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ポロックが「過大評価」されるようになったのはなぜなのか?


床に置いたキャンバスに筆から絵の具を飛ばしていくという方法で作品を製作したジャクソン・ポロックの絵画は抽象的であり、「何がすごいのかわからない」という人もいるはず。なぜ、ポロックは突出して評価が高いのか、そこには1人の批評家の存在があったと指摘されています。

How Jackson Pollock became so overrated - YouTube


世の中には、ジャクソン・ポロックの絵を見た時に「この画家は天才だ」と考える人と「どうしてこの画家はこんなにも過大評価されているのか?」という人の2種類がいます。


抽象表現主義を愛するVoxのフィル・エドワーズさんは前者の1人。


ポロックの絵画を前にすると……


こんな表情になってしまい、あまりに没頭しすぎて時間を忘れてしまうようです。


しかし、そんなエドワーズさんでも、ポロックが「疑問が抱かれる画家」であることを認めざるを得ないとのこと。


なぜ、ポロックは顕微鏡を使ってまで絵が調べられる画家なのか?


なぜ、俳優のエド・ハリスさんは2000年にポロックを題材にした映画の監督を務めたのか?


その答えはポロックの絵画を越えたところにありました。写真に左に写るポロックの妻、リー・クラスナーと右側のポロックの間に写る男性が、そのカギとなる人物です。


これは師匠であるトーマス・ハート・ベントンの家で撮影した写真。写真の右側で座っているのが若い頃のポロックです。


ポロックを一躍有名にしたのは1943年に発表された「Mural」という絵画。美術収集家のペギー・グッゲンハイムのために描かれた作品です。


この絵画は、原色で「動き」を描いたもので、後にポロックはこの絵画について「西部開拓時代の動物たちが押し寄せたようだ」と語っています。


この絵画を発表した後に、ポロックは床にキャンバスを置き絵の具を垂らしたり投げつけたりする手法のパイオニアになりました。そして、この手法がポロックを成功させる一因となります。


ポロックは週刊誌のライフに特集ページが組まれ……


ファッション雑誌「VOGUE」では、ポロックの絵画を背景にモデルたちを撮影した写真が掲載されました。


写真家のハンス・ナミュースはポロックを題材にした映像作品や写真を発表。


1951年、ライフは「アメリカのアートのビッグスターたち」という記事を発表しました。マーク・ロスコウィレム・デ・クーニングクライフォード・スティルという有名画家が集合写真に写るなか、ポロックはその中央に存在します。


ここで、話は冒頭の写真の中央に写っていた人の話に戻ります。


写真に写っていた人物の名はクレメント・グリーンバーグ。もともと彼はネクタイのセールスマンでしたが、その後20世紀のアート批評に大きな影響を及ぼす人物となりました。


グリーンバーグは1939年に「Avant Grade and Kitsch」というエッセイを書き、「アートは大量消費文化に対する砦だ」と提言しました。ただし、グリーンバーグはアートに関して初心者だったため、このとき存在しない絵について論じてしていたことを後に認めています。


また、ピエト・モンドリアンの絵画について「オレンジと紫色の」と記しましたが、実際にはどちらの色も使用されていませんでした。


にも関わらず、グリーンバーグは多くの画家から尊敬を得ていて、ロバート・マザーウェルは「私は多くの点で彼に賛同しませんが、そこに、彼が『画家の目』を持っているという点は含まれません。そして彼の他に『画家の目』を持っている批評家は存在しません。彼は直感ですぐさま理解します」と述べました。


グリーンバーグは、現代絵画の可能性はパリではなくニューヨークにあると考えていました。


グリーンバーグのアメリカ中心的で過激なまでに男性的なアート観は、クーニングのようなオランダ移民の芸術家よりも、アメリカ西部出身のポロックと相性がよいものでした。


クーニングはポロックと並ぶアクション・ペインティングの代表的作家でしたが……


グリーンバーグは「American Type Painting」の中でポロックについて「彼は絵の具をまき散らしたような絵を、1つの意味を持った絵画にできる唯一の人物だ」と語っています。


ニューヨークのアートの世界は人間関係が非常に密で、アーティストと批評家が共にパーティーに参加することもあったとのこと。1940年代、そんな中でポロックとグリーンバーグは共に名を上げていきました。エドワーズさんによると、グリーンバーグが「脳」で、ポロックは「魂」だったそうです。


例えば、1947年、グリーンバーグは批評の中でポロックについて「完全にアメリカ人」「現代アメリカで最もパワフルな画家」とつづったとのこと。グリーンバーグによる称賛は、ポロックをメインストリームの中に押し上げていきました。


1948年、雑誌・ライフはポロックについての記事をチーズについての記事の横に掲載。一般の人々に向けてポロックがアピールされるようになります。


ある記事には「恐ろしくインテリなニューヨークの批評家は、上記の写真に写る恐ろしく難解なアーティストを歓迎している」と記されましたが、この「恐ろしくインテリなニューヨークの批評家」がすなわちグリーンバーグのこと。


また、ポロックの同時代に活躍した画家に、ヘレン・フランケンサーラーという女性が存在します。


フランケンサーラーは下塗りをしていないキャンバスに薄く溶いた絵の具を染み込ませるという手法を考案した人物。


「ステイニング」という手法で描かれた最初の絵画が1952年制作の「山々と海」です。


以下の写真には左からポロック、グリーンバーグ、フランケンサーラー、そしてポロックの妻であるリー・クラスナーが写っています。フランケンサーラーとグリーンバーグは5年間、交際しました。後にフランケンサーラーはグリーンバーグと付き合っていた理由の1つとして「彼は私の作品について書かないから」と語っていたといいます。


グリーンバーグは、クリフォード・スティル、バーネット・ニューマンといった抽象表現主義の画家たちの名前を冠した美術館を立ち上げることに助力しました。しかし一方で、グリーンバーグが多くのムーブメントやアーティストを見落としたのも事実。


フランケンサーラーはメインストリームの画家であり、伝説的存在です。しかし、フランケンサーラーの名はグリーンバーグの名前と共に有名になったとは言えますが、一方でグリーンバーグがポロックを有名にした方法とは異なります。このことから、フランケンサーラーは「グリーンバーグが見逃したアーティスト」と「グリーンバーグがキャリアを作ったアーティスト」の両方のシンボルと捉えることができます。


いずれにしろ確かな点は、1人の批評家が、半世紀にわたる「人々の絵画の見方」を作り上げたということ。


ポロックが「過大評価」されていると感じるのだとしたら、その「過大評価」を作り上げた1人は間違いなくグリーンバーグです。しかし、ポロックが偉大な画家であることに違いなく、ポロックを過小評価するのではなく、他の抽象表現主義の画家たちにも目を向ける必要があるとのこと。


そして、私たちが学ぶ「芸術」の内容は、1人の批評家によって決められたということを知る必要があるとのことです。

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in 映画,   アート, Posted by darkhorse_log

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