メモ

大学にあった「ウラン製の立方体」のルーツはナチス・ドイツの原子炉開発にあった


2013年の夏、アメリカ・メリーランド大学で一辺の長さが2インチ(約5cm)、重さ5ポンド(約2.3kg)ほどのウランでできた立方体が発見されました。放射性物質であり原子力発電や核兵器の原料ともなるウラン製立方体のルーツを、材料工学を研究するTimothy Koeth氏らが追跡したところ、なんとナチス・ドイツの原子炉開発にまでたどり着いたそうです。

Tracking the journey of a uranium cube: Physics Today: Vol 72, No 5
https://physicstoday.scitation.org/doi/10.1063/PT.3.4202

メリーランド大学で発見されたウラン製立方体に添えられたメモには、「Taken from the reactor that Hitler tried to build. Gift of Ninninger.(ヒトラーが造ろうとした原子炉からやって来た。Ninninger氏からの贈りもの)」と書かれていたとのこと。興味をそそられたKoeth氏と同僚のMiriam Hiebert氏は、立方体のルーツを探ることにしました。


第二次世界大戦中の原子力開発としては、アメリカのマンハッタン計画が知られています。マンハッタン計画では最終的に原子爆弾を製造することに成功しましたが、ドイツでも原子力を兵器として活用する目的での実験が行われていました。マンハッタン計画では多くの科学者らが一カ所に集められ、共同で原子力開発に取り組んでいた一方で、ドイツでは研究者らが3つのグループに分かれてそれぞれ開発を行っていたそうです。原子力開発に携わったドイツの研究者の中でも有名な人物として、ベルリンに拠点を置いたグループのヴェルナー・ハイゼンベルクが挙げられます。

ドイツはアメリカよりも早い段階から研究を進めていたものの、持続的な原子炉を生み出すまでの道のりはゆっくりしたものでした。その理由としては有限の資源を巡った争いやライバル間の競争、非効率な科学的マネージメントといった要因があったとのこと。

by Miguel Ávila

連合国の侵攻が始まった1944年の冬、敗戦濃厚な状況の中でもドイツの研究者らは「最初に持続的な原子炉の建設を成功させることにより研究者グループとしての名声が得られる」と考え、臨界状態に達する原子炉の建設を切望していました。ベルリンから逃れた研究者らはドイツ南西部のハイガーロッホという町に移り、原子力の研究を続行しました。

洞窟の中にあった研究室で、ハイゼンベルクらのチームは「B-VIII」という最後の実験を行いました。この実験は、それぞれ約5ポンドの重量があるウラン製の立方体を664個用意し、チェーンでシャンデリアのようにつなぎ合わせて重水のタンクに沈めるという仕組みで原子炉を作りだそうとしたものです。


Koeth氏らが発見したウラン製の立方体は、大きさが実験に使用されたものと同じであるだけでなく、立方体の表面にある気泡は初期のウラン鋳造プロセスによって形成されるものと一致するほか、立方体をつるすのに使われた航空機用ケーブルを固定するための、手作業で作られた切り込みが確認されました。このことから、B-VIII実験で使用されたウラン製立方体だった可能性が高いとみられています。なお、立方体の組成もドイツの原子力開発で使用された天然ウランと一致し、臨界状態に達した形跡もなかったとのこと。


次にKoeth氏らが検討したのは、「一体なぜB-VIII実験で使用されたウラン製立方体がアメリカにたどり着いたのか?」という謎です。第二次世界大戦において、アメリカは枢軸国側の科学技術を手に入れて分析するアルソス作戦を実行しており、専門家たちが最前線から押収した物品や資料を分析していました。マンハッタン計画で原子力開発を行っていたアメリカにとって、ドイツの原子力開発がどれほど進んでいるのかは大きな焦点となっていたとのこと。

ドイツ南部に連合国軍が侵攻すると、ハイガーロッホの研究者たちはB-VIII実験に使用したウラン製の立方体を畑の中に埋め、重水をタルの中に詰めるといった偽装工作を行いました。しかし、1945年に研究者らが拘束されると、隠されていたウラン製立方体も発見され、パリやアメリカへと輸出されたそうです。

なお、B-VIII実験では原子炉の建造に成功しませんでしたが、プロセスをより大きな規模にすることで原子炉を臨界状態で保つことができたことがわかっています。計算によると、ウラン製の立方体を50%ほど増量すれば、ハイゼンベルクらのチームは原子炉建造に成功していたとのこと。当時のドイツには別の研究グループが持つ400個ほどのウラン製の立方体が存在しており、合算すれば原子炉建造を実現できていた可能性があります。

by Kelly Michals

アメリカにたどり着いたウラン製立方体のその後を解き明かす鍵が、添えられていたメモに書かれた「Ninninger氏」という人名。Koeth氏は古本屋などの文献を調査し、やがて2004年にメリーランド州で亡くなったRobert Nininger氏という、つづりが1字だけ違う人物にたどり着きます。Nininger氏は1945年当時、マンハッタン計画でウラン調達に関わったマーリー・ヒル地区の暫定不動産管理者に任命されており、その関係でドイツから輸出されてきたウラン製立方体を入手する機会があったと思われるとのこと。

Koeth氏はNininger氏の未亡人と会話して、メリーランド大学にウラン製立方体が保管される前にNininger氏は友人に立方体を渡し、その後もう1人を経由していたということも判明。アメリカ各地には、Nininger氏のものと同じくドイツから第二次世界大戦末期に輸送されたウラン製立方体が、10個ほど存在していることが確認されています。大学の研究室や地下室、私的なコレクションの中に同様のウラン製立方体が存在する可能性があり、Koeth氏は他の立方体がたどった道のりについても興味があると述べました。

この記事のタイトルとURLをコピーする

・関連記事
核兵器製造を目指した「マンハッタン計画」のコスト内訳を調べてわかったこととは? - GIGAZINE

高校生がウランの粉末「イエローケーキ」を精製しオークションで販売していたと報じられる - GIGAZINE

放射性物質の濃縮ウランが検出され中学校が閉鎖される事態に発展 - GIGAZINE

博物館に放射線を放つウラン鉱石が入ったバケツが10年以上放置されていた - GIGAZINE

第二次世界大戦末期に日本が原爆開発を行っていたことを示す新たな証拠が見つかる - GIGAZINE

日本に投下された2つの原子爆弾が製造&運搬される様子を収めた当時の貴重な写真集 - GIGAZINE

原爆の部品を極秘輸送した後に沈没した重巡洋艦「インディアナポリス」をポール・アレン氏らが深海で発見 - GIGAZINE

in メモ,   サイエンス, Posted by log1h_ik

You can read the machine translated English article here.