サイエンス

定説を覆しアルツハイマー病のメカニズム解明に近づいた研究者による研究発表までの苦闘


アルツハイマー病はヘルペスウイルスが原因ではないか?とする有力説が現れています。従来の定説を覆す新説の誕生の裏には、定説に反するがゆえに正しい評価が与えられないという科学の世界の構造的な問題があり、その定説を覆そうとする異端児の前には乗り越えなければならない高い壁が立ちはだかっているということを、アルツハイマー病の新説を打ち出した研究者の格闘は教えてくれます。

How an outsider bucked prevailing Alzheimer's theory, clawed for validation - STAT
https://www.statnews.com/2018/10/29/alzheimers-research-outsider-bucked-prevailing-theory/

アルツハイマー病の研究では、脳に蓄積されるアミロイドβ(アミロイドベータペプチド)という物質のプラーク(かたまり)が原因だとする仮説(アミロイドβ仮説)が古くから提唱され、定説となっていました。アミロイドβ仮説では蓄積されたアミロイドβのプラークが脳のシナプスを破壊したり、ニューロンを死滅させたりすることで、アルツハイマー病の痴呆症状が引き起こされると考えられており、アミロイドβを取り除き、なるべく蓄積させないことで、アルツハイマー病を治癒することが目指されてきました。

しかし、多くの研究者によってアミロイドβ仮説に基づいた治療法が多数、試されてきましたが、決定的な成果をあげることはできませんでした。アルツハイマー病に関する遺伝学を専門とするマサチューセッツ総合病院のルドルフ・タンジ氏によると、「多くの科学者がアミロイドβ仮説の真実性を疑うのは、数十年間にわたって引用され続けてきた論文の古いパラダイムの多くが間違っているからです」と述べ、アミロイドβ仮説が学会での支持を失いつつある現状を指摘しています。

by Michael Coghlan

アミロイドβ仮説への疑念は、アルツハイマー病研究者の研究活動にも影響を与えています。医学系の研究には多額の研究費が必要なことも珍しくなく、研究者は外部からの研究資金の調達が不可欠です。アメリカの医学病研究には、National Institutes of Health(NIH)に研究内容の必要性と有望さを訴えることで、研究資金を援助してもらえる仕組みがあり、採択された研究には年間25万ドル(約2800万円)の研究費を5年間にわたって受けられるチャンスがあります。

しかし、魅力的なNIHの研究費援助は狭き門であり、アルツハイマー病の治療薬開発に関する研究費援助は、2003年以来15年間行われていないのが現状だとのこと。成果が出ないアルツハイマー病治療薬の研究へ予算が配分されにくい状況が生まれています。


そんな中、アミロイドβ仮説とはまったく異なるアルツハイマー病メカニズムを示唆する研究が、近年現れています。マサチューセッツ総合病院の神経科学者のロバート・モイアー氏とタンジ氏の二人が提唱した「アミロイドβは悪ではなく、むしろ細菌から脳を守る善ではないか?」という、従来の定説を覆す研究が出され、大きな注目を集めています。

モイアー氏とタンジ氏によるアミロイドβの有益性に関する発見の経緯については、以下の記事を見ればわかります。

アルツハイマー病に影響するアミロイドβの有益性を突き止めた二人の研究者の奇遇 - GIGAZINE


アミロイドβはアルツハイマー病患者の脳内だけでなく、健常な人の脳にも見られることは知られていました。また、アミロイドβのようなペプチドは、人間だけでなくカエルやトカゲ、ヘビ、魚を含む脊椎動物の体内で作られることがわかっていました。少なくとも4億年という長い時間にわたる進化の中で保存されてきたアミロイドβは、重要な生理学的役割を果たしているのではないか?というのがモイアー氏の考えだったとのこと。

そこで、モイアー氏らは、「アミロイドβは脳に侵入してきた細菌などを殺す作用があり、プラークは細菌を攻撃した後に残される残滓ではないか?」という「アミロイドβが免疫作用を持つ」とする大胆な仮説を提唱しました。これは、「アルツハイマー病を引き起こす害悪と考えられていたアミロイドβは、むしろ脳を守る善玉として機能しており、細菌などの別の因子がアルツハイマー病を引き起こしているのではないか?」とする、従来の定説とは完全に異なる新説でした。

モイアー氏の実験を技術的にも資金的にもサポートしていたタンジー氏でしたが、アミロイドβが病原体を殺すかどうかの実験は試験管でできる比較的安価なものだったとのこと。3年間のテストの結果、モイアー氏は実験室レベルでアミロイドβが細菌やウイルスを殺すことを実証することに成功しました。その後、アルツハイマー病で亡くなった人から提供された32体の脳から海馬のサンプルを取り出し、アミロイドβの微生物への攻撃性を確認することに成功しました。


モイアー氏とタンジ氏は、この研究成果を主要な科学誌であるScienceに論文投稿しましたが、受理された論文は「アルツハイマー病の専門家と協議する」との回答後に、掲載を拒否されたとのこと。同じく他の3つの科学誌からも論文掲載を拒否されるなど、研究成果の発表自体が困難だったそうです。

ようやく2010年3月にPLOS上で発表された論文の成果の一部を理由として、モイアー氏はNIHから年あたり40万ドル(約4500万円)の研究費援助を受けることができました。この資金で動物実験を行ったモイアー氏は、生後5カ月までにアミロイドβのプラークを発現させるよう遺伝子操作された「アルツハイマー・マウス」を作り出し、サルモネラ菌を脳に注射して観察しました。その結果、まるでピラニアであふれる池に落ちた牛のように、注入されたバクテリアはアミロイドβの繊維に絡み取られ、48時間以内にプラークが形成されてバクテリアによる感染が阻止されるのが確認されたとのこと。


モイアー氏とタンジ氏は研究結果を受けて、意気揚々と論文を6つの科学誌に投稿しましたが、ほとんどが査読されることなく「この論文は、我々のニーズに合っていません」という定型文からなるメールによって掲載拒否されたそうです。その後も、モイアー氏は実験を続け、着々とアミロイドβの免疫作用を示唆する証拠を作り出していきましたが、論文が世に出ることはありませんでした。

2015年後半になって、一度は論文を却下したScience Translational Medicineのオーラ・スミス氏が、あらためてタンジ氏に論文投稿を勧めてきました。スミス氏は当初、モイアー氏とタンジ氏の論文が却下されたことに気づいていなかったそうです。こうして、最初の投稿から2年後の2016年に、モイアー氏とタンジ氏の論文は掲載されることになりました。


すでにNIHから援助された資金を使いきっていたモイアー氏は、研究費援助の更新を申請しましたがNIHからは拒否されていました。モイアー氏によると、研究費援助の申請に対する評価資料では、3人中2人の評価委員からは研究の有意性と革新性などの基準で2点(9段階で1点が最高)と非常に高い評価を得ていましたが、残る1人の評価委員からは「6点から4点」という、死刑判決に等しい評価が下されたとのこと。新規性の評価に関して、「アルツハイマー病と関係性が薄い(ヘルペスウイルスの一種である)HSV-1を研究している」という批判が添えられていましたが、モイアー氏は「『馬鹿げていること』を『事実』に変えることこそが、科学者が科学を行う理由のはずだ」と強い不満を覚えたそうです。

「細菌がアルツハイマーに影響しているだって?そんなことは信じられない」と評価委員は考えたのだろうと、タンジ氏は推測しています。アミロイドβ仮説を信じる評価者は最近の科学論文を読むことさえしていないのではないかとタンジ氏はいぶかっており、「これこそが最も退屈で既定路線の研究に研究費が与えられる理由です」と述べ、定説にチャレンジするという危険を冒す研究者が拒絶されている現状を批判しています。

その後、他の研究者からHSV-1を含むヘルペスウイルスがアルツハイマー病の原因ではないかとする研究が次々と発表されており、モイアー氏とタンジ氏の仮説の正しさを裏付ける可能性のある研究成果が出てきています。

アルツハイマー病はヘルペスウイルスが原因であることを裏付ける研究論文が発表される - GIGAZINE


「新しく革新的なアイデアが、目新しく革新的に過ぎるという理由から、たった一つの悪い評価によって、沈められている」とモイアー氏は述べています。

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in サイエンス, Posted by darkhorse_log

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