アナログの手紙を暗号化するために昔の人々はこうやって工夫していた
現代のデジタル通信に暗号化は必要不可欠となっていますが、情報がデジタル化される前、アナログの時代にも情報を暗号化する技術は利用されていました。イギリスの政治家でサンクト・ペテルブルグやパリで外交官として働いていたグランヴィル・ルーソン=ゴアの手紙から、その暗号をかいま見られるとして大英図書館がブログで公開しています。
Ciphers and sympathetic ink: secret love letters in the Granville papers - Untold lives blog
https://blogs.bl.uk/untoldlives/2020/02/ciphers-and-sympathetic-ink-secret-love-letters-in-the-granville-papers.html
ルーソン=ゴアは結婚していながらヘンリエッタ・ポンソンビーという女性と愛人関係にあり、2人は関係が深まるにつれ毎日のように手紙をやりとりするようになりました。2人の間には子どもが生まれましたが、子どもは非嫡出子だったため慎重に扱われなければなりませんでした。当時は特に、手紙が動かぬ証拠となって地位や評判、子どもさえも奪われてしまうことがあったため、2人はさまざまな方法で暗号化を行っていました。
手紙はメッセンジャーなどにより直接あるいは人を介して届けられました。ルーソン=ゴアがロシアを去ってからは、特使を使って2人は手紙をやりとりし続けたとのこと。これらの手紙は数日かけて書き上げられ、外交上の手紙だと見せかけるように番号が振られました。
安全性と機密性を高めるため、2人は共通の友人や著名人の名前をコードネームとして使用しました。ルーソン=ゴアは自分のニックネームを「アランデル」とし、ポンソンビーはロシア宛の手紙の中で「アン・ニュートン」としてサインしたとのこと。
以下はポンソンビーによってまとめられた暗号名のリスト。
そしてルーソン=ゴアがイギリスに帰ってきてからは、2人は使用人たちが読めないようにするためフランス語やイタリア語で手紙をつづるように。手紙の宛先となる住所や名前も偽物を使うようになりました。
以下が実際に送られた手紙。「Una mezza paroletta mio dolce tesoro……」とイタリア語で愛の言葉がつづられた後に、「イタリア語で書くなんてあなたは笑うかもしれませんが、私はマリーがどこかに行くのを待っているんです。彼女が手紙を読もうとしているのかどうかはわからないけれど」と英語で記されています。
また1798年の夏に2人は不可視インクや硫酸を使って「秘密の文章」作成を試みています。ヨーロッパでは没食子インクと呼ばれるインクがしばしば使われていましたが、没食子を含まない硫酸のみのインクは、書いた時に文字が現れず、上から没食子を塗って初めて文字が浮かび上がるという仕組みになっています。また不可視インクは熱に近づけると文字が浮かび上がるというインクです。入手しやすさでいえば不可視インクの方が容易とのことですが、ポンソンビーは硫酸のインクの方を好んだそうです。実際に、普通のインクと不可視インクで書かれた手紙は以下のとおり。
なお、2人の手紙のやりとりにはメイドや助産師、看護師といった下級の人々が非常に重要な鍵となっていたことが手紙から伺えます。ポンソンビーにはサラ・ピーターソンというメイドがいましたが、ポンソンビーがフィレンツェで急死した後、ピーターソンはルーソン=ゴアに援助を求める手紙を送っていることから、メイドであるピーターソンが2人の関係を熟知し、秘密を守っていたことがわかかるとのことです。
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