ビートルズになる前の若きジョン・レノン少年は「切手コレクター」だった
ポール・マッカートニーと並んで数々のビートルズの名曲を残してきたジョン・レノンが、まだビートルズに加わるはるか以前の少年時代に切手を集めていたことはあまり知られていません。10歳のジョン少年が切手をストックした切手アルバムが、アメリカの国立郵便博物館で展示されています。
Before He Was a Musician, John Lennon Was a Philatelist | At the Smithsonian | Smithsonian
https://www.smithsonianmag.com/smithsonian-institution/he-was-musician-john-lennon-was-philatelist-180970391/
ジョンが切手を集めるようになったのは、従兄のスタンリー・パークスがジョンに切手アルバムを見せたことがきっかけだったとのこと。「MERCURY」と書かれたこの切手アルバムが、ジョンの心の琴線に触れたようです。
アルバムの表紙を開いた「見返し」の部分には、一番上からジョンが消したスタンリーのサイン、そして新たな所有者となったジョン少年のサインと、育ての親である「ミミおばさん」と住んでいた家の住所「251 Menlove Ave, Woolton, Liverpool」が書き込まれています。「565」は実際にこのアルバムに残されている切手の数と一致するとのことで、一番下の「657」はおそらくスタンリーがジョンにプレゼントする前に集まっていた数だとみられています。
ジョンのサインといえば、多くの人が思い浮かべるのはこんなタイプのもの。しかし、さすがに10歳のジョンはサインらしいサインを持っていなかったようです。
アルバムをプレゼントした頃のスタンリー(左)とジョン(右)のツーショット。
「扉」の部分にはMERCURYの第6版であることが書かれているのですが、サンプルとして印刷されたヴィクトリア女王と国王ジョージ6世の切手の図版の部分には、ペンでヒゲが落書きされていることがわかります。早くもジョンの才能はこの時点で開き始めていた……のかもしれません。
アルバムは、切手が発行された国ごとにコレクションするスタイルで構成されています。一番最初に来るのはもちろん「Great Britain(イギリス)」です。
やはり自国ということもあってか、このアルバムの中でも最もコレクションが充実しています。
カナダも結構充実。
1940年生まれで10歳のジョンがこの本を手にしていたのは1950年ごろ、ということで、1947年まではイギリス領インド帝国だったインドの切手も多めに集まっています。
ニュージーランドも多めのコレクション
日本の切手も多めに集められています。菊の御紋や富士山、城など、ヨーロッパ諸国とは明らかに異なるデザインがジョンかスタンリーの関心を引いたのかもしれません。
アメリカもなかなかの充実具合です。
ジョンが残した切手アルバムは、ワシントンDCにある国立郵便博物館で2019年2月3日まで公開されているとのことです。
John Lennon: The Lost Album
https://postalmuseum.si.edu/lennon/index.html
なお、2018年にアメリカ合衆国郵便公社はジョンの顔がデザインされた特別デザイン切手を発行しています。1980年にニューヨークのダコタハウス前で狙撃されてこの世を去って約40年、ジョンは「自分の顔が切手のデザインになる」という切手マニアにとってはこれ以上ない名誉を手に入れたようです。
・関連記事
ジョン・レノンが初めて幻覚剤LSDをキメてトリップした様子を語るインタビュー音声がアニメ映像化される - GIGAZINE
ポールとジョンがビートルズ楽曲の版権を失うことになった知られざる経緯とは - GIGAZINE
Googleが伝説の「アビーロード・スタジオ」をストリートビューで360度体験できる「Inside Abbey Road」を公開 - GIGAZINE
ビートルズのアルバムのジャケット写真に使われた「アビイ・ロード」の一日の様子ムービー - GIGAZINE
ビートルズが初のアメリカツアー前に行った特別ライブの未公開映像が44年ぶりに発見される - GIGAZINE
ビートルズ初の契約書の落札価格は? - GIGAZINE
・関連コンテンツ