「免疫パスポート」が抱える10の問題点
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)に感染して免疫を得た人については外出や移動などの制限を解除するという「免疫パスポート」の考えが各国で持ち上がっています。しかし、この考えに対し、実践的・倫理的な面で合計10の問題点があると専門家が指摘しています。
Ten reasons why immunity passports are a bad idea
https://doi.org/10.1038/d41586-020-01451-0
問題点を指摘したのはハーバード大学医学大学院のScientific Citizenship Initiativeでアドバイザーを務めるナタリア・コフラー氏と、カナダ・ダルハウジー大学の哲学(生命倫理学専門)の教授、フランソワーズ・ベイリス氏です。
01:SARS-CoV-2に対する免疫についてまだ謎が多い
SARS-CoV-2に対する免疫は、将来の防御に十分なだけの抗体が作られるものなのか、どの程度の安全性があるのか、そもそもどれぐらい続くのかがまだ分かっていません。2002年から2003年にかけて流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)の原因であるSARSコロナウイルスや、2012年以降に確認されているMERS(中東呼吸器症候群)の原因のMERSコロナウイルスなどに対する免疫反応から、保護期間は1~2年だと推測されていますが、風邪に近いものなのであれば、保護期間はもっと短くなる可能性があります。
02:検査の信頼度の低さ
血液中のSARS-CoV-2抗体を測定する検査は、ウイルスの有病性や広がりを評価するための貴重なツールとなり得ますが、その質や有効性には大きなばらつきがあります。検査の中には感染者を正しく陽性であると判定する確率である「感度」が99%、感染していない人を正しく陰性であると判定する確率「特異度」が99%のものもありますが、大部分は信頼できないものであることを予備的データが示唆しています。
03:必要とされる検査の数が現実的ではない
国家的な免疫認定プログラムには数千万件から数億件の検査が必要となります。たとえば、ドイツは人口が約8400万人ですが、すべての市民の免疫テストを2回以上行うということは最低で1億6800万件の検査が求められます。1人につき最低2回の検査が必要なのは、結果が陰性だった人は後日感染する可能性があり、再度の検査で免疫の証明を受ける必要があるためだとのこと。ドイツでは2020年6月から、スイスのロシュ・ファーマシューティカルズによる毎月500万件の検査が行われることになっていますが、そのカバー率は人口の6%です。
検査対象を医療従事者に限定したとしても十分な検査数は確保できません。アメリカの場合、必要な検査の数は1600万件以上と目されますが、これまでにアメリカで実施されてきた検査の数は1200万件。検査率が高いといわれている韓国でも、人口比だと1.5%に対しての検査しか行われていないとのこと。
04:回復者が少なく経済効果が薄い
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)からの回復者の数は場所により大きく異なり、アメリカやドイツでの報告では14%~30%が報告されていますが、WHOによれば回復したのは世界の人口のうち2~3%だとのこと。また、検査数の問題や有病率の低さもあって、「働ける」と認定される人の数は非常に少ないものになるとみられています。アメリカの場合、報告されている症例数に基づくと、「働いてOK」なのは人口のわずか0.43%になるとのこと。
05:監視によるプライバシー侵害
「免疫パスポート」のポイントは移動が管理されるということ。つまり、「免疫パスポート」には本人確認と監視のシステムも含まれることになります。さらに、紙のパスポートだと偽造に弱いため、不正への耐性があり追跡・再検査・免疫の状態の更新についても利便性の高い、スマートフォンアプリに統合された電子文書の方がよいということになりますが、プライバシーが侵害される恐れが高まります。
中国ではスマートフォンで表示させたQRコードを用いて公共施設への出入り制限を行っていますが、位置情報・旅行履歴・接触者・体温・最近の病歴を含む健康情報などもすべて報告されているとのこと。この仕組みは、パンデミック収束後も継続される可能性が高いとみられています。
06:社会的に疎外されたグループが詮索される
社会の監視が強まるということは警察による取り締まりが強化されるということであり、プロファイリングが進んで、人種、ジェンダー、宗教、その他のマイノリティへの潜在的な危害の恐れも強まります。すでに世界的に、アジア系に対する人種差別の増加が報告されています。
そもそもパンデミック以前からアメリカでは有色人種に対する偏見が存在し、2019年にニューヨークで警察による職務質問を受けた人の88%はアフリカ系やラテン系の人でした。また、2020年3月から5月の間に「物理的距離」違反で逮捕された40人のうち、35人は黒人でした。
「免疫パスポート」が監視と警察の活動の企みのもとになることは懸念すべき点です。アメリカやブラジル、イランでは感染拡大を食い止めるために刑務所にいた受刑者にデジタルブレスレットを着用させて釈放する「デジタル投獄」を行っていますが、この「デジタル投獄」は特定の地域社会の監視にも利用できます。もし、この監視が移民と結びつけられた場合、さらなるリスクが懸念されます。
07:検査の不公平さ
検査できる数が限られているため、多くの人は抗体検査を受けることができませんが、富裕層や権力者は検査を受けられる傾向が高いことが示唆されています。2020年3月上旬、アメリカでは多くの州で検査数が1日20件以下でしたが、スポーツ選手やテック企業の幹部、映画界の著名人が検査を受けることができていました。
08:社会的階層化
COVID-19の状態で人々を分類することは、新たな「持つもの」「持たざるもの」の誕生につながります。ワクチンが無料で手軽に手に入るような状態なのであれば、人々は自分でワクチンを打つか打たないかを選べますが、ワクチン入手が難しい状況だと、免疫を獲得できるかどうかは「運」「お金」「個人的事情」に左右されることになり、社会的・経済的な不公平が増幅されます。たとえば、「COVID-19にかかる恐れのある人は雇いたくない」と考える経営者は、免疫のある人を優先的に雇う可能性があります。
また、免疫パスポートを実施しない・実施する気のない国の人は、免疫パスポートを実施している国への渡航を禁止されるなど、国家的な対立を助長する恐れもあります。ロシア、エジプト、シンガポールなど性的マイノリティの権利を侵害するような法律がある国では、HIVの人々の入国・生活・就労に制限があるという実例があるとのこと。
09:新たな形態の差別
免疫認証プラットフォームはメンタルヘルス、遺伝子検査の結果など、さらなる個人情報を記録するように拡大されることが考えられます。最初は「免疫パスポート」として運用されているものでも、将来的に「包括的生物学的パスポート」となる可能性があります。もし、経営者や保険会社、警察官といった人々が自分たちの利益のためにこの情報にアクセスできるようなら、プラットフォームは新たな差別を生むリスクであるといえます。
10:公衆衛生への脅威
免疫がある人に対してある種の社会的・経済的な自由が与えられるようになると、「免疫はないが健康」という人が「あえてウイルスに感染する」ことでインセンティブを得ようとする可能性があります。「経済的に苦しい人があえて感染する」のは十分に考えられるほか、免疫パスポートを不正に入手する事例の発生も懸念されます。
こうした理由から、コフラー氏とベイリス氏は「免疫パスポート」よりも、すでに有効であることがわかっている「検査・追跡・隔離」を進めるために、健康状態・位置情報を含めて匿名化された安全なアプリの導入と、ワクチンの開発・生産・世界規模の配布に、時間とお金を投資すべきであると提言しています。
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