アート

ペスト(黒死病)は中世ヨーロッパの芸術にどんな影響を与えたのか?


ヨーロッパで14世紀から流行したペストは、ルネサンス期に芸術の中心地であったイタリアの都市、シエナを中心に活動したシエナ派の画家たちを始め、多くの芸術家に大きな影響を与えました。ペストが芸術面に引き起こした変化を、2017年のピューリッツァー賞受賞作家であるヒシャーム・マタール氏が語っています。

Hisham Matar on how the Black Death changed art forever | Books | The Guardian
https://www.theguardian.com/books/2020/jun/06/black-death-plague-pandemic-art-imagination-hisham-matar

14世紀のイタリアでは、国外の商船が頻繁に出入りしていたシチリア島からペストの感染が広がり始めたとされています。「すべての病は神からもたらされたものだ」と考えていたシエナの画家たちは、シチリア島で流行しているペストを「自分たちの罪に対する罰である」と考えました。教会もその考えを奨励し、多くの司祭は「神の罰を受けている」という理由で感染者への祝福を拒否。ほとんどの信者は神への祈りと懺悔に専念し、人々の思想と価値観が変化していきました。


マタール氏によると、もともとシエナ派の画家は宗教的な絵画においても、人間の心理や思想への好奇心をその絵画に反映させる傾向があったとのこと。しかし、ペストの流行によってシエナ派の画家たちに死に対する思想が形作られるだけでなく、神への信仰心が高まり、教会への強い信頼が植え付けられました。結果、ペストの流行によって莫大な資金と影響力を得た聖職者が画家たちのパトロンとなり、画家たちが何を描くかの決定権は聖職者たちに委ねられるようになりました。

シエナにあるプッブリコ宮殿の壁画を描いた画家、タデオ・ディ・バルトロは、シエナの伝統を継承するだけでなく、新たなパトロンである聖職者の好みに合わせてた作品を生み出さなければなりませんでした。そんな中で彼が描いた作品である「The Funeral of the Virgin(聖母の葬儀)」は、ペスト流行前までのシエナ派には存在しなかった死というテーマが強く表れており、「聖母を運ぶ使徒の1人1人にも、見物人にも、まるで死を想っているかのような孤独が見られます」とマタール氏は述べています。


シエナ派の画家だけでなく、ミケランジェロ・ブオナローティレンブラント・ファン・レインヨハネス・フェルメールといった著名な画家の多くもペストの脅威を経験しています。ペストの脅威は画家たちの心の中に入り込み、「死は身近で避けられない」という考えを植え付けました。実際、ミケランジェロは弟子のジョルジョ・ヴァザーリに宛てた手紙の中で「『死』が刻まれていないような考えは私の中には生まれない」と記しています。

マタール氏は、イタリアの詩人であり小説家でもあるチェーザレ・パヴェーゼ氏の「芸術は人生の罪に対する防御である」という言葉を挙げ「真の芸術は常に兆候であり、啓示でもあります。それは喜びや慰めを与えるだけでなく、現在と私たちの居場所を考えるためのツールでもあるのです」と語っています。

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in アート, Posted by darkhorse_log

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