サイエンス

新型コロナウイルスワクチン開発に寄与したことでノーベル賞を受賞した研究者カリコー・カタリン氏の研究は苦難の連続だった

by Chris Boland

新型コロナウイルスの流行に際して実用化された「mRNAワクチン」開発の立役者となり、ドリュー・ワイスマン氏とともに2023年のノーベル生理学・医学賞を受賞したカリコー・カタリン氏のこれまでの研究生活は順風満帆なものではありませんでした。カリコー氏に対して30年以上にわたってペンシルベニア大学が行った数々の所業について、海外メディアのThe Daily Pennsylvanianが取り上げています。

'Not of faculty quality': How Penn mistreated Nobel Prize-winning researcher Katalin Karikó | The Daily Pennsylvanian
https://www.thedp.com/article/2023/10/penn-katalin-kariko-university-relationship-mistreatment


ペンシルベニア大学の脳神経外科の非常勤教授を務めるカリコー氏は、医学部教授のワイスマン氏とともに、2022年のノーベル生理学・医学賞に選ばれました。両氏はmRNAを体内での炎症反応なしで投与するための方法を開発し、従来医薬品として利用することが困難だったmRNAをワクチンとして使用するための基礎を確立しました。2020年の新型コロナウイルスの流行の際には、カリコー氏らが開発した技術をもとに、さまざまな製薬会社がワクチンの開発に乗り出し、人々へのワクチンの投与が行われました。

ペンシルベニア大学のリズ・マギル学長は「私たちは、カリコー氏とワイスマン氏が、世界中の多くの人々の役に立つ並外れた仕事を成し遂げたことを誇りに思っています。ペンシルベニア大学においては彼ら以上に優れた模範はいないでしょう」と両氏の功績を祝福しています。


しかし、カリコー氏がノーベル賞を受賞するまでにはさまざまな苦難がありました。

1989年にペンシルベニア大学医学部の非常勤教授に着任したカリコー氏は、心臓専門医のエリオット・バーナサン氏のもとでmRNAの研究に従事していました。しかし、カリコー氏の研究は医学部の上層部には認められず、カリコー氏は純水などの基本的な実験用品を使うことも認められなかったほか、研究のための助成金申請もすべて却下されました。


1994年にはカリコー氏に対して大学側は、准教授の地位に昇進させるつもりがないことを通知。さらに1997年には指導教官であるバーナサン氏がペンシルベニア大学を去り、カリコー氏はさらなる苦境に立たされました。カリコー氏は「研究に対する助成金や支援金を受けられなかっただけでなく、医学部の上層部のような権力を持つ人からのリスペクトも得られませんでした」と振り返っています。

それでも、同僚のデビッド・ランガー氏がペンシルベニア大学の脳神経外科部長を説得してくれたことによって、カリコー氏は研究部門の上級責任者として引き続き大学に在籍することができました。ランガー氏は「1997年当時に、もしもカリコー氏が大学を去っていたら、新型コロナウイルスに対するワクチンは存在していなかったかもしれません。カリコー氏は信じられないほど勤勉で天才なので、いずれmRNAの分野で大きな成果を挙げることを私は確信していました」と述べています。

その後、カリコー氏は後にノーベル生理学・医学賞の共同受賞者となるワイスマン氏と出会い、両氏はmRNA技術の研究で協力を始めました。研究費不足や大学側からの圧力を受けながらも、カリコー氏とワイスマン氏は2005年、後にノーベル賞受賞のきっかけとなった論文を発表しました。ワイスマン氏は「1990年代後半に共同でmRNAに関する研究を始めた私たちは、何が炎症反応を引き起こすのか、そして炎症反応を取り除く方法について発見し、2005年に発表しました。発表当時は学会からの評価はほとんど受けられませんでしたが、2010年頃から、一部の研究者や企業がmRNAワクチンの可能性について興味を持ち始めました」と語っています。また、カリコー氏は「mRNAの可能性を発見した時、私たちは何でもできるという幸福感に包まれました。また、この発見は将来の医療において大きな進展につながるだろうという確信がありました」とのコメントを残しています。

by ruperto miller

カリコー氏らが開発したmRNA技術の特許を取得したペンシルベニア大学は、特許のライセンス供与方法について、最終決定権を持つことになりました。カリコー氏らは、今後の研究の報告制をコントロールするために、特許を自分たちが所有することを大学側に主張しましたが、この要請が受け入れられることはなく、特許は別の会社に売却されました。

2010年、カリコー氏は研究職から教員職に戻して欲しいと大学に要望を出しました。この要望は受け入れられましたが、2013年にカリコー氏が研究室に戻るとすべての荷物が箱詰めされ、部屋の片隅に置かれていたとのこと。研究スペースが撤去されたカリコー氏はペンシルベニア大学を離れ、mRNAベースの技術に焦点を当てたドイツの製薬会社・バイオンテックの所属となりました。


ランガー氏は「ペンシルベニア大学におけるカリコー氏の上司の多くが、彼女の研究がもたらすその後の影響や成功を認識していなかった可能性があります。誰かの価値や最終的な成功は、必ずしもすぐに明らかになるとは限りません」と述べています。

カリコー氏の元同僚のロバート・ソボル氏は「今回のノーベル賞受賞は、カリコー氏の不屈の精神がもたらしたものだと思います。新型コロナウイルスに対するワクチンにおいては、カリコー氏が多くの研究者の20年先を行っていたことが明らかになりました」とカリコー氏らの功績を称賛しています。また、元同僚のデビッド・スケールズ氏は「ペンシルベニア大学をはじめ、多くの研究機関が、資金繰りなどに苦しめられた結果、別の研究機関へと去って行ってしまう研究者が、後にカリコー氏のような功績を残すことについて考えるきっかけになってほしいと考えています。具体的には、カリコー氏らのノーベル賞受賞が、研究者に対する研究資金配分の見直しを促すことを期待しています」と述べています。

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in サイエンス, Posted by log1r_ut

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