「所有しない購入」となった電子書籍経済のあり方と今後の展望とは?
電子書籍の大きな特徴として、多くの場合で電子書籍は厳密には「書籍を購入」することはできず、「書籍へアクセスするライセンスを購入」というような形になります。そのため、紙の書籍を購入した場合には本をそのまま保存することもコピーしたり人にあげたりすることも可能ですが、電子書籍はコピーガードが付いていたり、内容が更新・変更されたり、削除されて読めなくなったりするケースもあります。そのような「反所有主義」となった電子書籍市場の特徴や現在のあり方、今後の重要な展望についてまとめた論文を、ニューヨーク大学法科大学院のエンゲルベルクセンターが公開しています。
The Anti-Ownership Ebook Economy
https://www.nyuengelberg.org/outputs/the-anti-ownership-ebook-economy/
(PDFファイル)The Anti-Ownership Ebook Economy | How Publishers and Platforms Have
Reshaped the Way We Read in the Digital Age
https://www.nyuengelberg.org/files/the-anti-ownership-ebook-economy.pdf
本のデジタル形式への移行に伴って、出版社による書籍販売への考え方は大きく変わりました。電子書籍販売を書籍データのダウンロードではなく、限定されたライセンスのみの提供にするというほとんどの出版社による集団的な決定によって、無料コピーの流出の心配がなくなったことに加えて、「経済的」「法律的」「技術的」「心理的」な重要な変化があったとエンゲルベルクセンターは指摘しています。
まず経済的には、各種プラットフォームと出版社は「電子書籍は、収益を産み出す方法をより細かく制御できる」と考えています。紙の本の場合は追跡が難しい読者属性などの情報が、電子書籍のプラットフォーム上では監視しやすくなります。また、本を貸す権利を図書館に与える代わりに追加料金を請求したり、本の購入や読書体験に関するユーザーデータを販売したりするやり方で、新たな収入源を生み出すことにも成功しています。
さらに、電子書籍には独特の経済性が大きく分けて2点あります。1つ目に、電子書籍の出版にかかる費用について。物理的な印刷が必要にならない分、比較的安価に作成できると考えられる電子書籍ですが、書籍が読まれるデバイスの種類や大きさによって文字や画像のサイズを考慮する必要があるため想像以上にデザイン上の手間がかかるという意見や、リフロー型を用いることでかなり容易に応答性が高い書籍を出版できるという意見もあり、必要な費用が物理的な書籍よりも曖昧になっています。2点目に、物理的な書籍とは異なり電子書籍は「在庫」が存在しないため、需要と販売数が等しくなることも特長です。
また法的には、販売からライセンス契約への移行により、何世紀にもわたって書籍の販売を管理してきた法律を回避することができるようになっています。知的財産法において「権利者から正当に購入した製品は使用したり再販売したりしても権利侵害にはならない」という「消尽」と呼ばれる考え方があるほか、日本では書籍の販売金額を管理する再販売価格維持制度(再販制度)という制限があり、出版社は書籍の扱いを制限する制度に長く縛られていました。
有名な訴訟として、ボブズ・メリル対ストラウス事件という1908年の判例があります。出版社のボブズ・メリルは、とある本に「いかなる場合もこの本を1ドル未満で販売することは認可されていない」と明記し、本を購入したストラウス兄弟が1ドル未満で本のコピーを販売しようとした時に、価格の強制を求めて訴訟を起こしました。最終的にアメリカの最高裁判所は、購入した本を販売するのに出版社からの許可は必要ないとの判決を下しました。
電子書籍の場合はこれらの制限に縛られず、購入後のデータを厳しく管理したり、販売する価格を自由に決定・変更したりすることができます。
技術的には、出版社は書店の代わりにAmazonやAppleなどのプラットフォームに頼ることで、書籍を購入する前の行動や購入した人の情報を取得できるだけではなく、書籍の販売後にも関与し続ける機会を得ることができました。購入した後のコンテンツの内容を変更したり、場合によっては削除したりすることも可能になっているほか、「いつどのように読書するか」を監視することができるプラットフォームも存在しています。
さらに心理的な面としては、出版社とプラットフォームのパートナーシップにより、出版社が長年抱いてきた「法的および技術的管理を強化すれば、より大きな金銭的報酬を得ることができる」という信念が、デジタル形式への移行によって強化されたとエンゲルベルクセンターは指摘しています。この心理が根付いているのは、電子書籍プラットフォームが出版社を提携関係に縛り付けており、その関係を解くことが極めて困難になっていることが一因と考えられるそうです。
論文では、物理的な書籍の市場を単純化すると以下の画像のように「出版社と購入者で二極化」して考えられるとしています。書籍の著者は出版社に販売を委ね、出版社は書籍を経済的管理下に置き、購入者は購入によって書籍を出版社の管理から外します。書店はこの二極の仲介者としての役割を担い、出版社による書籍管理と、購入者による書籍の解放との両方をサポートします。購入者は個人のユーザーである場合も、図書館などの機関である場合もありますが、書籍が購入されると出版社の管理から離れ、使用・処分などの権利が購入者に所有されます。
一方で、電子書籍市場はいくつかの重要な点で異なっています。最も大きな違いは、物理的な書籍市場では流れが一方向にのみ動く完結的なものであるのに対し、電子書籍市場では書店の代わりにプラットフォームが入ることで、取引にかかわる全ての人が「長期的なつながり」を持つこととなる点です。出版社とプラットフォームが協力することで、物理的な書籍市場では不可能な方法で、購入者の情報と書籍のコピーなどの行動を管理できます。
出版社とプラットフォームの利益が一致しない事項もありますが、基本的には「出版社とプラットフォームのパートナーシップによる利益の一致が、物理的な書籍市場とは大きく異なる電子書籍市場を生み出す十分な力になりました」とエンゲルベルクセンターは主張しています。物理的な書籍の市場をコントロールする意図は裁判所の判断によって繰り返し断念してきましたが、裁判所はデジタル所有権をどのように扱うかについて決定しておらず、出版社はこの未解決の法的問題を利用する事で、電子書籍市場ではうまく管理することに成功しています。
またエンゲルベルクセンターは、ライセンスの形を採る電子書籍によって図書館利用への懸念を出版社が抱いていることを示しています。通常、図書館では購入しなければ「所有」できない本を一時的に「借りる」ことで読むことができます。ここでは「所有」と「借りる」という大きな差があるため、「図書館があるせいで書籍が売れない」という問題は浮上しにくくなっています。しかし、電子書籍の場合は、購入した時の「ライセンス付与」と、借りた時の「ライセンス貸与」とでユーザーの読書体験がほとんど変わらないため、「ライセンス購入よりも図書館を優先してしまうのではないか」と出版社は懸念しています。
出版社はまた、図書館で電子書籍を貸し出すことで、「電子書籍の価値がゼロである」ことを読者に「訓練」してしまうのではないかと懸念しているそうです。これも同様に、物理的な書籍の購入と貸し出しの関係と比べて、電子書籍の購入と貸し出しは類似しているという出版社の認識によるものです。さらに、紙の本は劣化するため「新しい本がほしい」という需要や、図書館による再購入なども行われますが、電子書籍の場合はその可能性がなく、長期的な再購入が見込めないという懸念もあります。
2011年ごろには、多くの大手出版社が電子書籍の貸し出しについて働きかけています。イギリスのペンギン・ブックスは「セキュリティ上の懸念」を理由に多くの図書館で使用されていたOverDriveでの電子書籍図書館サービスへの提供を停止しました。フランスのアシェット・リーブルは一部タイトルの電子書籍について図書館への提供を停止したり、特定のタイトルの価格を2倍に引き上げたりといった施策をしています。
また、英語圏で5大出版社の一角として知られるハーパーコリンズは、電子書籍ライセンスの上限を26件に設定し、26回貸し出したら図書館はその書籍を割引価格で再購入するよう定めました。その他、アメリカのランダムハウスは図書館電子書籍の価格を2倍~3倍程度まで値上げしつつ借りる利用者のデータを共有するよう要請していたり、イギリスのマクミランは期限付きのライセンスに加えて貸し出しオプションに「今すぐ購入」のオプションを併記するよう要請していたりします。
「図書館に電子書籍のライセンスを供与するビジネス」の問題点とは? - GIGAZINE
主に出版社と購入者という2つの利害関係のバランスで成り立つ物理的な書籍市場と比べて、電子書籍市場はプラットフォーム上で継続的に購入データを管理するライセンス方式のため、利害のバランスがより複雑です。そのため、利害のバランスを成立させるために出版社やプラットフォームは継続した働きかけを続け、データ追跡とライセンス管理という方法で新しい市場が生まれているという点が電子書籍市場の大きな特徴となっています。
エンゲルベルクセンターは、「法的および技術的な変化により、購入者や読者の利益よりも出版社やプラットフォームの利益が優先される傾向にある新しい市場構造が生まれました」と結論づけています。またエンゲルベルクセンターは、個人または機関の消費者に、いかなる場合でも電子書籍を「所有」するオプションが提供されないことに疑問を呈した上で、「購入した電子書籍を複数のプラットフォーム上で閲覧可能にして、消費者がプラットフォームの移行をしやすくする」「ライセンス契約という従来の形の他、『購入』するオプションの提供を義務づけて、コピーを保存したり再販したり読んでいる間監視されない権利を得たりすることができる」という2点を提案しています。
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