「査読」のシステムはどのようにして学術の世界に普及していったのか?
by Rahul
査読とは、学術誌に投稿された論文を執筆者以外の専門家が評価し、掲載するに値するかどうかや内容に疑わしい点がないかを審査するシステムのことです。多くの権威ある学術誌は査読を導入しており、査読は論文の内容を保証するものだと考えられていますが、その歴史はそれほど古くはありません。「科学的自主性、公的な説明責任、冷戦下での『査読』の台頭」という論文を著したメリンダ・ボールドウィン氏が、査読のシステムが広まった歴史や本来の意図などについて述べています。
The Rise of Peer Review: Melinda Baldwin on the History of Refereeing at Scientific Journals and Funding Bodies - The Scholarly Kitchen
https://scholarlykitchen.sspnet.org/2018/09/26/the-rise-of-peer-review-melinda-baldwin-on-the-history-of-refereeing-at-scientific-journals-and-funding-bodies/
アメリカ物理学会の会員誌であるPhysics Todayの編集や書評などを手がけるボールドウィン氏は、物理学の歴史などについても記事を書く歴史家でもあります。ある時、ボールドウィン氏は「世界で特に権威ある学術雑誌といえるネイチャーでさえ、1973年以前は体系的な外部の査読を採用していなかった」ということを知りました。
近年では査読が論文を発表する前の一般的な手続きとも考えられていますが、査読の歴史について調査を進めたボールドウィン氏によると、多くの商業雑誌でさえ、1970年代~1980年代に至るまで査読を行っていなかったとのこと。また、査読システムは特にアメリカで顕著に発達したことも判明し、ボールドウィン氏は査読という行為が浸透していった歴史に興味を持ったそうです。
by felix_w
一説によると、1660年にイギリスで設立された科学学会のロンドン王立協会の初代事務総長であるヘンリー・オルデンバーグが、最初に外部の人間に論文の査読を依頼した人物だといわれています。このエピソードは査読の概念が17世紀から存在し、科学界のスタンダードであったと想像させるものとなっています。
しかし、ボールドウィン氏によると実際に今日用いられている査読システムが形になり始めたのは19世紀のことで、非常にゆっくりと、複雑な過程をたどりながら今日に至っているとのこと。古くから査読が一般的だったのは英語圏の国々や、ロンドン王立協会に所属する雑誌でしたが、20世紀に入っても英語圏以外の国や商業雑誌では、査読が一般的ではありませんでした。
たとえば20世紀を代表する科学者の一人であるアルベルト・アインシュタインの論文は、多くが査読なしで掲載されていました。そんなアインシュタインは1936年に書いた重力波に関する論文をThe Physical Reviewに提出した際、編集者のジョン・テートが外部の意見を求めて論文を査読に回したことを知り、非常に気分を害して「論文を撤回する」とまで言ったと伝えられています。
ボールドウィン氏はアインシュタインが気分を害したのも無理はないと述べており、アインシュタインは学術誌に掲載する論文を編集者自身が評価するという、学術誌に掲載するドイツのシステムになれていたと指摘。また、The Physical Reviewにおいても確固たる査読システムが存在していたわけではなく、それ以前にアインシュタインがThe Physical Reviewへ提出した論文は査読に回されておらず、物議を醸しそうな論文だけが査読に回されるシステムになっていたこともアインシュタインを怒らせた原因の1つだったとボールドウィン氏は述べています。
by janeb13
査読システムは決して17世紀以来の科学界において不変の制度ではないものの、19世紀ごろには学術の世界に現れ始めたそうです。しかし、ボールドウィン氏の研究によると、査読が一般的になったのは20世紀後半、冷戦下のアメリカだったそうです。
冷戦下の1970年代半ば、アメリカ国内で科学的自主性と公的説明責任に関する問題が提起され、「意味のない科学的研究に公的資金が費やされ過ぎているのではないか」という非難がアメリカ国立科学財団(NSF)に浴びせられました。問題を提起した議員たちは、NSFに対する助成金の支給を抑制する必要を訴え、同時に助成金支給プロセスについて議会が監視すべきだと主張したとのこと。
この論争に対してNSFが公聴会などで主張した解決策が、「専門の科学者らによる査読により、研究の正当性や成果を担保する」というものでした。それ以前の時代には、査読は主に「Refereeing(審判)」と記されていましたが、NSFはあえて査読を意味する用語として「peer review(仲間のレビュー)」を用いました。新たに「peer review」という言葉を使った理由についてボールドウィン氏は、査読をする資格のある人間は同じ専門分野を持つ狭い範囲の人間だと示唆する目的があったと述べています。
NSFは研究のために公的資金を必要としていましたが、専門家ではない議会などによる審査により、どの研究が有意義かどうかといった判断をされることは避けたいと考えていました。議会に口出しされることなく、研究の価値を担保する正当な方法として注目されたのが査読であり、これ以降から査読が重要視されるようになっていったそうです。
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議会との自主性を巡った議論から、アメリカ国内では「査読は科学の正当性と成果を保証する」という考えが定着しましたが、当時のアメリカ国外では依然として査読は一般的ではありませんでした。1970年代~80年代にかけて、アメリカ国外の学術誌編集者や科学者が「アメリカ人は査読を重視し過ぎている」と困惑するケースも多かったとのこと。
イギリスの医学雑誌であるThe Lancetでも、1989年に「アメリカではあまりにも多くの査読を求められる」という論説が掲載されていたと、ボールドウィン氏は述べています。一方で、ノーベル賞受賞者を多数輩出するほどの科学超大国であるアメリカの影響力は看過できるものではなく、科学者らも「アメリカで認められるには査読が必要」という意識を強めていき、やがて査読はアメリカ国外でも一般的になっていきました。
ボールドウィン氏は査読の歴史がそれほど古くないという点を指摘しつつ、新たな時代の査読システムとして、「査読者に報酬を与える」ことを提唱しています。かつて1970年代にNSFが公聴会で査読システムについて主張した際には、査読者は科学に専念する無私無欲な人が好ましく、個人的な情報についても開示されるべきではないと述べていました。
NSFの主張とは対照的に、いいフィードバックを得るには謝礼金を支払うべきだとボールドウィン氏は考えており、実際に多くの経済学誌では報酬が支払われるシステムが存在しているとのこと。報酬が支払われる場合、査読者が論文をチェックして返送する納期が短縮され、チェックの詳細さも改善されるそうです。収入の乏しい学者や、専門的な知識はあるものの学術的なポストに恵まれない人に報酬付きの査読を依頼することは、学者の労力に報いるために重要だとボールドウィン氏は考えています。
by geralt
もちろん査読者が重要なポストについていない暇な学者に偏るのは好ましくないため、他のインセンティブも用意する必要があるとボールドウィン氏は指摘。たとえば一定数の論文を投稿した学者は、新たな論文を投稿する前に査読の担当を義務づけるなどの案があるそうです。
ボールドウィン氏が明らかにしたように、査読は決して数百年前から不変のシステムというわけではなく、比較的最近になって発生した考えです。そのため、多くの科学者が現状の査読システムについて不満を抱いている場合、より現実的な方向へシステムが変更されるべきだとボールドウィン氏は主張しています。
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