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阪神タイガースの金本知憲選手が今季限りでの引退を表明


2003年に阪神タイガースがリーグ優勝した原動力となり、2005年の優勝にも貢献した金本知憲選手が今シーズン限りでの引退を表明しました。

金本が会見「10日前に決めた。限界かな」/タイガース速報/デイリースポーツ online



金本 涙の引退発表「この3年間は惨めで苦しかった」 ― スポニチ Sponichi Annex 野球



金本知憲選手の引退について|球団ニュース|ニュース|阪神タイガース公式サイト

12日(水)、金本知憲選手(44)が、今季限りでの引退の意思を球団に申し入れ、了承されました。


金本は1968年生まれの広島出身。広陵高校から東北福祉大学へ進み、「大魔神」佐々木主浩らとともに活躍しました。1991年のドラフトで広島カープの4位指名を受けて入団。入団3年目の1994年には90試合に出場して打率.268、本塁打17本。1995年に初めて規定打席に到達してレギュラーに定着。1998年7月10日に死球での欠場から復帰し、ここから2011年4月まで続く連続試合出場(1766試合)が始まります。また、1999年7月21日から2010年4月までは連続フルイニング出場(1492試合)も記録しています。

2000年には打率.315、30本塁打、30盗塁でトリプルスリーを達成。史上7人目の記録で、シーズン最終試合で30本目のホームランを打っての達成でした。

2002年シーズンオフにFA権を行使して阪神タイガースへ移籍して、阪神18年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。また、2005年も.327、40本塁打、125打点の大活躍で再び優勝に大きく貢献しました。

その後も活躍を続けましたが、右肩を痛めてからはレフトからのバックホームが苦しくなる場面も見られ、ショートを守る鳥谷がかなり深くまで中継を受けに行く姿も多々見られました。

今季はチームの打撃成績が全体的に低迷する中で、ホームランこそ少ないもののチームで上位の打率を残してきました。低迷するチームは新たに中村勝広GMを招聘、中村GMが「守りの野球」を提唱していることから、来期も残留が基本方針ではあるものの、代打に専念する形になるのではないかと見られていました。

本日の会見で金本選手は引退を決断したのはおとといぐらいで、その理由については「いろいろ理由はあるが、自分に対して『限界かな?』という思い」だと語りました。ケガをして万全の守備ができない中でも出場が続いたことでファンや解説者から苦言を呈されることもありましたが、「よく頑張ったなという思いはあるが、この3年間は惨めで、こんな苦しい人生あるのかなという気持ちだった」とのこと。

なお、連続試合出場と連続フルイニング出場の記録がよく知られていますが、このほかにも2004年4月から2010年4月にかけて880試合連続4番先発出場、2000年5月から2001年9月には1002打席連続無併殺打という、いずれも日本記録を保持しています。

ちなみに、福岡ソフトバンクホークスの小久保裕紀選手、広島カープの石井琢朗選手なども今シーズンでの引退することを明らかにしており、シーズン終了後にコーチとしてチーム入りするのか、解説者になるのか、その他の道を選ぶのか、今後の動きが気になるところです。

2012/09/12 21:16
公式サイトに会見内容が掲載されました。

金本知憲選手引退会見|球団ニュース|ニュース|阪神タイガース公式サイト


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in メモ, Posted by logc_nt

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