サイエンス

「思想の予防接種」によって人々が誤情報や陰謀論にだまされないようにする試み


世の中にはさまざまな誤情報や陰謀論がはびこっており、「どうしてこんなうそにだまされるんだろう?」と不思議になるものもあれば、じっくり考えないと真偽を見抜けない巧妙なものもあります。ケンブリッジ大学の心理学教授であるサンダー・ファン・デル・リンデン氏は、「思想の予防接種」を行うことで誤情報や陰謀論への耐性を高めることができると提唱しています。

Can people be ‘inoculated’ against misinformation? | Science | AAAS
https://www.science.org/content/article/can-people-be-inoculated-against-misinformation


オランダで育ったファン・デル・リンデン氏は少年時代、ユダヤ人である母親の親戚の多くがナチスによって殺害されたことを知り、学校ではヨーロッパではいまだに反ユダヤ主義的な陰謀論が広まっていることを学びました。そこでファン・デル・リンデン氏はプロパガンダが持つ力や、人々がなぜ誤情報を信じてしまうようになるのかについて、研究するようになったとのこと。

記事作成時点ではケンブリッジ大学のSocial Decision-Making Lab(社会意思決定研究所)で責任者を務めるファン・デル・リンデン氏は、人々が感染症に対するワクチンを接種するように、誤情報や陰謀論に対しても思想の予防接種を行うことが可能だと主張しています。

思想の予防接種は、「人々に対して思考が操作・誘導される可能性があると警告する」というステップと、「興味はそそるもののだまされるほどではない『弱体化した形式の誤情報』にさらす」というステップで構成されています。このコンセプトはシンプルであり、近年注目を集めている誤情報対策です。


そもそも思想の予防接種というアイデアが誕生したのは、1954年に朝鮮戦争が終結した際に一部のアメリカ人捕虜が帰国せず、共産主義思想に傾倒して中国へ残ることを決めたことがきっかけです。この一件に対し、多くの人は共産主義者による「洗脳」が原因だと考え、これに抵抗するには家庭や学校でアメリカの思想をよく教え込むことが大事だと主張しました。

しかし、心理学者のウィリアム・マクガイア氏は「捕虜がプロパガンダに対して脆弱(ぜいじゃく)だったのは、それが初めて触れた共産主義思想だったからではないか?」と考えました。つまり、捕虜は共産主義国家から遠ざけられた「無菌状態」で育っていたため、強烈なプロパガンダへの抵抗性がなく、素直に影響されてしまった可能性があるというわけです。

そこでマクガイア氏は、思想に対しても感染症と同様の予防接種が有効なのではないかと考えて、「毎食後に歯を磨いた方がいい」「抗生物質が人類にとって大きな利益をもたらした」といった自明の事実について、学生にあえて反論をぶつけてみる実験を行いました。その結果、反論を突きつけられた学生は事実に対する信念が劇的に減少しました。ところが、反論の前に「事実への反論を並べ、その反論が破られるエッセイ」を呼んでもらったところ、反論によって信念が揺らぎにくくなることがわかりました。


ファン・デル・リンデン氏はイェール大学の在学中にマクガイア氏の論文に触れ、さらに多様なシチュエーションでも思想の予防接種が有効なのではないかと考えました。ファン・デル・リンデン氏が2000人以上の被験者を対象に行った調査では、事前に気候変動問題についての誤情報について警告されていた被験者は、誤情報に触れても思想に影響が出ないことが示されました。この影響は、もともと気候変動問題に対して懐疑的だった人々でも確認されたとのことです。

すでにファン・デル・リンデン氏らが主張する思想の予防接種は、現実世界にも応用されています。2018年にファン・デル・リンデン氏らが開発したオンラインゲーム「Bad News」は、「フェイクニュース業界のトップ」になることを目的にして、さまざまな誤情報を拡散するというゲームです。

実際に「Bad News」をプレイすることにより、フェイクニュースを信じにくくなることも報告されています。

ゲームをプレイするだけで「フェイクニュースのワクチン」を接種できることが判明 - GIGAZINE


また、「フェイクニュースの戦術を解説する動画」をYouTube広告で流すことで、人々のフェイクニュースを見抜く能力が高まるという研究結果もあります。

「フェイクニュースの戦術を解説する動画」をYouTube広告で流してフェイクニュースを見抜く能力を高める試み - GIGAZINE


思想の予防接種には大きな効果があるように思われますが、このアプローチに反対する声も上がっています。コーネル大学の心理学者であるゴードン・ペニークック氏は、誤情報に用いられる「感情を喚起するような言葉遣い」は正しいニュースにも使われており、思想の予防接種が逆に本当のニュースへの信頼性を失わせてしまう可能性があると指摘しています。

ペニークック氏は2023年12月に行われたファン・デル・リンデン氏との討論会で、ニューヨーク・タイムズが新型コロナウイルス感染症(COVID-19)について報じた記事で、COVID-19で亡くなった人々の名前を列挙したケースを取り上げました。「ヘッドラインを見て泣いた人もいたと思います」「これが操作的なテクニックだと思うかどうかはあなたの考え方次第でしょう?COVID-19に懐疑的な人は、これを操作的だと考えるかもしれません」と、ペニークック氏は述べています。

これに対してファン・デル・リンデン氏は、確かにもっともな懸念だと認めつつも、人々が誤情報に含まれる複数の異なる特徴について学ぶほど、誤情報かどうかを見分ける精度が高まると主張。また、たとえ評判のいい新聞であっても、人々の感情をかき乱すような記事を掲載したならば、人々が記事の信頼性を低く見積もるのは妥当なことだとも指摘しています。

他にも、思想の予防接種はあくまで情報の受信者に焦点を当てたものであり、誤情報の拡散から利益を得ているXやFacebook、TikTokといったソーシャルメディア企業から批判の矛先をずらしているという指摘もあります。ペンシルベニア大学の社会学者であるサンドラ・ゴンザレス・バイロン氏は、「思想の予防接種は体系的な問題に対処するよりも簡単ですが、個人にすべてのプレッシャーをかけています」と主張しました。


2023年に行われた研究では、思想の予防接種を含む9つの異なるアプローチが、人々の誤情報を見抜く能力にどのような影響を及ぼすのかが調査されました。結果は、「誤情報を見抜く能力を高める特効薬はない」というもので、どれもある程度は機能するものの、突出して効果的なアプローチは確認されませんでした。それでも、思想の予防接種を含む複数の効果的なアプローチを見つけ、それを重ね合わせて効果を高めることは可能だという考えもあります。

ペニークック氏は誤情報に対処するため、ソーシャルメディア企業を対象にした体系的なアプローチが必要だと主張しており、ファン・デル・リンデン氏もそれに同意しています。ファン・デル・リンデン氏は、「私は心理学者なので、個人に対する解決策に偏っています。しかし、幻想を抱いているわけではありません。皆さんも知っている通り、構造的な解決策も必要なのです」と述べました。

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in サイエンス, Posted by log1h_ik

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