インタビュー

「イスラム国の正体」著者で元シリア大使の国枝昌樹さんインタビュー


今、世界を騒がせている「イスラム国」(イスラミックステート、IS)を称する組織はいったい何なのか、これまでに出てきたテロ組織とはどう違うのかを徹底的に解説した書籍が、2015年1月13日(火)に発売された「イスラム国の正体」です。今回、その著者であり、現在ISの主要な活動拠点となっているシリアでかつて大使を務めた経験のある国枝昌樹さんに、いろいろな話を伺ってきました。

目次
・外交官になったわけ
・外交官の「人質の解放交渉」とは?
・公邸料理人とは
・情報を「正しく」知るために
・大量の札束をバッグに詰めて運んだ大使
・アラブのブラックマーケット
・外交官の「尾行」
・「イスラム国(イスラミックステート、IS)」の呼び方
・「日本大使館はあてにならない、アメリカ大使館へ逃げ込め」は本当か?
・「誘拐事件」の今後
・外交官になりたい人へのアドバイス
・GIGAZINE読者に伝えたいこと

外交官になったわけ
GIGAZINE(以下、G):
国枝さんは大学卒業後、外務省に入省していますが、いつごろから「外務省に行こう」「外交官になろう」と思ったんですか。

国枝昌樹(以下、国枝):
家庭の雰囲気がありましたね。明治維新後に曽祖父が米国の海軍大学で学んだとか、祖父が明治時代にドイツとイギリスとフランスに留学し、それから大正の末には祖父と祖母が二人で一年掛けて世界一周をしたとか、そういう話を子どもの頃から聞いていたということと、インドネシア、当時はオランダ領ジャワといいましたが、そのジャワの首都のスラバヤで両親が生活をしていたものですから、子どもの時から外国というものが身近な存在だったんです。


G:
なるほど。

国枝:
それから……小学生時代から朝日新聞を読んでいたわけです!(笑)外国のニュースもよく読んでいたので、最初は朝日新聞の記者になろうとしたんです。当時、有楽町に本社があったのでそこへ行って「1日8時間勤務ですか?」と聞いたら「君、来なくて良いよ」と言われまして(笑)、マスコミの道はそこで絶たれました。当時の私は身体が弱かったもので、どうしたものかと主治医の人に相談したら「外交官なら良いんじゃないの」と言われて「そうか」と思ったんです。申しわけないですけど、あまり青雲の志というものはないです(笑)

G:
いえいえ、現実味溢れる選択だったんですね。

国枝:
それで外国に行って……向こうで女性に会ってしまったんですよ。独身で20代半ば前後となると、女性に関心がありますからね。そうしたら、これがまた偶然なんですけれども、私の妻になった人の祖父と、私の祖父とは実は関係があった。

G:
えぇっ!?

国枝:
間を取り持ったのは日本人の有名な学者さんなんですけれども、昭和10年、私が生まれる10年以上前に妻の家に滞在してセミナーに参加されたことがあるそうなんです。それから38年経った昭和48年、その方がハイデルベルク大学の客員教授をなさっていたころ、妻の実家にほぼ40年振りにお越しになって、まだ存命だった妻の祖母が「私の孫娘の一人が日本のどこの馬の骨ともしれない男と結婚することになって……」と、私のファミリーヒストリーをその方に話したんですね。すると、先生が「それは私の恩師(牧野英一:東京帝国大学法学部教授)のお孫さんに違いない」と、すぐにお手紙をくださったんです。そのとき私はその方――滝沢克己さん――を全然存じ上げなかったので、手紙のことを兄に伝えたら「無知蒙昧なる弟だ、こんな有名な人はいないぞ」と言われました。そうして、ようやく私は19歳の時、祖父から「スイスにはこういう家庭がある」という話を聞いたことを思い出したんです。祖父牧野英一は日本刑法への人道主義の導入を主唱したのですが、その人道主義の重要な淵源にはヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチの主張があります。そして、妻の母方の実家はそのペスタロッチ一族なのです。

G:
何か映画や小説みたいですね。

国枝:
そうなんですよ。ちょっと写真をお見せしますが……これが妻の家と、そこから見える景色です。ここにその先生が来て下さったんです。妻の祖父母はここから80mほど離れた家に住んでいて、毎年夏になると20世紀を代表するキリスト教神学者であるカール・バルトがやってきて、夏を過ごしていたんです。1950年代の末まで40年近く。妻の母と、カール・バルトの長女は同じ「フランチスカ」という名前です。カール・バルトと妻の祖父が「お互いに娘ができたら同じ名前をつけよう」と約束していたそうです。母は結婚するときに事前にカール・バルトにだけ胸の内を明かして祝福を得、両親の反対を振り切って行動したのですが、娘が生まれたとき、また同じ名前をつけたので、母子で同じ名前なんです。親の勘当が解けるのに10年近くかかりました。

G:
話を聞いてると本当に小説みたいですね……。

国枝:
私が「父親がフランチスカと呼んだら、お母さんを呼んでいるのか君を呼んでいるのかわからない、どこに違いがあるのか」と聞いたら、「分かるんだ」と。明確な答えはなかったですけれども、分かるんだそうです(笑)。そういう風にして、カール・バルトを中心とする付き合いなんですけれども、私の祖父と向こうの祖父も知り合いだったんですね。


G:
なるほど……今の話を伺っているだけでも不思議な縁を感じますね。

外交官の「人質の解放交渉」とは?
G:
今回、インタビューするにあたって、国枝さんの書いた「報道されない中東の真実」と「イスラム国の正体」を読んだのですが、その中に「1990年の湾岸危機で日本人約200人が人質となった際には、在イラク大使館公使参事官として解放交渉等の対応にあたった」というエピソードが出てきますが、「人質の解放交渉」とは具体的に何をすることなんですか。


国枝:
サダム・フセインという大統領がいましたよね。1990年8月に彼がクウェートを占拠しちゃった。当時、クウェートには240人ぐらいの日本人がいらしたんですが、どこにも逃げられず、どこかへ行かなくちゃいけないというときにバグダッドに来られたんです。そして、私の目の前で240人みんなが人質にされてしまいました。これは屈辱的でした。現場の司令官に交渉しても向こうはサダム・フセイン大統領から「全部人質にしろ」と言われているわけだから、何とも交渉にならないんですね。私は、最後は兵士たちに両脇をつかまれて自動車の中にぶっ込まれました。人質のうちご婦人たちと子どもさんは1週間後に解放されましたが、男性は戦略的拠点、ダムだとか空港だとか工場だとか、そういうところにいわゆる「人間の盾」としてばらまかれたんです。そういう人たちの情報収集と解放交渉ということで、その仕事をしたわけですね。

G:
この場合、交渉をフセイン大統領と直接するわけにはいかないと思うんですが、まず取っかかりとしてどこから始めるものなんですか。

国枝:
まず、公式のルートは外務省です。外務省のアジア局長、そして次官、大臣です。外務大臣はサダム・フセインと直接の関係がありますから。当時の首相は海部俊樹さんで、ヨルダンに来られることになりました。イラク側も副大統領がヨルダンに行って海部首相と会うという話が流れまして、いざ行くか行かないかということで直前に交渉があり……向こうは副大統領から直接指示を与えられた局長が、こちらは大使がヨルダン入りしていたので私が、交渉に臨みました。彼は副大統領から直接電話で指示を受けているのでそれはもう緊張して、私の言葉をいちいちメモするわけですが、私としては下手なことを言って副大統領に「行くのやめた」と言われたら困りますから言葉を選んで。その結果、私の目の前で彼が電話で報告すると副大統領は「行く」と言ってくれたので良かったなと。言葉は数打ちゃ当たるでたくさん喋ればいいわけではなく、彼がメモを取っているから言葉も限られるので、譲らないで、かつ向こうにも出ることが必要だと思わせるような表現をしなければいけなくて、日頃使わない頭を使っちゃいましたよ(笑)

G:
それは現地の言葉でやられたんですか?

国枝:
英語でやりました。役所的には私はフランス語なんですが、相手がアラビア語の他は英語しか喋れなくて、私はアラビストではないですから英語でやっていました。

G:
なるほどなるほど。非常に生々しくて、言葉を選ぶというのがどういうことか、今の話を聞くと一端を垣間見られるような気がします。

国枝:
今言ったのが公のルートですよね。だけど、公のルートだけで物事が終わるわけではないから、別のルートも使うんです。

G:
別のルートというのは、言える範疇ではどういうものがあるんですか。

国枝:
それは秘密警察、治安当局ですね。結局は治安当局が人質については一番の責任を持たされていたわけなので、治安当局からいろいろと情報を得るし、こちらの要求を伝えます。あのときも現場の司令官と3時間ぐらい交渉して、最後は彼が苛ついて、周りのカラシニコフを持った連中に車にほっぽり込まれたんです。ただ、その前の彼の気分が良いときに、彼に電話番号を聞いておいたんですよ。それで電話したら、怒って「何ださっきの交渉は!?」とギャーギャー言ってガチャッと切られるんですね。それから3分ぐらいして電話をかけても「また電話かけてきやがった!」と切られます。そしてまた電話をかけると「金輪際電話して来るな!」でガシャン。でも、懲りずにこれを何回か繰り返すと、「なんだ!?」と話を聞いてくれるわけです。それで、彼の気持ちが収まったところで、こちらの要求を伝えるわけですよ。それを何回かすると、ある程度の要求は受け入れられるんです。最初は彼も怒っていましたが、やがて必要を感じたのか、翌朝私のところに来まして。門番に「お客さんが来ました!」と言われて、「お客さんなんて来るはずないよ」と返したら「来たんですよ!」と言う。誰なのか聞いたら「分かりません」と(笑)。本当は治安当局の司令官だって分かっているんですよ。そうして私が行ったら「あの件はこうだ」と伝えてくれて、交渉がその段階で一つは進みましたね。


G:
そういうことの積み重ねで交渉が成り立っていくんですね。

国枝:
常に何をされても諦めないことが大事です。お互いに人間だから、諦めなければ、一つ聞いてやろうとか、耳を傾けてやっても良いというような気持ちにもなるようですね。向こうも大統領からの直接の指示ですから、非常に緊張していますよ。こちらもこちらで在留邦人の方の生命や財産を守らなければいけないというのは、役人としての最大の務めであり、失敗すれば責任を取らなければならないから真剣だし、そうなるとお互いに通じ合うものが……変だね、「通じ合うもの」というと「お涙頂戴」みたいになってしまうけれども、緊張の中でもお互いの立場というものを理解し合って、その中で出来ることはする、ということですね。

G:
ふーむ、なるほど。

国枝:
200人近くの方々がいろいろなところに分散させられたときに、私たちは、どこに行ったのかといろいろ情報を探したわけですよ。初めは分からなかったんですが、最終的には95%ぐらいの方々はどこにいるのか分かりました。そのころ、バグダッドには駐在員の方々も百数十人いらしたんですよ。そういう人たちは入国ビザの他に、日本に帰るために当局から出国ビザをもらわないといけないんです。それで初めて飛行機に乗れるなんて、考えられないでしょう?

G:
入国のビザとは別に取得するんですね。

国枝:
そういうシステムが現実、今でもあるところがありますよ。それで出国ビザを発給してくれないものだから、彼らは留まらざるを得ないというか、軟禁状態になっているわけです。ところがここがすごいところで、皆さんは「自分たちはここで苦しんでいるけれども、現場のいろいろなところに回されてしまった人質たちは、さらに厳しい状態だろう」ということで、ある商社の支店長さんが委員長になって委員会を作って、おせんべいとかお菓子、そういうものをかき集めて人質になった人たちに送りたいと考えられたんです。それで、事前に私たちが向こう(イラク側)と交渉したんですが、治安当局のルートも正式なルートもOKと言ってくれて。それで支援物資をイラク側に渡しました。初めは半信半疑でしたよ、本当に届くのかなと。でも、思いもよらないところから、これが現場にたどり着いているということが分かりましてね、それがアメリカ大使館なんです。

G:
アメリカ大使館?

国枝:
そう、「お前のところ、せんべいとかいろいろと差し入れてるんだなぁ」と言われて……なぜ分かったのか聞いてみたら、人質というのは日本人だけじゃなく、アメリカ人やフランス人、ドイツ人も一緒になって戦略要衝に閉じ込められていたんですね。そうすると、日本人のところにだけせんべいが届いて、日本人はみんなに分け与えたんですって。そうしたらアメリカ人が感謝感激して、家族に「せんべいなんてのを初めて受け取って食べた」とか、日本人のところに来て「日本は良いことやるんだなぁ、アメリカは全然してくれねえよ」とか言ってたみたいで、アメリカ大使館は「文句言われちまった」とブツブツ言いながら報告してくれたんですよ(笑)。それで試みが本当に上手くいっているんだなと分かったんですけど、そういう面では拉致した側もちゃんと約束は守っているんですよね。

G:
なるほど、そういうのが分かるわけですね。

国枝:
そのときにつくづく考えたのは、やっぱり日本人の方々の心の温かさ、広さ、そして行動力です。自分たちが軟禁されていて、明日食べるものがなくなってしまうかもしれないというときに、自分たちが蓄えていたなけなしのせんべいなどをみんなに提供したわけですよ。

G:
そんなことがあったんですね……すごいです。

国枝:
すごい!それから、民間企業から派遣された日本人の専門家が駐在していたところから100mぐらい離れた場所に日本人の人質たちが閉じ込められているということがあったんです。その人は一計を案じて、自分が持っていた本をそばにいたイラク人に「あちらに日本人がいるかもしれないから、届けてやってくれ」と言って、届けてもらったんですって。人質はそれを読んで感激して、今度は本の扉の裏側に「どうもありがとうございました。私たちはこれこれこういう者で、今どこそこに閉じ込められています……」と楷書で全ての情報を書き込んだんです。ところが、イラク人にとっては漢字が書いてあっても楷書だと印刷だか手書きだか分からないわけですよね。

このような部分にメッセージを書いていたそうです


G:
あぁー、なるほど!

国枝:
その報告を受けて、我々が詳しい事情を知るということもありました。それからもちょっとやってみようということで、本をいろいろ入れ替えながら、また書いてもらって、こちらからも楷書で書いて、向こうもまた楷書で戻すということをしました。もう25年も前のことですけど。

G:
いろいろあるものなんですね……。

国枝:
これは邦人の方々のアイデアですよ。また、当時の片倉大使は行動的な方で、危険を賭して人質が置かれている現場にまで行ってその方々と言葉を交わしたりしました。

G:
いやあ、圧巻です。

国枝:
交渉ルートは交渉ルートでちゃんと仕事をしますけれども、みなさんもそのような形で本当に素晴らしいことをなさっていました。これはやっぱり知っていただきたいと思いますね。


公邸料理人とは
国枝:
あれは8月2日で、日中の気温が50度を超えていました。日本だとクーラーは6畳用だ10畳用だと買いますけれど、向こうはそうじゃないんですよ。

G:
というと?

国枝:
「何馬力」という買い方をするんですよ。だから、0.5馬力から始まって1馬力とか3馬力とかがあって、そういうものがガンガンうなっているんですが、それでも40度ぐらいまでしか下がらない。外に出ざるを得ないときはワイシャツを着て腕まくりをして外に出ますが、肌がチリチリしてきて「フライパンの上に置かれたベーコンはこんな気持ちになるんだろうなぁ」と感じたりして「あぁ、これがバグダッドなんだ……」と、そういう生活をしていたんです(笑)

G:
(笑)

国枝:
そのころはすでに妻子は退避させられていましたから、我々男だけになっていて、昼飯は大使館のみんなでお金を出してイラク人の自称コックを雇って、夜は自分で家で晩ご飯を食べていました。一日16時間から18時間は仕事してますから、家に帰るとシャワーを浴びてパッと寝るだけなんですけどね。そうすると、あるとき自称コックが出してきた料理を我々は一目見て「ヤバい!」と危機感を持ったんです。何かというと、大きなお皿の左半分にそばが置いてあって、右半分にケチャップが置いてあるんです。

G:
それは何なんですかね……(笑)

国枝:
「ヤバい、彼はこれをスパゲッティだと思っている可能性がある……」と思ってちょっと聞いてみると、案の定「スパゲッティ!」と言うわけですよ。「そばとケチャップでスパゲッティになるわけないじゃない!」と言って、まぁこれしかないから食べようということで食べたんですが……食べられないです。

G:
あはは(笑)

国枝:
翌日にはもうお引き取り願いました(笑) 彼は最後まで「これはスパゲッティだ!」と言い張っていましたが、日本そばがスパゲッティになるわけないですよ!それでその日は昼飯は抜いたんですけどね。


G:
ちょうどお伺いしようとしていたのが、大使になると「公邸料理人」というのを選ぶと思うのですがという話でした。「大使閣下の料理人」というマンガがあって、ドラマ化されたところだったりしますが。

国枝:
私は総領事のときと、大使を2回やりましたから、3回選びました。総領事時代には日本人コックさんで、今でも親しくしています。でも、私が大使として最初に行ったのはカメルーンで、二番目がシリアだったんですが、今時、日本のコックさんでアフリカとか中近東に行ってくれる人というのはほとんどいないんです。たとえ行ってくれたにしても、そういうところだと給料が高くなるわけですよね。すると、コックさんと私たちとは個人契約で、私たちのもらっている月給の中からコックさんの給料を支払うわけですよ、国からの補助もありますけど。

G:
ほうほう。

国枝:
でも「和食の専門家」なんていったら数十万円は払わなくちゃいけませんから、そうすると私たちの給料がなくなっちゃうわけですよ。生活できなくなっちゃう(笑) だから、今のシステムとして、バンコクの評判がいい日本食堂から推薦してもらったコックさんを3ヶ月間訓練して、公邸のコック兼運営のノウハウを授けて、試験をして合格となったら、そこで私たちが現場に行って、懐石料理を作ってもらって食べて、2人ぐらいを候補として挙げてもらうんですけど、バンコク往復とホテル代、そして懐石料理代も、全て我々個人負担。「これは公的なものではありません」と言って役所は一切出さない。公的なもののはずなんだけど……。

G:
えーっ……そうなんですか。

国枝:
私は妻も一緒に生活していますから、妻の判断も仰がなければいけないということで2人で行くでしょ?そうすると料金は倍になりますよね。懐石料理も「私のものを半分にして分ける」というわけにはいかないので、2人分必要なんですが、それを全部払うわけですよ。それで1人を選んで来てもらうんです。タイ人は比較的給料が安いから我々の給料でもまかなえるんですよね。ところが、カメルーンの首都のヤウンデに来て、空港で料理人夫婦が飛行機から下りてきて挨拶をしようとしてもお互い無言の行。会話ができない。日本料理の専門家とはいっても、彼らは日本語を喋れないんですよ。そりゃあ「豆腐」だとか「鮭」だとか、そういう固有名詞は分かるんですが、会話にならない。これは困りました、同じ屋根の下に住んで、「来週はこういう計画で、その日には何人の食事を作って、その内容はこういう食事にしてくれ」という話が出来ない。コックさんはタイ語だけ、一方こちらはタイ語なんて全然ちんぷんかんぷんなので、それは仕方がない。だから猛烈な危機感に包まれて、朝と昼は食後30分間、夜は1時間、ほぼ毎日日本語を教えました。そうすると、教えてるんだけど、いつのまにか先生の方が眠っちゃってて生徒の方がニコニコして待ってる(笑)

G:
あはは(笑)

国枝:
やっぱり夜なので、疲れちゃって知らず目が閉じちゃうんです(笑)。でも、一年間続けたら会話はできるようになって、意思の疎通は問題なくなったんですけどね。

G:
おおー。

国枝:
そういう苦労もあるんですよ。

G:
すごいですね。

国枝:
カメルーンみたいなところでは食材が足りないですから、内陸から300km離れた海岸地帯まで時々買い出しに行くんです。

G:
300km!?

国枝:
大きいクーラーボックスを3つぐらい、その中に氷をたくさん詰め込んで行くんです。ところが、いざ買うとなったときに「これが鯛だ」と言われて見てみると「これは鯛じゃないよね、熱帯魚だよ」と。大きさはまぁ鯛ぐらいなんだけど、長方形で、焦げ茶・オレンジ・緑の三色の筋があって、どうみても鯛ではない。それでも鯛だと言い張るから、「まぁいいや、だまされたと思って買いましょう」ということで買ってみると、白身でタイに似た感じでしたね。それから「これはサーディンだ」と言ってくるんですよ。サーディンというのはイワシのことなので「サーディンはイワシだ。イワシというのは寒流にいるんだ。ここは大西洋の暖流しかないところだ。だからここにはイワシはいないんだ。これはイワシじゃない!」と言ったら、「何を言うんだ!これはイワシだ!お父さんの時代もおじいちゃんの時代もこれはイワシだと言っていたんだ!イワシじゃないというアンタの方が間違っているんだ!」と。根負けして「分かった、ちょうだい。いくらだ」となったわけですね(笑)。あとは、シタビラメ。シタビラメがあり得ないほど大きいんですよね。2年ぐらいしたときに水産庁の関係の方がちょっと来てくれたので聞いてみたら、「あぁ、それはじいさんばあさんです」って(笑) それからは、小さいのを一生懸命選びました。それから、バラクーダというのがいるんですけど、バラクーダというのはカマスのことなんです。ただ、向こうのカマスというのは、大きいのになると、直径が25cmぐらいで、長さは1m超。


G:
でかいですね……。

国枝:
小さいものでも日本のカマスの2倍ぐらいの大きさなんですけど、それを買いましたね。そういう風にいろいろと苦労しましたよ。でも、そのタイ人のコックさんは良くやってくれました。大根がないですから、カブを大根の代わりにしておろしにしていました。オクラも向こうでは大きくてど固いんですよ、日本では小さい内に取るから柔らかいらしいですね。それから、里芋の茎ですね。「マカボ」というのが里芋らしくて、本当に同じものなのかは知りませんけど、味も里芋みたいな感じで、上の茎がまだ新芽の段階で採って、ゆがいてサラダ風にしてくれて、そこに鰹節を載せて醤油をかけて食べると、これは本当に和食の世界でした。

G:
工夫次第でいろいろ出来るものなんですね。

国枝:
もう本当に工夫の世界ですね、タイ人は良くやってくれました。「必要は発明の母」で、いろいろ作ってくれました。

G:
そういう話はほとんど報道されないので、分からないですよね。

国枝:
それで和食の懐石料理を作ってもらって、お客さんに食べていただくんです。いつも評判がとてもよかったです。最後の締めのデザートもいろいろなものを作ってもらいましたけど、一番お客さんに受け入れられてびっくりしてもらったのは、完熟バナナで作ったアイスクリームですね。それまでは日本食というと「見て楽しむ、食べて楽しむ」というわけですけど、最後に非常にシンプルなアイスクリームだけが出てくるわけですよ。「ちょっと今までのと雰囲気が違うな」と思うらしくて、一口食べると、みんなびっくりして私を見つめるんです。男は見つめて終わりなんですけど、女の人たちには「これはホームメイド?お宅で作ったの?」と聞かれるので、そこで私が「これはうちで作った完熟バナナを使って作ったアイスクリームですよ」と説明するわけです。日本で食べるバナナはフィリピンなどで青い内に採って燻蒸か何かするので完熟のものは食べられないんですが、向こうはまさに「完熟」。それをアイスクリームや何かに入れて食べると本当に美味しいですよ。完熟バナナそのものも日本では食べられない美味しさで、非常に糖度が高い。みんなの意表を突いた見世物だし「食べて本当に美味しい」と彼らは驚いていましたね。特に外交団の仲間がびっくりしていました。

G:
美味しいものを作って出すと、その後の話しやすさというのも段違いになってくるものなんですか。

国枝:
そうです。それに、あちらの人たちというのは、化学物質を使って色を付けたり味を付けたりしていて、それが良いと思っているんですよ。ところが、こっちが地元のものを使って作ると素晴らしいものができるんです。私は一生懸命「今は自然回帰の時代だし、そういうのが良いんだ」と言って、「これを缶詰にしてヨーロッパの方に輸出したら良いんだ」と言ったんですが、残念ながら私の意見に賛同してくれるアフリカ人はいなかったですね。でも、本当に良いですよ。マンゴーだって良いし、パパイヤだって美味しいですし。でも彼らはそういうものにあまり価値を認めないんです。ヨーロッパに行けば素晴らしい物だと受け入れられると思うんですけど……残念ながらそんな感じですね。

G:
価値観にはいろいろと差がありますね。

国枝:
うちのコックさんは本当に良くやってくれました。シリアでもそうでした。


G:
そちらはどんな感じだったんですか?

国枝:
シリアでは、ダマスカスから3時間ほど行ったところに港がありまして。シリアに3つしか港がないんですけど、その一番ダマスカス寄りのところが地中海の一番奥で端っこなんです。出口がジブラルタル海峡で、地中海をマグロが回遊しているんですよ。でも、大きいマグロはジブラルタルの方で取られちゃって、ここまで来るのは残った小さいの。だから、トロなんてまだできていないんです。でも、そういうキハダマグロが取れまして、それを売ってくれるところがあって、朝5時出発で買いに行きました。

G:
食べ物一つでも大違いで大変ですね……。

国枝:
言ってみればもう自給自足、自分でそういうものを探して入手しないとダメでした。

情報を「正しく」知るために
G:
以前、日本シリア親善協会が国枝さんの「シリアに平和が戻るように」という講演を主催したことがあって、その報告ページに「報道機関の中東担当記者(特派員)がカバーする地域は広大で、国数は多数に上ります。駐在国についてならばその国の歴史、事件の社会的背景についてある程度の知識はあるでしょうが、それ以外については無理です。」と書かれていました。報道の内容と、国枝さんの著書や実際に現地にいる人の話の内容とがずれることが多々あると思うんですが、これを解消しようとするとき、報道する側、読者の側、それぞれ何かできることはありますか。

国枝:
報道の面でいうと1つ、皆さんカイロにいらっしゃるんです。カイロにいて、東はパキスタンとかイラン、イラク、西はモロッコの端まで6000km、そこに二十数カ国あるものを1人でカバーせよというのは無理ですよ。

G:
どう考えても無理ですね。

国枝:
できると思ったら大間違い。だから、彼らだって何か出来事が爆発したような形になって初めて行動するわけですよね。そうすると多くの場合、欧米通信社の記事を使うことになって、独自の取材というものはない。独自に行くといっても、数日、長くても一週間ぐらい滞在するだけ。でも、我々は定点観測しているわけですよね、在留邦人の方々もそうです。だから、そういう人たちともっと関係を密にしたら良いんじゃないですかね。

G:
なるほど、現地に長くいる人と話をして情報を得ると。

国枝:
それから、日本の新聞に、現場での調査記事というのがありますけれども、そういう記事を見て良く思うのは「○○がこう喋った」とかいう風に引用される人というのは、学生だとかカフェで会ったおじさんであるとか、広場のたばこ売り屋だったり八百屋の親父だったり、そういうレベルが圧倒的に多いんですよ。ところが、ワシントンポストとかニューヨークタイムズとかル・モンドなどは、外務次官だとか外務大臣、○○の担当大臣とか、政策決定者なんですよね。なぜこんな違いがあるのかなといつも不思議に思うんです。


G:
あぁー、なるほど。誰に話を聞いているかという部分の差ですね。

国枝:
そうなんです。そこはやっぱりもう少し考えてくれて良いんじゃないかなと思う。そりゃあ市井の人も必要ですけど、こればかりになってしまうと仕方がない。

G:
バランスが取れていないという話ですね。

国枝:
外務大臣だとか外務副大臣だとか情報大臣とかそういう人の引用記事もありますけど、一年に一回か二回程度しかないし、それじゃあダメでしょ。一つの記事を作るときに、そういう政策決定者たちの意見もアプローチして入れたら良いんじゃないかな。電話ですぐ大臣の話を聞けるような関係にしていけば良いのになと思います。

G:
なるほどなるほど。読む側も引用している発言の発言者が誰なのかということに気をつけて読むと、内容をより深く読めるという感じですかね。

国枝:
そうですよ、もう少し各国の情報源となる人との関係をお作りになっておいた方が良いんじゃないですかと思います。正しい情報を、ということでいうと、たとえば朝日新聞は最近いろいろな批判を受けていて、、訂正するときに「訂正してお詫びいたします」というのをいつも書いていますね。こんなことまで訂正しなくてもいいんじゃないかというものまで訂正していますが、一方で、海外の報道で間違っていてもほとんど訂正していないんですよね。国内のことであれば知っている人、利害関係者がたくさんいるから、誤ったことを報道すると、パッと反応があるわけです。でも海外の問題は知っている人がほとんどいないから、それを良いことに「書き得」でどんどん突っ走ってしまう。それはやっぱりマズいんじゃないかと思います。

G:
あぁー、なるほど。

国枝:
もう古いんですが、2011年の秋にシリアの「メッゼ」というところでデモが起きました。そうすると、朝日新聞だけじゃなく他の新聞もみんな「とうとう政府の中枢の人たちも住む高級住宅地メッゼで反政府運動が起きた」と報道したんです。でもそれは「メッゼ」違いで、メッゼに隣接する貧民窟のメッゼなんですよ。貧民窟のメッゼと高級住宅地の間には大きなサボテン農場があって、そこでサボテンの果実であるカクタスフルーツが採れるという有名な産地なんですが、両地域は隔絶されている。ところが、高級住宅街のメッゼには日本の大使公邸があって、皆さん、大使公邸の食事に呼ばれたことがあるんでしょうね、「ここで食べたことがある」と。だから、「メッゼと言ったらここだ」とみんな思って報道したんですよ。


G:
なるほど、自分の知っているところだと思ったわけですね。

国枝:
だから、実際には政府高官が住んでいる高級住宅地とは関係のないところで起こったものなのに、「メッゼ」という名前だけでそういう風に考えて大きく報道したという、これは大間違い!どこも間違いを正さず、私が一人でぶつくさ言っているんですけどね。だいたい、この貧民窟街のメッゼというのは、外国人は近寄らないんですよ。ところが、私と妻はいつもウォーキングしていたんです、ここはアウトローの世界ですよ。でも、身に危険は感じなかったですけどね、私たちはどこでも行っていたんです。他の人はそんなところに近寄らなかったですけどね。

G:
やっぱりいろいろあるものなんですね。

国枝:
間違えることは仕方がないけど、正しくなかったらちゃんとやっぱり訂正して欲しいと思いますよ。今言ったのは一つの例で、他にもありますけどね。

大量の札束をバッグに詰めて運んだ大使
G:
「イスラム国の正体」の中で、これは何の話なんだろうと気になった箇所があるんです。52ページのところで、「わたしはかつて30万ドルを100ドル紙幣で運んだことがあります。大型バッグを使いましたが、かなりの量でした。」とさらっと書いてあるんですが、これはどういうシチュエーションでこんなことをするに至ったんですかね。


国枝:
これは、「イスラム国を海外の富豪が支援している」という話の流れですね。海外からシリアにドルを送金するには、銀行送金だと必ずニューヨーク連邦準備銀行を通ってチェックされるので、すごく時間がかかって大変なんです。

これは私の給料でも同じで、例えばカメルーンにいたときは、給料はまずパリに送られてパリの日系銀行に入るんです。その口座に入っていることを確認したら、送金指示書を出すわけです。カメルーンに支店のある銀行は限られますからフランス系になるんですが、日本でいうと大阪のポジションにあたるドゥアラの支店に送るんです。そこから首都のヤウンデにある、ドゥアラ支店のさらに支店へ送るように指示すると、ドゥアラに着いたものがヤウンデまで来るようになっているんですが、パリに指示を出してスムーズに着くということがない。指示書を出してから2、3週間ぐらい経ってヤウンデの支店に行き「お金を引き出すよ」と言うと「お金、ないです」と言うんですね。「もうずっと前に指示を出しているんだ」と言いましたが「でも、来てません」と。会計担当者に「行方不明になっちゃったから探してよ」と伝えて、彼がパリに連絡し、パリからドゥアラにお金が着いているかを調べてもらい、ヤウンデの支店からはドゥアラに「どうなっているんだ!?」と照会してもらうわけです。そうすると「どっかで消えちゃいました」って(笑)

G:
どっかで消えたなんて、そんな馬鹿な……。

国枝:
だいたいそういう返事が来るんですよ。それからさら3週間ぐらいすると「あっ、見つかりました」という連絡があって、ようやくドゥアラに着く。ドゥアラに着いて、次はヤウンデ。ヤウンデもちゃんとフォローしておかないとまたそこで「どこかに消えちゃいました」ということになる。結局、東京で給料を振り込んでくれてから、私の手元に入るのは2ヶ月、3ヶ月というのがざらでした。それも、ずっとトレースしてコレです。

G:
単純にお金の移動だけでそんなことになったりするんですね……。これは頻繁に起きるものなんですか。

国枝:
もう頻繁ですよ、いつもです。

G:
いつも!?

国枝:
先進国しか行っていない外務省の連中は「なぜそんなにガタガタ言うんだ」と言うんですけど、連中は知らないから(笑) そして今度はシリア。シリアは経済制裁が行われているところで、私の月給はドルで送られてきて、まずは欧州の日系銀行に行って、そこからシリアには来ないので、レバノンのベイルートに送ってもらうんですね。こういう金の動きというのはニューヨーク連銀の許可が必要なのでそこで時間がかかる。それで、ベイルートから地元の銀行へというのも、支店がダマスカスにあるからそこに送ることはできるんですけれども、来たり来なかったりするんですよね。国境のすぐ向こうの町にある支店にベイルートから送ってもらうと比較的簡単に来るんです。着いたことが分かると、私たちは自動車を運転して国境を通って取りに行くわけです。そういう生活をしていたんですよ。だからだんだんお金が少なくなってきちゃって「心配だな、生活出来るかなぁ」と思ったりしながらね。毎月毎月行っていたわけじゃなくて、三ヶ月ごとに行ったりしていましたけどね。


G:
そうなってくると、極端な話、もう現金を直に運んだ方が早いなんてことになってくるわけなんですか。

国枝:
イラクで人質が解放されたときに、12月になって残りの全員が解放されましたから、すぐ帰ってもらおうということで、日本航空の飛行機がアンマンまで迎えに来る話になりました。そうしたらイラク側が「自分たちにはイラク航空があるからそれで東京まで送る」と言い張る。交渉役は私だったんですが、私は「そんなのダメ」と言ったんですよ。「だって、あなたたちが誘拐したんでしょう、かどわかした人たちの飛行機でなぜ日本まで送り返せるのか、日本の人たちがその飛行機に乗ったら『またイラクに戻ってどこかの収容所に入れられちゃうかもしれない』と不安じゃないか。あなたはそこまで非人間的なことをやろうとしているの?」と。向こうは「そんなことは、天に誓ってやらない」と言うから、「じゃあ今まであなたたちは天に誓って誘拐をしていたのか」と。「いや、そういうわけじゃない」と言ったけれど。そういう、まるで漫画みたいな話があって、時間ばかり経って仕方がないから、ルートを2つに分けて、バンコクまではイラク航空をチャーターして、バンコクからは日本航空で行くように、とアレンジしたんです。値段も交渉して若干安くさせ、そのバンコクまでの料金がそれなりの金額だったんですが、それを「前金で、現金で支払え」とか言うんですよね……。「あなたね、それは中国の諺で外道の無理難題っていうんだ」とか勝手な主張を展開して後払いを受け入れさせ、それですぐに取り寄せて、私が持って行ったわけです。

G:
なるほど。

国枝:
こーんなに大きなバッグがいっぱいだったのに、このイスラム国への支援は何百万ドル、何千万ドルという額だという。銀行送金ができないなら現金で運ぶことになるけれど、そうなると何台もトラックの車列を組んで行かざるを得なくなる、それはできないじゃないかと。

G:
確かに、そうですね。

国枝:
そんな多額の金は現金では動かせません、また別のやり方ですよ、ということです。

アラブのブラックマーケット
G:
変なところばっかり注目してすみませんが、61ページ・62ページに「イスラム国でもトルコから武器が入手できます。武器があればどこでも売る人たちがいて買う人もいるということです。しかも組織的に。わたしたち日本人には、まったく知識も情報もないのでイメージしにくいでしょうが、アラブとその周辺の人たちにとっては、ブラック・マーケットの存在は常識なのです。」とあって、「わたしにも経験があります。ある国の知事に昼食に誘われて、彼の自家用車で移動しようということで助手席に乗せてもらったのですが、助手席にピストルが抜き身で置いてありました。わたしはアフリカ、アジア、アラブ諸国を外交官として16年ほど暮らしましたが、こと武器に関しては、多かれ少なかれどこでも同様でした。」とさらっと書いてあります。まさに我々にはイメージできないものなんですが、アラブのブラックマーケットというのはどういうものなんですか。


国枝:
私もよくは知らないんですけれどもね、こう、銃とかが置いてありますよ。

G:
物理的に、目の前で物を売っているブラックマーケットなんですか。ドンと物が置いてある。

国枝:
そうそう。あるいは店の裏に隠してね。だから、知っている人は知っているんですよ。2011年3月以降、あまりにも需要が集中して、ベイルートの中ではもう銃が払底してしまったんです。払底するというほどだから値段はすごく高いんだけど、みんなどんどん買っていった。金が十分あるんですね。

G:
表向きは違う店だけれども実際にはそういうものを売っているというのは、露骨に分かるものなんですか。

国枝:
警察も分かっているんですよ、みんな分かっているんです。

G:
警察も!

国枝:
みんな見て見ぬ振りしてる。

G:
そういうのは日本と全然違う状況ですよね。

国枝:
日本は刀狩りとか廃刀令があって、武器が家からなくなったのでそういうハードルが高いわけです。向こうのハードルなんてのは低いですよ。

G:
先ほど書かれていたアフリカ、アジア、アラブ諸国という3つの地域での武器の感覚はどういった違いなのでしょうか。

国枝:
もう1つ、そこで指摘しなくちゃいけないのは、みんな国民皆兵制度ですから、兵役に就いているときはみんな小銃を使っているわけです。だから、武器に対する抵抗感が少ないですよね。

G:
まずその前提があるわけですね。

国枝:
我々は「小銃」なんていったら身震いがするような感じがしますよね。ピストルだってああ見えて実際は重たいはずで、普通は両手で持ちますよね。それが、自動車に乗ってシートを見てみたらごろんと置いてあるわけですよ。ちょっと気持ち悪いですよね。私は触れようと思えばそういうものに触れることのできる機会はいつもありましたけれども、絶対に触らなかったです。

G:
そのあたりは武器に対する感覚が全然違うというのがあるんですね。

国枝:
感覚は全然違いますね。


G:
このあとちょっと空いて、79ページに「彼らの公開しているガイドラインによると、奴隷は3人まで『購入』可能。40歳から50歳のヤジディ教徒・キリスト教徒の女性は約5000円、10歳から20歳の少女は約1万4000円、1歳から9歳の女児は約1万8000円です」とありますが、この「1万8000円」という値段は現地だとどういう感覚なんでしょうか。

国枝:
普通に買える値段ですよ。兵士だったら十分買えます。

G:
購入資金を蓄えないといけないものだったり、購入することで生活を脅かすようなものではないと。

国枝:
ええ、いったん買ってしまえば後はタダですから、彼らにとって大した金額じゃないですよ。

外交官の「尾行」
G:
もう一冊の「報道されない中東の真実」にも面白い話が出てきました。最初の方、15・16ページあたりに「私がシリアに大使として2006年から2010年まで4年近く在勤した。在任中はできるだけ多くの人々と交わることに加えて国内をくまなく旅行して可能な限り現場感覚、土地勘を養おうとした。ある時、当時の首相に「あなたはどこにでも行かれるのですね」と言われ、やはり政府は私の行動を警戒していたのかと考えた。」という話が出てきます。


少し空いて「辺境の地カミシュリ市では飛行機を降りたときから私たちの一行を私服の治安警察が胡散臭く追尾し、公式日程が終わって少し市外を見物しに出ようとするとやはりついてくる。そこで彼らに目的地を伝えて地理不案内の私たちの案内を請うと、初めは面食らっていたが、やがて親切に案内してくれた。こうして、普段では見物できないところ、行けないところを楽しめた。」と続いています。これ、なかなかすごい話だと思うんですが……。


国枝:
実はそのときね、後でお別れするときにチップをあげたんですよ(笑) 1人当たり500円ね。

G:
尾行されているというのはどうやって気づくのですか?

国枝:
他に誰もいないところに2台の自動車しかないからですよ(笑)

G:
そんなに露骨なんですか!?(笑)

国枝:
もう露骨!町の中だとちょっと分からないですよね、だいたい3台か4台の間を開けてついてくるんだけれど、街の中心から外れていくとどんどん車が減るのにいつも同じ車が後にいるので「あの車、やっぱりな」という風に分かるんですよ。

G:
なるほど。このお話はシリアのことですが、外交官や大使が尾行されるというのは赴任先ならどこでもあるんでしょうか、それともシリアだけ特別なのでしょうか。

国枝:
他だと、イラクでありましたね。地方の町で歩いていると30mぐらい後方から数人の私服がついてきていたので、角を曲がってすぐにカフェに入ったんです。彼らが曲がったら「あっ、一行がいない!」とびっくり。慌ててガラスに顔をくっつけて店々の中を見て回るわけですよ。そうしたら、私たちも外を見てたので目と目が合って、その瞬間パーッと逃げて行った(笑)。

G:
そんなに露骨なんですね!?なるほど……!

国枝:
まぁいろいろ面白くて、私たちの間では笑い話になってますよ。

G:
向こう側は、尾行して何を知ろうとしているんですかね。

国枝:
私たちが誰に会うのか、何をしようとしているのかということですね。それから、誰と会って話をしているのか。話をしたときに後で彼らはその相手にアプローチして「お前らはあいつと何を話したんだ」と聞くわけです。

G:
そういうことをするために後ろから着いてきている。

国枝:
はい。でも、私はタダで身辺警護してくれていると思っているから、観察はするけれど特にスパイみたいなことをやるつもりもなかったので、楽ちんでしたよ。ところが、私の仲間の他の国の大使たちはすぐ青筋を立てて怒ってケンカしたりしたようですけどね。

G:
人によりけりなんですね。

国枝:
「タダで警備してくれて、良いんじゃない?」と言ったら、「何だその態度は」なんて言われちゃいました。

G:
本にある「不案内だから案内してくれ」と伝えたときはどんな感じでしたか。

国枝:
最初はびっくりして姿勢を固くしていて、こちらが喋ってもあまり簡単には返事が出てこなかったですよ。でもそのうちに打ち解けて来て、最後は「どうもありがとう」と握手してチップを渡したら、最初は断っていたけど押しつけたらちゃんとポケットに入れてました(笑)

G:
その辺りは相手も人間だという感じですね。

国枝:
そう、もちろん。相手が人間じゃないと思ったのは兵士ですね。彼らは上からの命令があればテコでも動かないし、喋っても全然反応しないですね、石ですよ。

G:
訓練を受けているのもあって、ということでしょうか。

国枝:
ていうか、あいつら人間じゃない、サイボーグだと思いましたね。

G:
それはもう、尾行していたような人たちとは天地の差があるんですか。

国枝:
そうそう。

G:
日本では兵役義務がないから、その辺りはよく分からないですね。

国枝:
これは現場で経験なさらないと理解できないと思いますよ。

「イスラム国(イスラミックステート、IS)」の呼び方
G:
「イスラム国の正体」という本の中で「イスラム国」と書いてあるんですが、最近、日本政府は「ISIL」と呼ぶことにして、NHKでは「イスラミックステート、IS」と呼ぶことになりました。要するに、「イスラム国」は自称に過ぎないけれども、相手の名乗りには意図があり、イスラム全体の国だと誤解させないようにという配慮らしいんですが、こういう対応はどれぐらいの意味があるんでしょうか。

国枝:
現場ではあまり効果はないと思うんです。「イスラム国」支配下にあるシリアの都市だったら「アサド政権がここに来て、自分たちはまた解放されるんだ」、あるいは「解放されるけど、そのときにまたアサド政権からいろいろと痛めつけられるかもしれないな」ぐらいのことを思っているかもしれません。ただ、「イスラム国」がいわゆる国際的な認知を受けた国とは全然違うということは彼らは知っています。ところが、遠くに行けば行くほど、たとえばボコ・ハラムであるとか、あるいはイエメンのアルカイダ(アラビア半島のアルカイダ)とか、あるいはサハラ砂漠の中の方とか、遠くに行くと「イスラム国」というのが一つのイメージとして、あたかも国際承認を受けた国のような組織を持っているという風に思い、勝ち馬に乗ろうと考えて「イスラム国」に忠誠を誓うというのもあるんじゃないですか。だから、近くで実態を知っている人々と、遠くにいてはるか彼方の「イスラム国」というものを仰ぎ見ている人たちとの間では、「イスラム国」というものについての実像がずれていると思いますね。


G:
そのずれを埋める効果はあるだろうということですか。

国枝:
それはそうだと思います。

G:
では、日本政府の対応や、NHKが呼称を変えるのも妥当という感じでしょうか。

国枝:
だけど「ISIL」を「アイシル」と発音していますけど、あれはおかしいですよね。日本人だったら「アイエスアイエル」と言うと思うんです。あれを「アイシル」と読むのはアメリカ人ですよ。アメリカ政府がああいう発音をしているわけです。でも、私たちがそれと同じ発音をするのは不思議なことだと私は思っているんですね。

G:
なるほど、何基準なのという話ですか。

国枝:
「いわゆる『イスラム国』」とかいう風に言えばいいのに、なぜそこで「アイエスアイエル」ではなくアメリカ英語の「アイシル」という発音をするのか。私は違和感を覚えますね。

「日本大使館はあてにならない、アメリカ大使館へ逃げ込め」は本当か?
G:
外交官、外務省のお仕事をやっていたということでぜひお伺いしたいことがあります。というのは、「海外でトラブルがあったら『アメリカ大使館へ逃げ込め』という話」というものがTogetterでまとめられていたりして、日本の大使館はあてにならないということがまことしやかに囁かれています。実際のところ、「こういうときは大使館に頼られてもどうしようもない」というケースと、日本大使館を頼るべき、頼っても大丈夫という線引きがあったりするのでしょうか。

国枝:
湾岸危機のときに、クウェートにあった日本大使館にアメリカ大使館員が逃げ込んできて、臨時代理大使(城田安紀夫参事官)の判断で特別に匿い保護したということがありました。彼はのちにベーカー国務長官から表彰を受けましたが、体を張って、命を懸けてやったわけです。もしイラク側に情報が漏れていたら大変なことだったでしょうが、アメリカの大使館員は日本大使館に匿われたからこそ生き延びられたわけです。それに、リビアのベンガジではアメリカ領事館が襲撃を受け、たまたま来ていたリビア大使が殺されましたよね。そういうこともあるので、必ずしも「アメリカ側に入り込めばいい」というわけではないと思いますよ。


G:
逃げ込まなければならないような自体になったとき、どういう判断基準を持っていたらいいんでしょうか。ネット上の情報だと、たとえば西原理恵子さんは夫・鴨志田穣さんの言葉として、ミャンマーで日本大使館に逃げ込もうとしたらドアを閉められ、それを師匠の橋田さんに報告したら「アメリカ大使館に逃げるんだよ!」と怒られたという話をツイートしています。

生前の鴨ちゃんが言ってた。ミャンマーで後ろから銃撃されて日本大使館に逃げ込もうとしたら日本人だと確認した上でドアを閉められた。命からがら師匠の橋田さんに報告したら「バカヤロー常識を知らんのか!迷わずアメリカ大使館に逃げるんだよ!あそこはとりあえず助ける!」

— 西原理恵子 (@riezo0608)


また、矢作俊彦さんのエッセー本の中には「仕事がら、私はしばしば海外に出かける。普通の人が行き得ない場所に出かけ、持ち得ない人間関係を結ぶ。そのため、トラブルには無数に出くわす。しかし、一度として日本国の在外公館に救われたことはない。」と書いてあったりして、そういうイメージが固定されているのかなと思うのですが。

国枝:
基本的に大使館というのは「邦人の生命・財産を保護する」というのが第一の使命です。今年起きた湯川さんと後藤さんの事件についても、後藤さんは「自己責任だ」と仰ってそういうメッセージを残していかれたけれども、だからといって政府が手をこまねいて何もしないということは絶対ありえなくて、日本人の生命と財産を守らなくちゃいけないというのは至上命題であり、かつ義務ですよ。そこで手を抜くということはできない。大使館は日本政府の一部ですから、同じように邦人の安全と生命、財産を確保するという使命がある。そういう意味では、大使館は邦人に対して責任を負っていますよね。断られたという話ですが……おそらく、双方に非常に大きな誤解があって、そういう話になっているのだと思います、本来はあり得ない話です。

G:
なるほど、本来はあり得ない話なんですね。それで伝聞の情報が多いのかという感じでしょうか。

国枝:
ただ、最近はいろいろな外部からの安全上の脅威があって、大使館自体の安全を確保するために、入るのに門番がいたり、あるいは小さな門をパスポートを見せた上で入ったり、そういうことが必要だったりするので、そこをちゃんと通って下さると良いかなと思いますけれども。

G:
なるほどなるほど。例えば、助けを求めに行ったけれども守衛の時点で弾かれてしまったという場合はどうしたら良いんですか。

国枝:
守衛というのは現地人ですよね、現地人にはこの人が日本人かそうでないか、アジアのどの国の人かがわからないからはねてしまうということはあり得るかもしれませんね。そうしたら仕方がないので、なんとか自分が日本人であるということを説得するんです。

G:
そこはもう、引き下がらないでがんばると。

国枝:
そうそう、引き下がらないのが良いですよ。

G:
極端な話、それで騒いでいたら中にいる人も気がつくだろうという話ですかね(笑)

国枝:
それはやっぱり、いろいろと主張なさると門番は中にいる領事と連絡を取るでしょう。すると領事が出てきて、いろいろとお話をするわけです。ただ、そこで「何か怪しい」と見られてしまったら、危ないですよね。

G:
正当な理由で来ている限りにおいては大丈夫であろう、ということですね。

国枝:
そうです。あしらわれた経験があるという方は、おそらくどちらかに何か誤解があったのではないかと思うんです。


「誘拐事件」の今後
G:
「イスラム国」の話にまた戻りますが、彼らは今回日本人を人質に取って身代金を要求し、政府はそれを払いませんでした。今後、再び日本人が人質に取られたとしても、政府は身代金を支払わないでしょうし、そうなるとまた同じことが繰り返されることになるのではないかと思うのですが、どう考えていたらいいのでしょうか。

国枝:
自分たちで人質になるようなそういう状況に入らない、近寄らないということですね。たとえば一つには「イスラム国」の勢力範囲には絶対に近づかない。フランスやデンマーク、ベルギーといった全然関係のないところでも同じような問題が起こるわけですけれども、やっぱり関心を持ってラジオとかテレビとかの情報や大使館の情報を入手するというのは必要です。あとは、危ないところには近づかない。よく「人混みには行かない」「公官庁の建物には入らない」とか言いますが、そうなると博物館や観光にも行けなくなってしまうので、そこは常識問題になってきて、自分で考えた上で行動することになります。ただし、今はどこでいつ何が起こるか分からないので、常に自分の身の安全を考えて行動することです。

G:
身の安全ということだと、むやみに不気味なところに観光気分で近づくなという話になりますか。

国枝:
しかし、1997年にはルクソールというエジプトの観光地で日本人10名を含む数十名か殺されています。あれは、ハトシェプスト女王の葬祭殿という、本当に観光地として超一流の場所なんですよ。そこに行かなければエジプトに行ったことにならないというようなところで事件が起きてしまったんです。「行かない方が良かった」なんていったって、じゃあ将来的に誰も近づくなということなのかというと、難しいですよ。


G:
身代金の話でいうと、他国で身代金支払いを断固拒否しているのはイギリスとアメリカだけで、それ以外は表向きは払わないと言っていても、裏では払って解放させていると言われています。NHKによれば、日本政府は公式の見解を示していませんが、2013年にG8・主要8か国の首脳会議で、身代金はテロリストの資金源になるので払わないことというのを各国で確認したと。それで、アメリカやイギリスは身代金の支払いを法律で禁じ、人質の家族や企業が要求に応じれば訴追される可能性すらあるという法律を作ったそうです。一方、他国は表向きは払わないと言いつつ裏では払っているという状況です。こういう、身代金を政府が払う、払わないというのは先ほどの国民の生命・財産を守るという立場から考えると非常に難しいと思うんですけれども、外交官として実際にいろいろな国を見た国枝さんは、どう考えますか。

国枝:
これは難しいんです。たとえば、払ったら拉致した側は「あっ、しめた」と思うでしょうね。よく言われることは、次もあるだろうし、その次もと、際限なく続いてしまう。拉致した側はうまみを得たらそこに食らいつく。一方で、アメリカやイギリスはいくら捕まえても金にならないから、もうやらないと。そういうことをアメリカは狙っているんです。確かに今は犠牲者が出てしまうが、将来はおそらく出てこないだろうという気持ちですね。払うと、助かるけど未来永劫捕まっていく。どっちが良いのかということですよね。全体としては、もう払わないということで国連の安全保障理事会で決議が出て、これが非常に強い拘束力を持っています。

G:
今後の方向性としては、人質を取ったところで金を払わないという国が増えてきたら人質を取っても意味がないので、こういう事件は減っていくはずだと。

国枝:
そういうことを考えて決議が出ているんでしょうね。それからイギリス、アメリカだけではなく、ロシアも支払わない国なんですよ。だから、ロシア人も「イスラム国」によって一人誘拐されたんですけれど、早々と殺されてしまったんですよ。「こいつは商品価値がない」と。人質は、彼らにとってみれば商品なんです。

G:
完全に金目当てですね。

国枝:
「商品価値がない」となったらオレンジ色の服も着せず、首を切られたんじゃなくてピストルで殺されたんです。飯を食わしておくのももったいない、というぐらいの感じですよ。

外交官になりたい人へのアドバイス
G:
こうした話を伺ってくると外交官とはなんて大変な仕事かと思いますが、読者には若い人も多いので、外交官になりたいと思っている人に「こういうことをやっておくと、後々いろいろなことを理解しやすくなるよ」というようなアドバイスをいただければと思います。

国枝:
やっぱり、語学はちゃんとやっておいた方が良いですね。私は英語で試験を受けて、外務省に入って「フランス語をやれ」と言われてフランス語を勉強したんです。

G:
勉強はどういう風にするんですか。

国枝:
留学させられるんです。私は研修としてフランスに送られて2年間時間を与えられたので、フランスで学校に通って、それから大学に行って勉強しました。

G:
フランス語は二年でほぼマスターなさったんですか。

国枝:
そこまでは行かないですよ(笑)。もう一つ言えば、私は英語の研修を受けていなくて、現場で自分で使いながら覚えたんです。フランス語は、赴任先のエジプトでフランス人の先生にずっとついて教えていただきました。だから、2年間というのは私のフランス語にとっては出発点ですよね。出発点からいろいろ足していったという感じです。

G:
当然のことですが、言語は重要ですか。

国枝:
これはもう、たかが英語、されど英語、たかが外国語、されど外国語です。外国語で知っていることによって、命が助かるということもありますしね。

G:
交渉の言葉を選ぶみたいなことですね。

国枝:
交渉もそうだし、それから、言葉が分からなければ、周りで何が起こっているのか分からないわけですよ。言葉が分かればその情報によって、自分の身の処し方というのも考えられますからね。

G:
発信するだけではなく、情報を得るためにも、と。

国枝:
しかも、微妙なニュアンスまで判るほどになってほしい。言葉というのはやはり重要ですよ。

G:
一番重要なのが言葉、二番目には何が続きますか。

国枝:
人付き合い。変な話かもしれませんが、私は上は大統領、下はホームレスまで友達でした。

G:
「上は大統領」は分かるんですけど、「下はホームレス」というのはどういう……。

国枝:
カメルーンで、私の家から300mぐらい離れたところで、いつも道の端っこにホームレスが座っていたんです。私はそこの前を自動車で通り過ぎるから、止まらないけども挨拶はしていたんです。そして、早朝5時頃に家を出てよくジョギングをしたんですよ。すると、真っ暗なんだけど、「アンバサダー」なんて足元で急に言われてビックリしたことがあったんです。

G:
呼び止められたんですね。

国枝:
暗闇の中からだからびっくりしました。それで彼と話していたら、私の行動をかなり知っているんですよ。「こいつ、なぜこんなによく知っているんだ!?要警戒だ」と思いましたが、私のことをいろいろ気にかけてくれて、この辺りの状況とか、私の安全にどういう意味があるのかというのも喋ってくれるんですよね。「こいつは良いやつだ!」と思って、それから繁く付き合いだして、いろいろと助けてもらったのか、助けてもらわなかったのか、いずれにしても彼は私の周りの状況を気にかけてくれていました。

G:
そんなこともあったりするんですねぇ……。

国枝:
彼は小児麻痺で両手両足が動かないんだけども、私が車で彼のところに行くと「自立したい」と言うんです。皆さんの善意にすがって生きているばかりじゃ仕方がないから、スタンドを作ってそこでいろいろなものを売って自立していきたいと。「金は持っているのか」と聞いたら「○○ぐらいは持ってる」と。「それでは足りないから」と言って差額、といっても実はほとんど全額を出してやって、スタンドを作ったんですよ。「スタンドが出来たから見に来てくれ」と言われて、「分かった」と行ってみたら、スタンドは娘に任せて本人はまだホームレスを続けていましたけれど(笑) それで最初のお祝儀をあげて、それを元手に彼はものを買って売って、彼の主たる収入源はそちらになったわけです。まぁ、そんなお互いの助け合いですよ。

G:
上は大統領ということですが、話をするときにはどんな点に気をつけるんですか。

国枝:
主語・動詞・述語があるちゃんとした言葉を話すこと(笑) 何を喋るかというのはちゃんとあらかじめ決めていきますから。交渉するなり、日本政府の考え方を知ってもらうためとかね。3ヶ月に1度ぐらいは会いました。

G:
国枝さんの場合、人付き合いのスキルというか技術というか、その辺りはどうやって鍛えたんですか。

国枝:
1970年に外務省に入って、総領事になったのが1996年だから、26年経っていたわけですよね。26年経って総領事になって、そのとき私の付き合っていた人は今やベトナムの国家元首になっているんですよ、この前会いましたけれども(笑) 二等書記官から始まって一等書記官、参事官、公使となって、26年かけて経歴を積む過程で、そのレベルでの人との付き合い方というのを身につけていったのだろうと思いますね、あまり意識しなかったですけども。

G:
仕事の中で身についていったと。

国枝:
そう、知らない内に鍛えられていたんでしょう。

GIGAZINE読者に伝えたいこと
G:
こちらの方からの質問は以上で終わりです。逆に、GIGAZINEの読者にこういうことを今言いたい、伝えたいみたいなことは何かありますかね。

国枝:
最近のことだと、私は後藤さんと湯川さんの事件があったときには、政府が交渉しているんだからここは政府の交渉に全て任せようと主張しました。国民が政府から離反していて緊張関係にあるというようなことを「イスラム国」側が知れば、「イスラム国」側の方ではそれを利用するに違いないから、そういうことがあってはいけない。だから我々は、今は政府の交渉に全てゆだねて冷静に対応しよう、政府をバックアップしようと常に主張していました。

それは、大前提として「終わったら検証をちゃんとやりましょう」ということなんです。将来のためにも、今度の事件の検証というのはちゃんと行わなければいけない。しかし、今どこまで行われているのか私は分かりません。2004年に起きたイラクでの人質事件では民間の人も入れて検証委員会を作ったけれども、今回はいろいろな秘密情報や公にできないこともあるので政府内だけでやるということ官房長官が仰っていたように記憶しています。しかし、民間人であっても、この件については守秘義務を与えて、それを受け入れた場合に義務を負わせる形で検証委員会に参加してもらえばいいので、その後はそのように取り進められているようです。ただ、現場感覚があり、このような修羅場の経験を持った人も入って自らの反省も込めながら今回の検証を行うことが必要で、お説拝聴的な検証では意味がないですね。


それで思い出すのは、1月20日に最初の動画が公開されて、1月24日・27日にそれぞれの方の生死が判明したんですね。ところが、20日の動画が出た後、翌日21日には首相官邸の誰かが「人質でオレンジ色の服を着せられた場合にはもう生きて帰ってこない」ということをオフレコで報道陣に言ったそうなんです。これは2月の週刊文春に書かれています。私はこの話を実は1月末から聞いていました。非常に遺憾です。はじめから首相官邸の幹部、誰だかは知りませんが、「オレンジ色の服を着せられたからには人質は生きて帰れない」と言ったというのは、もしも湯川さんと後藤さんが生きて帰れなかったとき国民は政府の責任を追及することになりますが、先に布石を打って責任逃れをしようとしたわけです。それは、将たる者が口にする言葉じゃない。組織の上に立って下をリードする人の発言であってはならない、あり得ないことです。それをオフレコという形で言った。マスコミの人たちはみんな知っているわけですよ。はじめから敗北主義で、じゃあこの救出劇は何だったのかということになるんですよね。

それからもう一つ、「オフレコで言ったから報道されない」といっても、すぐいろいろなところに漏れてきます。現場にも漏れます。現場の人たちは交渉の最前線に立ってやっているのに、ふと後ろを見るとトップの人が「いや、生きて帰れないんですよね」と言っている。「我々の交渉は何なのか」と足をすくわれた思いになりますよ。士気を失いますよ。たとえオフレコであろうとも、こういう発言をする人を上司に持つというのは不幸なことです。

G:
そういうことも含めて、次回また同じようなことが起きたときにそうならないようにするための検証だという話ですね。

国枝:
そうですよ。

G:
そのための検証を身内だけでやるのもおかしいんじゃないかと。

国枝:
私はもっと真剣に検証しなければいけないと思います。野党の方も今弱いですから、ちゃんとそれはまじめにやっていただかないといけないと思います。新しい秘密保護法ができて、それを口実にやるべきことをやらないということがあってはならないんですよ。それからまた、追求する人たちもちゃんと勉強してくださいということです。

G:
そうですね、先ほどの報道の話にしろ何にしろ、ちゃんとその辺りのことを知る必要がある。

国枝:
責任追及というよりも検証ですよ。

G:
次回に活かすために、同じ過ちを二度繰り返さないようにということですよね。

国枝:
そういうことですね。あと「言いたいこと」として、話がそれますが、皆さん、私をアサド政権寄りだと思っているんですよね。

G:
そうなんですか、本の中には「アサド政権寄りではない」と明記されていますが。

国枝:
そうそう、でも皆さんそういうところは飛ばすんですよ。某紙の書評に「イスラム国の正体」が載ったんですが、そこにも「当然少しアサド政権寄りです」と書いてある(笑)

G:
本の中の最後の方に書いてありますよね、「別に私はアサド政権の代弁者ではない」と。

国枝:
かつ「アサド政権の方の発言が全く報道されていないので、私はアサド政権の発言を詳細に書きますよ」と言っているにもかかわらず「当然アサド寄り」と(笑)。これは2月15日の新聞です。こういう書き方はないだろうと……。皆さん、何が何でもすぐ色付けをなさりたがる。でも、それは同時に、そう言うご自分が反アサド側に偏っていることを宣明しているのと同じです。

G:
この書評を読んで買った人は「書いてあることと違うぞ」と文句を言わないといけなくなりますね。

国枝:
文句言ってくださいよ(笑)。某週刊誌からも電話で取材があったから、1時間かけてアサド政権の立場というのはこういうものですと解説したんです。そしたら翌週に記事になって、「大嘘つきやろうのアサド政権」なんて記事で、私の発言がそこに引用されているんですよね。喋ったことのごく一部だけを話の文脈を無視して利用しているんです。

G:
文脈を無視しているんですね。

国枝:
でもまぁ、謝礼をくれたから良いやと思って(笑)。でも、もう二度とその週刊誌の取材は受けないぞと。ところが、しばらく経って同じ週刊誌の別の記者が電話取材をしてきまして、話をちょっと聞くと何もご存じではなくて、これは助けてあげなければと思ったのが運のつき、また1時間取材に答えてしまいました。トホホな私です。

G:
漫画家の雷句誠さんが週刊新潮でも同じようにインタビューを受けたら答えた内容と異なる話になっていて「もう週刊新潮さんのインタビューをお引き受けすることはありません」と書かれたほどで、改めてどういうことだったのかインタビューしたことがあります。ニュースを見る人は本当のことが知りたいのにそういうことになるのは残念ですね。

国枝:
おそらくは「こういう風にやろう」という編集方針があったけれど、国枝に1時間聞いてもいい話が出てこないから、ここだけ引用しちゃえということになったのかなと思っていますが……。

G:
いろいろとお伺いしていたら時間が来てしまいました。今回はどうもありがとうございました。

国枝:
私の方こそありがとうございました。皆さんどうぞ、たくさん読んでください!そしてご意見をください!(笑)

Amazon.co.jp: イスラム国の正体 (朝日新書): 国枝昌樹: 本

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in インタビュー, Posted by logc_nt

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