィンを公の場で批判するようになります。その報復として、当時ロシアの初代大統領となっていたエリツィンは、ゴルバチョフが設立した国際社会経済・政治研究基金の「ゴルバチョフ基金」が共産党の資金を不正に利用している疑いがあるとして、当局による監査を命じました。その後、規制当局はゴルバチョフ基金の資金源を体系的に分解し、財団に対する嫌がらせとして抗議活動まで行ったそうです。


その後、ゴルバチョフは1996年のロシア大統領選挙に出馬しますが、エリツィンが53.8%という過半数以上の票を集め当選します。なお、この時のゴルバチョフの得票率はわずは0.5%でした。

エリツィンによる長年の妨害により、ゴルバチョフ基金の財政はボロボロになっていました。大統領選以降もゴルバチョフが政治活動を続けるには、自身の資産を用いてゴルバチョフ基金のスタッフを支える必要がありました。ゴルバチョフはフランスのニュース専門チャンネルであるFrance 24インタビューの中で、当時のことを振り返りながら「私は組織を維持する必要がありました。労働者が去り始めたため、彼らに賃金を支払う必要があったのです」と語っています。

by Jp Valery

一方で、ゴルバチョフが取った開放政策により、ソ連崩壊直前にはソビエト連邦内にアメリカ企業が進出していました。当時ペプシコ傘下であったピザハットは、ペプシコとソビエト連邦の取引の一環として、赤の広場近くでの出店が許可されます。

ソ連とペプシコの関係については以下の記事にまとめられています。

ペプシコーラが「最初の資本主義製品」としてソ連市場に切り込んでいった知られざる歴史とは? - GIGAZINE


また、1997年当時、ピザハットは国際部門における新しい広告塔を探していました。当時ピザハットの広報責任者として働いていたスコット・ヘルビングは、インタビューの中で「世界中のあらゆる国で行われる真のグローバルキャンペーンのために、ピザハットは新しいアイデアを必要としていました」と当時を振り返りながら語っています。

その時にピザハットの新しい広告塔に抜擢されたのがゴルバチョフでした。当時、ロシアで撮影が予定されていたピザハットのTVCMを担当していた若いコピーライターのトム・ダービーシャーと、アートディレクターを務めたテッド・シェーンが、「ゴルバチョフが喜んで何かをすると聞いたことがある」と思いついたことが、ゴルバチョフによるピザハットのTVCMが誕生するきっかけとなったそうです。

このTVCMは旧ソ連の最高指導者であり、世界の政治をリードしてきたゴルバチョフがロシア国内よりも国外で圧倒的な人気を得ていることを示すことにつながります。実際、1991年10月にウォールストリートジャーナルとNBC Newsが合同で行った調査によると、アメリカ人の54%がソ連の最高指導者にゴルバチョフを推していたというデータが残っています。ソ連崩壊後も西側諸国からのゴルバチョフへの圧倒的支持は続いており、政治学者のアンドリュー・クーパーは「ロシアでの不人気っぷりとは対照的に、ゴルバチョフは先見の明のある政治家として海外ではスーパースターとして扱われていました」と語っています。

ピザハットはゴルバチョフとの仲介をWork Well Winの最高マーケティング責任者であるカティ・オニール・ビストリアンに任せることとなりました。その後、ビストリアンがタレントマネジメント会社のIMG経由でゴルバチョフと交渉することとなります。交渉には数カ月かかったそうで、その理由のひとつとしてゴルバチョフの妻であるライーサ・マクシーモヴナ・ゴルバチョワの存在があったことが明らかになっています。


当時のゴルバチョフのロシア国内での評判は決して高いものではありませんでした。ソ連崩壊後には世間から「裏切者」と揶揄されることもあったため、ゴルバチョフ夫人はピザハットの広告塔に就任することは、ロシア国内での評判をさらに悪化させることにつながるのではと危惧したわけです。しかし、ゴルバチョフが政治活動を続けるためには莫大な資金が必要で、その資金を提供できるのはロシア国外の企業しかなかったため、最終的にTVCMへの出演が決まります。ゴルバチョフがピザハットの広告塔となったことでどれだけの出演料を得ることになったのかは明らかになっていませんが、海外メディアのForeign Policyは「史上最大の出演料の1つである可能性がある」と記しています。

その後、ゴルバチョフは条件付きでピザハットの広告塔に就任することに同意しました。条件というのは、1つ目が「TVCMの脚本に対する最終的な決定権を得ること」、2つ目が「TVCMの中でピザを食べないこと」でした。ピザハットはゴルバチョフの条件をのんだものの、ヘルビングは「我々は常に広告の主人公にピザを食べてほしいと考えていました」とゴルバチョフの条件を惜しむ言葉を残しています。しかし、ゴルバチョフは「ソ連の元指導者としてピザを食べることはできない」と断固としてピザを食べることは認めなかったそうです。

そこで、ビストリアンは妥協案としてゴルバチョフの孫娘であるアナスタシアをTVCMに出演させ、代わりにピザを食べてもらうことを提案。この妥協案をゴルバチョフが認めたことで、前述のTVCMが誕生することとなります。


撮影は1997年11月に行われました。TVCMの脚本は英語で書かれたものを3人の翻訳者を経てロシア語に翻訳されたそうです。なお、TVCMの中で登場するピザハットの外観は、実際は宝石店のもので、本物のピザハットの店舗が使用されているわけではない模様。ただし、室内での撮影時には本物のピザハットが利用されています。また、TVCMの中にゴルバチョフがピザを食べるシーンは存在しませんが、撮影現場で振舞われたピザはしっかりと食べてくれたそうです。

なお、撮影中にヘルビングはゴルバチョフ本人になぜピザハットのTVCMに出演してくれたのかを尋ねたそうで、その際には「ピザはみんなのもの」「ただの消耗品というわけではなく、社交的な食べ物だ」と語ったそうです。


ゴルバチョフが出演したTVCMの制作に携わった人々は、世界のリーダーと共に仕事をする機会を得て、そしてピザハットに世界中の注目を集めるというミッションを成功させます。さらに、TVCMは関係者のポートフォリオとしてのちのキャリアを彩ることにもつながっています。

しかし、TVCM以降のゴルバチョフに輝かしい未来が待っていたとは言い難いところ。TVCMへの出演はゴルバチョフ基金に一時的な資金を提供することにつながりますが、それでも1年後の1998年には資金が底をついたとゴルバチョフがメディアで語っています。また、ロシアでは国内の非営利団体が海外からの資金援助を受ける際の流れを厳格化するための法律が施行されたため、記事作成時点ではゴルバチョフ基金は再び厳しい財政状況に陥っています。他にも、既にゴルバチョフの家族がドイツに移ったという報道もあります。

2017年に行われた世論調査によると、ゴルバチョフに敬意を示すロシア人の割合はわずか1%で、30%がゴルバチョフを「嫌っている」と公言し、13%は「憎悪している」と回答したそうです。加えて、2018年に行われた世論調査では、ロシア人の66%が「ソ連崩壊を後悔している」と回答しており、ロシア国内でのゴルバチョフの不人気っぷりに変化をもたらすことはできなかったようです。

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in 試食, Posted by logu_ii

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