ペプシコーラが「最初の資本主義製品」としてソ連市場に切り込んでいった知られざる歴史とは?


共産主義をとっていたソ連において「初の資本主義製品」となったのは、意外にもペプシコーラでした。ソ連でコーラを売りまくったペプシは、なんと対価としてルーブルの代わりにウォッカを受け取ってアメリカに輸出。ソ連とアメリカの両方で大きな利益を上げていたそうです。

When the Soviet Union Paid Pepsi in Warships - Gastro Obscura
https://www.atlasobscura.com/articles/soviet-union-pepsi-ships

1990年にアメリカの新聞が、ペプシがソ連と30億ドル(当時のレートで約4500億円)もの巨額の取引を行っていることを報じました。この報道は「ソ連はかねてからペプシコーラの濃縮液の対価としてウォッカを提供してきたが、今回は軍艦10隻を差し出した」という突拍子もない内容だったとのこと。冷戦末期とはいえ、共産主義国のソ連が資本主義国の中でも最大のライバルであるアメリカ製品を大量購入していたことは、少なからず驚きをもって受け止められたようです。

ペプシとソ連の関係は、1959年にさかのぼります。ソ連はアメリカ・ニューヨークで展示会を行い、そのお返しにとアメリカはモスクワのSokolniki Parkでアメリカの製品に関する展示会を行いました。このアメリカ展にはディズニー、IBMなどが参加してブースを構え、その中にペプシも含まれていました。

リチャード・ニクソン副大統領(当時)がソ連の最高指導者ニキータ・フルシチョフを歓待した時の様子は以下の写真で確認できます。


この前日の夜、ニクソン副大統領にペプシの国際部門トップだったドナルド・ケンドールがフルシチョフ第一書記の接待を申し出ていました。そして、ニクソン副大統領に対して、「フルシチョフにペプシを持たせなければなりません」と進言したとのこと。進言通りにニクソン副大統領はフルシチョフ第一書記にペプシコーラの試飲を勧め、フルシチョフ第一書記はコーラを味わった最初のソ連人の一人になりました。

ペプシコーラを飲むフルシチョフ第一書記。手前で笑みを浮かべてペプシコーラをコップに注いでいるのがケンドール。ソ連の最高指導者にペプシのコップを持たせた写真の効果は絶大で、ペプシはソ連での存在感を大いに高めたとのこと。なお、この写真が撮られた6年後に、ケンドールはペプシのCEOに就任しています。


当時、ペプシは世界的にブランドを拡大させるという大きな野望を持っており、ソ連にビジネスチャンスがあるとみたケンドールは、1972年にソ連でコーラを販売する独占権を得て、1985年までライバルであるコカ・コーラをソ連市場から完全に閉め出すことに成功しました。New York Timesはこの出来事を、「ペプシコーラはソ連で最初の資本主義製品だ」と評したそうです。

ソ連市場でのパイオニアになったペプシでしたが、大きな問題はソ連の貨幣であるルーブルが国際的な価値がなかったこと。その為替価格はクレムリンの決定に大きく左右される上に、ソ連は法律でルーブルの国外持ち出しを禁じていました。そこで、ペプシはコーラ原液を売った代償に、なんとウォッカを指定。アメリカでも販売されていたStolichnayaのウォッカを受けとることになったそうです。こうしてソ連に輸出されることになったペプシコーラは、1980年代後半までに、年間で10億ポンド(約450万トン)もの量がソ連で消費されるまでに成長しました。さらに対価として受け取っていたウォッカのStolichnayaもアメリカで人気になったそうです。

しかし、ソ連-アフガニスタン戦争が起こるとソ連製品のボイコット運動がアメリカで起こり、ウォッカを販売できなくなったペプシは、1989年にソ連との契約を結び直して、コーラ販売の対価として17隻の潜水艦、3隻の軍艦(フリゲート、巡洋艦、駆逐艦)を受け取ることにしました。さらに、ソ連の石油タンカーを購入してノルウェー企業にリースや販売するビジネスを始めました。こうして、ペプシはソ連のペプシ工場の数を2倍以上に拡大することに成功。ケンドールは、「私たちペプシはアメリカ政府より素早くソ連の武装解除をしています」というジョークを飛ばしていたそうです。


ソ連との30億ドル(当時のレートで約4500億円)という巨額の取引を行い、新ブランドであるピザハットを立ち上げるなど絶好調だったペプシでしたが、1991年にソ連が崩壊すると我が世の春は終わりを告げます。それまで1つの国を相手にビジネスをしていたペプシは、突然、15カ国と取引することを強いられました。ペプシコーラのガラス瓶を代替する計画だった安価で軽いプラスチック瓶の製造工場はベラルーシにあり、ピザハットのために輸入するモッツァレラチーズはリトアニアにあり、軍艦はウクライナに停泊しているという具合で、すでに引退していたケンドールは「ソ連が"廃業"した」と嘆いたそうです。さらに、コカ・コーラが積極的に旧ソ連市場に参入を始めるという、ペプシにとっては泣きっ面に蜂という状況に直面していきました。

結局、コカ・コーラはわずか数年でロシアで最も人気のあるコーラになり、ペプシの天下は終わりを告げました。ペプシにとってロシアは依然としてアメリカ国外における2番目に大きな重要市場ですが、すでにパイオニアとしての優位性を失っているとのこと。プーシキン広場前に掲げられていたロシアにおけるペプシの象徴的な存在だった広告看板も2013年に取り払われたそうです。

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