王侯貴族に愛される高級陶器ブランドを生んだ「イギリス陶芸の父」の卓越したビジネス手腕とは?
イギリス最大の高級陶器メーカー「ウェッジウッド」の創設者であるジョサイア・ウェッジウッドは18世紀の陶工であると同時に、非常に優秀な事業家であり、科学者であったことで知られています。「イギリス陶芸の父」とも称されるジョサイアがどれだけ優れた手腕を発揮し、世界最大級の高級陶器ブランドを築き上げたのかを、海外メディアのthe Hustleが解説しています。
The 18th-century potter who became the world’s first tycoon The 18th-century potter who became the world’s first tycoon
https://thehustle.co/josiahwedgwood
ジョサイアは1730年7月12日、イギリスのバースレムで貧しい陶芸家の13人目の子どもとして生まれました。当時イギリスで作られていた陶器はあくまでも日用品であり、現代の人々が陶器に抱く「威厳ある伝統工芸品」というイメージからはかけ離れたものでした。そのため、陶芸家はとても稼ぎのいい仕事ではなかったそうです。
ジョサイアが9歳の時に父親は亡くなり、父親が残した多額借金はすべて子どもたちが背負うこととなりました。子どもたちは借金を返すために毎日12時間以上働きましたが、そんな極限状況の中でジョサイアは天然痘に感染。一命は取り留めたものの、後遺症で右足が不自由となってしまい、肉体労働ができなくなってしまいました。そこで、父親と同じ陶芸家として働くことを決意します。
ジョサイアは陶器職人としての技術とビジネスのノウハウを得て、22歳に独立。べっこうの釉薬(ゆうやく)を発明した陶芸家のトーマス・ウィールドンと事業を始めます。ウィールドンは、若く才能のある陶器職人であるジョサイアを全面的にバックアップし、仕事場だけではなく生活費から住宅まで提供しました。ジョサイアはウィールドンの支援を受けながら、釉薬や陶器の焼き方についての研究に没頭しました。
Instagramで多くの人が変わった食器やかわいいコップに「インスタ映え」を求めるのと同じように、18世紀の上流階級の社交界では、ティータイムに紅茶を飲むためのカップやポットなど、装飾性が高い茶器が強く求められていました。しかし、当時の上流階級が使う茶器は主にドイツのマイセン地方から輸入される白磁器であり、非常に高価で入手が困難でした。そのため、より安く審美的に優れた茶器の需要が高まっていました。
ジョサイアはこの需要にいち早く気づき、1759年に故郷のバースレムに戻り、叔父からの経済支援を受けてオリジナルブランド「ウェッジウッド」を立ち上げ、これまでの研究成果をつぎ込んだ、新しい陶器の開発に打ち込みます。ジョサイアの工房には失敗した陶器が山のように積み上がっていたといわれています。窯の温度や土、含まれている成分を調整しながら、ジョサイアはついに透明度の高い緑と黄色を表現する釉薬の開発に成功し、茶器にふさわしいクリーム色の陶器「クリームウェア」を生み出します。
1765年、イギリス王妃のシャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツが、個人的に使うための茶器ひと揃いを手に入れるため、全国の陶芸家を一同に集めたコンペティションを開きました。ジョサイアは「イギリス上流階級のインフルエンサーだったシャーロット王妃に自分の陶器を使ってもらえれば自分の陶器が世界中に知られるだろう」と考え、このコンペティションに自身のクリームウェアを持ち寄って参加。そして、見事ジョサイアのクリームウェアは王妃の目にとまり、ジョサイアはコンペティションに勝利します。
ジョサイアは陶芸家としてだけではなく、事業家としての才能も持っていました。ジョサイアは、王妃の許可をもらい受けた上でクリームウェアを「クイーンズウェア」と名付け、地元の新聞紙に広告を打ちました。著作権や商標といった概念がほとんどなかった当時、ジョサイアが作り出した陶器はライバル陶芸家によってすぐにコピーされてしまいましたが、ジョサイアは常に新製品を販売し、巧みなイメージ戦略を駆使することでこれに対抗したといわれています。
例えば、ウェッジウッドは1774年には「ジャスパーウェア」という陶器を発表しました。ジャスパーウェアが当時の上流階級に与えた衝撃はすさまじく、古代ギリシャ風の装飾スタイルのブームをヨーロッパ全土に巻き起こし、それまで人気のあったロココ調の陶磁器を作っていたヨーロッパの諸窯がつぶれてしまうほどだったそうです。
また、ジョサイアは製品の販売法にも工夫を凝らしました。当時のイギリスではまだ高級ブランドとそのビジネス戦略が存在していませんでしたが、ジョサイアはロンドンにウェッジウッドのショールームを開き、「新規の客にはフルカラーのカタログを見せて、オシャレと流行に敏感な顧客だけに部屋の裏にある実物を見せる」という戦略を採用。これによって、ウェッジウッドは独自性と希少性の強いブランドイメージを獲得しました。
陶器は非常に割れやすいものですが、当時は主に馬で運んでいたため、運搬中に陶器が割れてしまうこともよくあったそうです。そこで、ジョサイアは「配送料無料」「運搬中に壊れた商品の無料返品」という当時としては画期的なサービスを掲げます。さらに、積極的に運河やトンネルの建設に働きかけ、運送ネットワークの向上にも貢献しました。
さらに、ジョサイアは仕事改革を行ったことでも知られています。当時、産業革命が進むイギリスの労働環境は過酷なものとなりつつありましたが、ジョサイアは1769年にイギリス郊外に工場を建設し、労働時間を徹底的に管理することで、職人が最初から最後まで手がける従来の製造方法ではなく大人数による分業制を採用。また、奴隷廃止論者だったジョサイアは、工場の横には従業員専用の住宅を用意し、飲酒とギャンブルの禁止など厳格な規則を設けながら、労働者の健康保険や退職金、子どもの保育のサポート、成長手当など福利厚生を整備しました。
1795年にジョサイアは亡くなりますが、貧しい陶器職人の息子だったジョサイアは1億ドル(約110億円)以上の財産を持ち、産業革命で急成長するイギリスでもトップクラスの資産家となりました。ジョサイアが立ち上げた「ウェッジウッド」は現代でも引き継がれ、世界中で人気のある陶器ブランドとして知られています。
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