メモ

人類の発展に不可欠な「鋼」の歴史とは?

by Mouser Williams

」とは、炭素を0.04~2%程度含んだの合金のこと。建物や機械などさまざまなものに利用される金属であり、人類の進歩に欠かせないものとなっています。そんな鋼と人類に関する壮大な歴史について、技術誌のPopular Mechanicsが説明しています。

The Entire History of Steel
https://www.popularmechanics.com/technology/infrastructure/a20722505/history-of-steel/

人類が製鉄技術を手にする以前から、鋼の原料となる鉄は人類によって使用されてきました。古くは古代エジプト王朝のファラオだったツタンカーメン王の墓から、鉄製の短剣が発見されています。こういった青銅器時代に加工された鉄はすべて宇宙から飛来した隕石に由来するもので、供給量が非常に少なかったことから、宝石や金よりも貴重なものとして扱われていました。

紀元前2500年頃になって、人類はようやく自分たちの足下に鉄が存在していることに気がつき始めます。それから700年が経過した紀元前1700年頃、黒海沿岸のカリベス人と呼ばれる人々が製鉄技術を持ったと伝えられています。カリベス人は鉄鉱石を熱して柔らかくし、柔らかくなった鉄を打つプロセスを繰り返して鉄製の武器を作り出しました。練鉄と呼ばれる最初期の鉄を使った武器は、やがてヒッタイト族によって多く利用されるようになり、鉄器時代をもたらしました。

古代中国では紀元前500年頃から鋳鉄の生産が始まり、人々は高炉を作って木材と鉄鉱石を燃やして鉄を溶かし、鋳型に流し込んで調理器具や像を製造しました。ところが、カリベス人の錬鉄は炭素の含有量が鋼よりも少なく、中国人の鋳鉄も炭素の含有量が鋼よりも多かったため、鋼と比べると強度が低いものだったとのこと。

by TomNatt

紀元前400年頃になると、インドの人々が練鉄の棒と木炭の塊を粘土製のるつぼに入れて炉の中に置き、容器を密閉して炉の温度を上昇させる製法を編み出しました。この製法を用いることで、鉄に最適な量の炭素を付着させることができ、人々は鋼の生産ができるようになります。この手法で製造された鋼のことをウーツ鋼と呼び、ウーツ鋼を用いてシリアのダマスカスで作られた刀剣が高い評価を得たことから、ウーツ鋼はダマスカス鋼とも呼ばれるようになりました。

インド方面で生産した鋼を運んできていたヨーロッパでは、476年の西ローマ帝国崩壊に前後して、流通経路の寸断によって鋼が手に入らなくなりました。このため、スペインのカタルーニャ地方では「カタルーニャの炉」というインドで用いていたのと同様の炉が開発され、馬具などに使用される鋼の生産が行われるようになりました。アーサー王の伝説に聖剣「エクスカリバー」が登場しますが、当時の事情を鑑みると、鋼鉄製ではなく鉄製の剣であったと考えられます。

中世に「世界最高の剣」を作っていたのは、ヨーロッパから見ると地球の裏側でたたら製鉄を行っていた日本でした。日本刀の鍛造には儀式的な部分があり、刀鍛冶は刃に悪霊が入らないよう、事前に身を清めてから刀を打ちました。材料を木炭で加熱して柔らかくして刀鍛冶が何度も打つことで、炭素をしっかり混ぜ合わせて強度を高めた鋼が生み出されました。「三日月」「童子切」のような名を与えられた名物・天下五剣をはじめ、国宝に指定されている刀もあります。

by Tbky

15世紀ごろになると、ヨーロッパでもライン川流域で高炉を用いた大規模な鉄の生産が行われるようになり、大量の木材が鉄を生産するために伐採されました。イギリスでは少しでも木材が豊富な場所で鉄を生産するため、植民地での鉄生産が行われることもありましたが、やがてアブラハム・ダービーという人物によって石炭が高炉に用いられるようになりました。しかし、この段階ではまだ高炉から産出するのは鉄であり、鋼の大規模生産には至らなかったとのこと。

鋼の生産に成功したのはベンジャミン・ハンツマンというイギリスの発明家であり、18世紀にるつぼ鋳鋼という手法を発明して良質な鋼の生産に成功しました。ハンツマンの発明によってイギリス中で鋼が生産されるようになりましたが、この段階では大量生産は不可能でした。19世紀になって同じくイギリスの発明家であるヘンリー・ベッセマーによってベッセマー法が開発され、安価で溶けた銑鉄から鋼を大量生産することが可能になりました。

by maerzbow

新大陸のアメリカではイギリスに比べて鋼生産の展開は遅れていましたが、スコットランドからの移民であるアンドリュー・カーネギーによってアメリカの鉄鋼業は大きく躍進します。電報配達夫だったカーネギーはその熱心さからすぐに電信技師へと昇進し、才覚を見込まれてペンシルバニア鉄道に引き抜かれました。カーネギーは耐久力のある橋を作るためには鋼が必要だと感じ、ベッセマー法を導入して鋼の生産に着手したとのこと。

カーネギーはライバル会社の買収などを経て「鉄鋼王」と呼ばれるまでになり、1889年にはカーネギーの持つ企業だけでイギリス全体の半分に匹敵する鋼を生産するほどになりました。ところが、1892年にはカーネギーの持つ工場で大規模なストライキが発生し、責任者がピンカートン探偵社のエージェントを送り込んで鎮圧を試みるも双方に死傷者が出る事態に発展、州兵を送り込まれるまでの大騒ぎとなりました。

この事件の影響もあってか、カーネギーはチャールズ・M・シュワブの仲介で1901年に会社を売却。その後もアメリカの鉄鋼業は大きな繁栄を続け、第一次世界大戦時にはアメリカの鉄鋼生産が戦況に大きな影響を与えるなど、世界中に大きな影響力を行使するまでになっていたそうです。

by Billy Wilson

1912年、イギリスの学者であったハリー・ブレアリーによってステンレス鋼が発明され、後に量産化されました。ステンレス鋼はサビに対して非常に強いため、手術器具や家庭用品にとって非常に有益な材料となっています。世界のステンレス鋼の多くは小さなアーク炉で作られており、一から鉄鋼を作り出すことはほとんどなく、ほとんどがステンレス鋼スクラップを再利用したものです。

近年では、製鉄の際に放出される温室効果ガスが問題となっており、石炭を燃やさずに古い鉄を再利用する電気炉に大きな注目が集まっています。しかし、全てを電気炉に移行して従来の製鉄炉を廃止するのは難しく、多くの科学者らが環境に配慮した製鉄法の考案に向けて努力しています。

この記事のタイトルとURLをコピーする

・関連記事
機械の登場によって人間の職業分布はどのように変化したのか? - GIGAZINE

どこでも温かい食事がとれる「加熱できる容器」の歴史 - GIGAZINE

「時計」の登場によって人類の生産性は大きく向上した - GIGAZINE

世界中で食べられる「パン」の歴史とは? - GIGAZINE

知られざる「&」の歴史、幻の27番目のアルファベットだった - GIGAZINE

in メモ, Posted by log1h_ik

You can read the machine translated English article here.