なぜ「1つの国に同じ単位なのに価値が違う2種類の紙幣が存在する」という奇妙な現象が起きたのか?
世界中では円・アメリカドル・ユーロ・人民元・ウォンなど、国や経済共同体ごとにさまざまな通貨が流通していますが、1つの国で使われる通貨は1種類であることが当たり前だと考えられています。ところが、アラビア半島南端部に位置するイエメンでは、事実上「1つの国に同じ単位なのに実質的な価値が違う2種類の紙幣が存在する」という奇妙な現象が発生していると、ブロガーのJP Koningさんが解説しています。
Moneyness: One country, two monetary systems
http://jpkoning.blogspot.com/2020/05/one-country-two-monetary-systems.html
世界で最も貧しい国の1つであるイエメンは、イエメン中央銀行が発行するイエメン・リアルを通貨として使用しています。通常であれば「全ての10イエメン・リアル紙幣は同じ価値を持っている」はずですが、2019年12月から「2016年以前に発行されたイエメン・リアル紙幣」と「2017年以降に発行されたイエメン・リアル紙幣」の実質的な価値に差が生じているとのこと。
この事態により、イエメンでは「2016年以前に発行されたイエメン・リアル紙幣の価値が、2017年以降に発行されたイエメン・リアル紙幣より10%ほど高い」という状態になっているそうです。これを日本の通貨でたとえると、同じ1000円札であっても「図柄が夏目漱石の古い紙幣」の方が「図柄が野口英世の新しい紙幣」より10%ほど価値が高い状態といえます。
by Alexandre Macedo
こうした奇妙な現象の発端となったのが、2015年に発生したイエメン内戦です。イエメン国内ではムハンマド・アリ・アル・フーシを中心とするフーシ派が勢力を強めており、2014年には首都のサナアを占拠し、2015年にはアブド・ラッボ・マンスール・ハーディー暫定大統領が辞任。その後、ハーディー暫定大統領は南部に脱出して辞意を撤回し、フーシ派、ハーディー大統領派、アラビア半島のアルカーイダ傘下の民兵組織を巻き込んだ内戦に突入しました。
以下の地図が、イエメン内戦によって各地域を実効支配する勢力について表したもの。イエメンの首都であるサナアを含む黄色く塗られた北西部をフーシ派が、薄い水色に塗られた南東部を国際的に認められたハーディー大統領派の政府が支配し、濃い水色に塗られた沿岸部の一部地域にアルカーイダの勢力が浸透しています。元の首都を失ったハーディー大統領派は、港湾都市であるアデンを暫定首都に定めているとのことで、基本的にはフーシ派とハーディー大統領派の対立として内戦が続いています。
by Aljazeera
サナアにあったイエメン中央銀行は、内戦の当初はフーシ派とハーディー大統領派のどちらか一方につくことをせず、中間勢力にとどまることを選択しました。そのため、イエメン軍に政府からの給与を支払う立場にあった中央銀行は内戦の初期、フーシ派を支持した元政府軍の兵士にも、ハーディー大統領派についた政府軍の兵士にも同時に給与を支払っていたとのこと。
2016年にはハーディー大統領派の暫定政府が中央銀行をアデンへ移転することを強制し、結果的にサナアの中央銀行が新たに紙幣を刷ることができなくなりました。2016年後半までに中央銀行は2つに分裂し、サナアにある中央銀行はフーシ派勢力によって管理され、アデンの中央銀行は暫定政府が管理することとなったそうです。
やがて暫定政府が管理する中央銀行は、ロシアの紙幣製造業者であるGoznakに、新たなイエメン・リアル紙幣を印刷するように注文しました。2017年にアデンへ到着したイエメン・リアル紙幣は、色合いや数字の表記、文字の位置などが2016年以前のリアル紙幣と違ったため、よく見れば古い紙幣と区別をすることが可能な状態だったとのこと。以下の写真が旧イエメン・リアル紙幣で……
by ValeewIldar
こちらが新イエメン・リアル紙幣。旧イエメン・リアル紙幣は右上の数字がアラビア語と共に使われるアラビア・インド数字である一方、新イエメン・リアル紙幣は欧米諸国などで一般に使われるアラビア数字であるといった違いが見られます。
by BanknoteNews
フーシ派は自分たちが支配する地域で新イエメン・リアル紙幣が流通することを嫌い、2017年から新紙幣の流通を規制し始めました。そして2019年12月18日にフーシ派勢力は新イエメン・リアル紙幣の利用を完全に禁止し、新イエメン・リアル紙幣と旧イエメン・リアル紙幣の交換を地域全体で実施しました。フーシ派は所持している新紙幣を持って来た住人に対して、1人当たり最大で10万イエメン・リアル(約170ドル/約1万8000円)の旧紙幣を渡し、これ以上の金額は銀行の残高として計上したとのこと。
イエメン北東部に当たるフーシ派の支配地域で新イエメン・リアル紙幣が禁止されたことにより、新旧イエメン・リアル紙幣の価値に差が生じ始めました。以下の画像は、世界銀行の調査に基づいてイエメン国内の実質的なドル対イエメン・リアル為替レートについて表したグラフです。2019年12月ごろから青色の旧イエメン・リアル紙幣とオレンジ色の新イエメン・リアル紙幣の価値が開いており、旧イエメン・リアル紙幣だと約600イエメン・リアルで1ドルに相当する一方、新イエメン・リアル紙幣だと1ドル当たり660イエメン・リアルほどとなっています。
by World Bank
旧イエメン・リアル紙幣と新イエメン・リアル紙幣の価値に違いが生じた理由の1つが、2016年以前に発行された旧イエメン・リアル紙幣の数がこれ以上増えない一方で、新イエメン・リアル紙幣は今後流通量が増加する可能性があるという点です。グレシャムの法則に当てはめると、より希少な旧イエメン・リアル紙幣が「良貨」で新イエメン・リアル紙幣が「悪貨」となり、実質価値の高い旧イエメン・リアル紙幣が手元に置かれ、価値の低い新イエメン・リアル紙幣が日々の支払いに利用されていることになります。
サナアの中央銀行で新イエメン・リアル紙幣の取扱いを禁止したため、今後はアデンの中央銀行が旧イエメン・リアル紙幣の取扱いを停止する可能性もあります。こうなると旧イエメン・リアル紙幣は「孤立」した状態になりますが、Koningさんは旧イエメン・リアル紙幣の流通が停止するとは考えていません。
たとえば、かつてソマリアで発行されていたソマリア・シリングは、1991年に発行が停止されました。ところが、新たな発行が行われなくなったことでインフレ率が抑制され、かえって周辺国の通貨より強くなるという現象が発生したため、発行停止から20年以上が経過しても流通しているとのこと。同様のことが、イエメン・リアルにも起きる可能性があります。
イエメンは内戦など多くの課題に直面していますが、通貨の混乱はさらなる負担となって国民生活を圧迫するとKoningさんは指摘。ほとんどの国では通貨が標準化されていることが当然と考えられていますが、通貨を統一するには技術と調整に多くの投資を行う必要があります。「ロサンゼルスとニューヨーク、バンクーバーとハリファックスで通貨の価値が同じことは、祝福する価値があるのです」と、Koningさんは述べました。
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