取材

エクアドルからペルー国境まで自転車旅行者狙いの強盗を回避するためアンデスの山々を走破


ペルー北部の海岸線は自転車旅行者狙いの強盗が出るという危険地帯。自走にこだわらないのであれば、バスという手段もありますが、轍が途切れてしまいます。それを回避するのがアンデスルートでした。エクアドル南部のロハ(Loja)から小さな町を繋いでペルー北部のハエン(Jaen)を目指します。

こんにちは、自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンです。カメルーン以来の泥道オフロードに苦労しましたが、無事に93カ国目のペルーに入りました。

エクアドルとペルーの国境付近。

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◆危険地帯
ペルー北部海岸線のピウラ(Piura)~チクラヨ(Chiclayo)~トルヒーヨ(Trujillo)は自転車旅行者を狙う強盗が多発しています。「行かずに死ねるか!」の著作で有名な石田ゆうすけさんもここでピストル強盗に遭遇していました。自分の憧れる待井剛さんの手記でも危険地帯とあって、それから20年は経っていますが、現在も相変わらずのようです。インターネットで調べてみると、近年も自転車旅行者が襲われていました。この状況で走りたくはありません。

ケース1、2013年1月の例

TRES CICLISTAS EXTRANJEROS FUERON DESVALIJADOS AYER EN “LA SELVA” | Diario de Chimbote
http://www.diariodechimbote.com/portada/noticias-locales/63213-tres-ciclistas-extranjeros-fueron-desvalijados-ayer-en-la-selva

ケース2、2011年5月の例

La Libertad: Capturan a banda que asaltaba a ciclistas en Paiján | RPP NOTICIAS
http://www.rpp.com.pe/2011-05-10-la-libertad-capturan-a-banda-que-asaltaba-a-ciclistas-en-paijan-noticia_364153.html

エクアドルとペルーには大きく分けて、1:海岸、2:パンアメリカンハイウェイ、3:アンデスという3つの国境があります。


1を走るチャリダーの話は聞きません。メジャーなルートは2で、マカラ(Macara)がエクアドルの最後の町になります。この場合は全部アスファルト。ただしペルーに入国してから、危険地帯をどうにかしないといけません。3はアンデスの山々を縦断するルートで一部オフロード。大変そうな道ですが、安全には問題なさそうでした。

北上してきたチャリダーの情報だと3が安全で確実。2でもワンカバンバ(Huancabamba)を経由して3と合流するルートがありました。ルートをどちらにするか、出発直前まで悩みます。自転車での世界一周が目的なので、自走にはこだわっていました。

◆7月13日(1日目)
天気の悪いロハの滞在でしたが、出発時は悪くない空模様。「天気予報だと明日も晴れるはずだから」とアンデスルートを突き進むことに決めました。ペルーのハエンを目指すのであれば、こちらの方が距離が短いはず。やると決めたら、後は走るだけです。休息もあったので、グイグイと進んでいきました。どこかにテントを張るつもりでしたが、暗くなってもいい場所が見つかりません。結局、道路工事の重機が入る空き地にテントを張らせてもらいました。

長寿村で知られるビルカバンバ(Vilcalbamba)を通過。


この先の距離標識。


山間部を駆け抜けていきます。


ヤンガナ(Yangana)の集落。


◆7月14日(2日目)
濡れたテントを撤収するときほど嫌なことはありません。走り出しても雨は降り続けます。晴れのつもりだったのに……。標高2725mの峠を越えると下り坂。ただし、ここからオフロード。勾配が急なので、全力でブレーキを握りしめていました。雨と泥で磨り減っていくブレーキシュー。下り坂の途中に東屋を見つけて、ビショビショになった服を着替えました。くたびれた雨具なので、雨が降り続けると堪えます。この東屋で3時間くらい雨が止むのを待っていました。それからバヤドリード(Valladolid)の町まで。小さな町でしたが宿もあったので、ここに泊まりました。この日は30kmも走っていません。

断崖絶壁。


下りも路面の状態が悪いので、あまりスピードが出せませんでした。


バヤドリード(Valladolid)の中心。


幹線はオフロードですが、セントロの付近だけ石畳で舗装されています。


ここからも下りが続くようでした。


◆7月15日(3日目)
15日も雨が降っていたのでバヤドリードに連泊しました。歩くと5分で足りる小さな町ですが、食堂や商店にパン屋まで一通りは揃っています。ネットカフェなんて3軒もある充実ぶり。しかも結構なスピードが出ます。荷物の整理や自転車の整備で時間を潰していました。

何の看板もないけど宿。トイレ、水シャワー共同で5ドル(約500円)


濡れたまま収納したテントやマットを乾かします。


明け方に聞こえる「ピヨピヨ」という鳴き声。天気が回復した爽やかな朝を期待したら、宿内を徘徊するニワトリで残念。


◆7月16日(4日目)
インターネットの予報通りに晴れてくれたので、バヤドリードを出発。濡れた靴を乾かしていたのですが、泥道に川渡りもあって5分でグシャグシャに。パランダ(Palanda)の町までは下りなのに路面状態が悪くて苦労させられました。ロハで揃えた予備のブレーキシューもこの雨で使い切る勢いです。全部無くなってしまうと怖いので、パランダで再び手に入れました。

ヌルヌルしている道。


粘り気のある泥で、タイヤが重くなってしまいました。


自転車も鞄も泥だらけ。


14日に峠を越えてからは、基本はこの川に沿って下っています。山頂の近くを道が通っているので、実感はあまりないのですが。


沢に架かる橋。


バヤドリードよりも大きいパランダ(Palanda)の町。


トラックを改造した普通のバスです。地元民が乗っているのに、観光しているようで面白い。


パランダを過ぎてしばらくすると走りやすい乾いた道に。そこまで厳しいアップダウンも無かったので、明るいうちに目的の街スンバ(Zumba)に到着するはずでした。ただ、そうはさせてくれないのがエクアドル。最後に谷で標高820mまで下って、峠の標高1360mまで上ったのには参りました。スンバには着いたときには真っ暗に。

川渡り。


途中にあった商店のお嬢ちゃん。


峠のてっぺんに集落。


パランダより先の道は、こんな感じで乾いていました。


◆7月17日(5日目)
スンバからペルーの国境までラスト約26km。峠一つの覚悟じゃ足りず、やはり二つありました。国境が待ち遠しくて、距離をカウントダウンしてました。エクアドルほど山を走った国はありません。標高が2000mを下回ると不安になります。また上らないといけませんから。随分と鍛えられました。

スンバの町はパランダと同じくらい賑やかでした。


一つ谷を越えて、遠くになったスンバの町。


急激な上り坂が、川まで下りきった余韻を台無しに。


山の向こうに何か見えました。


川の向こうはペルーですが、もしかしてアスファルトかも。


国境でペルー美女に囲まれて。


食堂に作られていた子どもたちの秘密基地。


ようやくたどり着いた国境で出国、昼食、両替をしていると、友人の日本人チャリダーがやってきました。染谷裕太君はバンクーバーを同じ年にスタートしたアメリカ縦断の同期。連絡を取っていたので、エクアドルのクエンカ、ロハで会っています。先にロハを出発していたのに連日の雨で停泊。スンバで一緒になるかなと思って、町の宿を探したのですが見つかりませんでした。どうやら別の場所に泊まっていたらしい。「せっかくのオフロードなんだから走っている姿を撮りたいね」と一緒に走ることになりました。

とてもびっくりした模様。


エクアドルとペルーの国境。


橋を渡って93カ国目のペルーに入国。


ペルーに入ると道の勾配が緩やかになります。きれいな下り坂だとブレーキは要りません。ただ、その分に距離が長くなってしまって、宿泊を予定していたサンイグナシオ(San Ignacio)の町には、暗くなってからの到着でした。国境のアスファルトにはテンション上がりましたが、幾つかの区間はオフロード。そして残念なことに、生活のレベルが下がりました。コロンビアとエクアドルでは見なかった土壁や木造の家屋が出現。こうした貧しさが自転車旅行者を狙う強盗を生み出している気がします。

土砂崩れを避けて走る裕太君。


ペルーの勾配は緩やか。


峠の集落を通過。


ビー玉をぶつけて遊んでいた子どもたち。


街を走っています。


裕太君の後ろ姿。


自転車で走っている写真を撮ってもらうと嬉しいですね。一人だと難しいので、なかなか手に入りません。


コーナーを攻める。


三輪タクシーとチャリダー。


◆7月18日(6日目)
サンイグナシオの手前はアスファルトでした。ここから更に大きな町となるハエン(Jaen)に向かうのですから、アスファルトが続いていると期待するところ……ですが、違っていました。標高1270mの町を抜けるのにオフロード。標高1400mの峠から570mまでのダウンヒルも、その後に川に沿って走るのも、町を出てから約50kmはオフロードが続いてました。加えて工事中により、立ち止まること4回。これも片側交互通行ではない、全面通行止めとなっていて、だいぶ待たされました。この日は約110kmを走ってハエンに到着する予定も、間に合いそうにありません。「走行中に宿をみつけたら泊まろう」と相談して、すぐに宿が出てきたので早めに切り上げました。

サンイグナシオの町を出て。


道が狭い。


少し上ると、後は下りでした。


ダウンヒルの途中に最初の通行止め。


下りきってからは、川に沿って道がありました。コロンビアのカリ(Cali)以来の平坦な場所です。


また通行止め。


地形が穏やか。


道の隣には川が流れています。


地元の人の話ではアマゾン川に合流するそうです。


ようやくアスファルトに。


商店で休憩。


ハエンまで40kmの集落に安宿がありました。


10ソル(約370円)とペルー最低レベルの宿。電気と水道はあるので、アフリカに比べるとマシですね。


時間に余裕があったので、近くの川で自転車の泥を落としてすっきり。


夕暮れ。


ペルーに入ってから、モチっとしたご飯に変わりました。日本に近い感じなので、ご飯が美味しいです。


◆7月19日(7日目)
泊まった宿から約40kmを走って、昼前にはハエンに到着。二人で安宿を探して、そこそこ広いWi-Fi付きの部屋を確保しました。標高を700mまで落としたので、照りつける日差しが強くて痛い。でも、オフロードで汚れてしまった鞄や靴を洗うのには助かります。ロハを出てから慌しい毎日だったのです、ハエンに到着してようやく一息つけました。アンデスルート完走です。

すがすがしい朝からの走行。


日本を思い出す田園風景。


ハエンの中心になるプラサデアルマス。


タマネギの断面図のようなカテドラル(大聖堂)


スンバで再会したスイス人チャリダーも、2日遅れてハエンに到着。彼も「海岸は危険らしいのでアンデスルートを選んだ」と言っていました。


課外授業でもやっていたのか元気のいい子どもたちが通過。


市場で少し話した果物屋のおばちゃん。


一ヶ月かかったエクアドルを抜けて、ペルーの走行が始まりました。

◆まとめ
ロハを出てから一番の峠までは舗装。峠からバヤドリード~パレンダまでは泥道で走りにくいですが、その後の道は乾いていました。エクアドルは勾配がきついですがビカルバンバ、バヤドリード、パレンダ、スンバには宿があるので、町を繋いでいけば無理のない走行もできそうです。ロハを出てからは雨に降られましたが、乾季のペルーに近づくに連れて天気は安定。ペルーに入ると勾配が緩くなり、アスファルトも出てくるので楽になります。雨の中のダウンヒルはブレーキシューを消耗するので準備は万端に。川を渡る場所も何箇所かあるので防水対策はしっかりしておきましょう。チェーンのオイルが切れると変速機のプーリーでロックされるので、その時は注油をしてください。

アンデスルートでは道行く人とよく挨拶を交わしました。「こんにちは」に「ちょっと通らせてもらいますね」を含めて。そうすることが自然な場所でした。忘れられない国境越えとなりました。

(文・写真:周藤卓也@チャリダーマン
自転車世界一周取材中 http://shuutak.com
Twitter @shuutak
)

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in 取材, Posted by logc_nt

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