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共産主義時代のルーマニア国民に唯一のエンターテインメントを届け続けた女性とは?


北朝鮮では決して生放送は行われないと言われています。これは予期せぬ政権批判などを予防するためとのこと。このような言論統制は旧共産主義国家では当然のように行われていたものであり、1980年代のルーマニアもその例外ではありません。しかし、ルーマニアでは、厳しい政権の監視をくぐり抜けて、身の危険を顧みずに国民に唯一とも言える「娯楽」を提供するために命がけで行動を起こした女性がいました。

‘VHS vs. Communism’ - NYTimes.com
http://www.nytimes.com/2014/02/18/opinion/vhs-vs-communism.html

1980年代のルーマニアは、ニコラエ・チャウシェスク大統領による独裁制の下、テレビ放送は1日2時間に制限され、番組も政権のプロパガンダが垂れ流される有様で、娯楽のほとんどない生活を強いられていました。

しかし、1980年代中盤頃からVHSテープでアメリカのハリウッド映画に代表される西側諸国の映像が政権の目を逃れるように国内に持ち込まれると、娯楽に飢えていた人々は強烈に心を奪われ、そのビデオテープを持ち回りで貸し合い、夜な夜な映画が上映されたそうです。

もちろんソ連を筆頭に形成された共産主義陣営では西側諸国の娯楽ムービーなど御法度であるため、秘密警察の目を盗むように上映会はひっそり行われたとのこと。秘密の上映会で映し出された西側諸国の光景を羨望のまなざしで見つめるルーマニア国民でしたが、それらの映画はすべて同じ女性によって吹き替えがされていました。

ルーマニア国民に、最高のエンターテインメントを提供してくれた謎の女性イリーナ・マルガリータ・ニスターさんの正体が30年近い時を経て以下のドキュメンタリームービーで明らかにされています。


「父親の同僚がビデオプレイヤーを持っていたから、みんなでその人の家に集まって毎夜ビデオを見たわ」と話す女性。当時、彼女はまだ少女でしたが、シークレット試写会にワクワクしたとのこと。


上映された映画は、ハリウッド映画など西側諸国の作品ばかり。


当時8歳か9歳だったという男性二人は、「さあ、映画ナイトだぜ」と誰かが呼びかける声を今でもよく覚えているとのこと。


「共産主義でないものは全部違法だったんだ」と話す男性。共産主義ではない世界に衝撃を受けたそうです。


ジャン・クロード・ヴァンダムシルヴェスター・スタローンなどのアクションムービーは爆破シーンが満載。


「これらの映画ビデオがどこから来たのか、誰が作ったのか知らなかったよ」と男性。


「当時は、誰がこのビデオを作ったのかなんて気にも留めなかった。けれど、次第に映画にいつも出てくる『声』を不思議に思うようになったんだ」


「映画を吹き替えている女性の声はルーマニアで最もよく知られた声なのです」


「その声の主がどんな姿をしているのかものすごく知りたかったよ」


「その女性に身体があるとは思わなかった。彼女はまさに『声』なんだよ」……多くの人が証言するように、ビデオテープに吹き込まれたニスターさんの音声は、人々に大きな印象を与えたようです。


ニスターさんは、1983年から国営放送局に勤め出しました。仕事の中には、検閲委員会依頼のフィルム翻訳も含まれていたとのこと。


当時、西側諸国の豊かな暮らしは、決してルーマニア国内で放映されることはなかったそうです。


1985年11月5日。テレビ局で働く同僚から「新しく入手した映画フィルムの翻訳者を探している人がいるので会ってくれないか?」とニスターさんは持ちかけられました。引き合わされた人物はVHSテープを持っていました。


VHSテープに録画されていたのは西洋諸国の映画。このときから、ひそかにルーマニア国内に持ち込まれた西側諸国の映画を翻訳して吹き替えを行うというニスターさんの仕事が始まったのです。


ヘッドセットをつける女性。彼女が、ルーマニアで最も有名な声の主であるニスターさん。


「映画を観ると、アドレナリンが身体中を駆け巡るようでした」と話すニスターさん。観れる限りの映画を観て、でき得る限り多くの翻訳を試みたとのこと。


その一番の理由は「映画を観られるという喜び」。ニスターさんは、映画を観ることでルーマニアの外の世界に触れることができたのです。


翻訳している時間は、まるで監獄から解き放たれたように感じたとのこと。


チャウシェスク政権の秘密警察は24時間、休むことなく容赦のない偵察を行っており、ニスターさんは、自分の身に何が起こるのかまったく予想できないまま映画の吹き替えを続けたと話します。


ニスターさんが圧制下で翻訳した映画の数は3000を超え……


ニスターさんの映画は社会現象になりました。ルーマニア国民はみな、ニスターさんの声によってルーマニア国外の世界を知ることができたのです。


「彼女の声は西側諸国へ開かれた『扉』だったんだ。そこから、西側の自由な世界がどんなものか観ることができたんだ」


「それは共産主義政権を出し抜く試みでした。それこそが私を満足させてくれるものだったのです」とニスターさん。


「ルーマニアの人々は、映画から、西側諸国の人達がどんな服を着て、何を食べ、どのように話し、どんな自由を持っているかを知りました……


それはルーマニアの日常とはまったく違った世界でした」


チャウシェスク政権は1989年に崩壊。大統領と大統領夫人が公開処刑される様子は世界中に大きな衝撃を与えました。このルーマニア革命の舞台裏では、世界の様子を国民に伝え続けた一人の女性の声が原動力になっていたのかもしれません。

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in メモ,   動画, Posted by darkhorse_log

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