50年以上変わらぬ日本の定番デザイン、キッコーマンの「しょうゆ卓上びん」誕生秘話
2018年3月30日、キッコーマンが50年以上にわたって形を変えず販売してきた「しょうゆ卓上びん」が、特許庁が管理する「立体商標」の登録を受けました。広くなった土台からつながるなだらかな側面の形状と、てっぺんに取り付けられた赤いキャップという外観からは、誰が見ても「これはしょうゆ」と反射的に理解できるほどで、深く人々の生活に入り込んでいます。このしょうゆ卓上びんがどのようにして誕生したのかを、アメリカの通信大手であるBloombergがムービーでまとめています。
The Soy Sauce Bottle Designed to Bring Happiness - YouTube
キッコーマンのしょうゆ卓上びんが誕生するきっかけは、1945年8月6日に広島に投下された原子爆弾にさかのぼります。
後にびんをデザインすることになる榮久庵(えくあん)憲司氏は当時16歳で、原爆投下時は実家の広島を離れて江田島の海軍兵学校にいました。実家は寺院で、原子爆弾で亡くなった父の跡を継ぐために榮久庵氏は広島に戻り、一時期は僧侶の道に入りました。
広島に戻った榮久庵氏の目に入ったのは、物資に困っていた日本人とは対照的に、ジープに乗ってガムやチョコレートをくれることもあった進駐軍の兵士の姿。この体験がもとで榮久庵氏は「モノ」とそれによってもたらされる「幸せ」に対する憧れを抱くようになり、やがてデザインの世界へと進むことになったそうです。
榮久庵氏がデザインしたキッコーマンのしょうゆ卓上びんが世に出たのは1961年(昭和36年)のこと。それまでにはなかった、手軽に使えるというコンセプトがうけて大ヒットにつながります。
当時の日本では、しょうゆは大きな一升瓶などに入った状態で売られ、家庭で小さなしょうゆ差しに入れて使われるのが一般的でした。
この常識を変えたのが、榮久庵氏のデザインでした。構想から3年の月日と100以上の試作品を経て、ついに1961年、しょうゆ卓上びんが発売されました。
底が広く、首の部分がくびれた形状は、日本酒を飲む時に使われる日本伝統の容器、「とっくり(徳利)」がベースになっています。
この形状にすることで安定性が増すので、卓上でも倒れにくいというメリットがあります。また、この形状には「持ちやすさ・注ぎやすさ」や、「手に持って注いだ時の美しさ」といった狙いまでもが込められているとのこと。
注ぎ口には60度の角度を付け、切り欠きを下向きに付けることで、使ったあとにもしょうゆが垂れない「液切れ」の良さを実現。見た目にも使い勝手にも優れたデザインが施されているというわけです。
榮久庵氏はその後、日本の工業デザイナーの草分け的存在として活躍し、数々の名デザインを残してきました。
ヤマハが初めて世に送り出したオートバイの名車「YA-1」や、秋田新幹線「こまち」で使われる「新幹線E3系電車」、さらにはJR中央線や成田エクスプレスなどの鉄道車両、東京都のシンボルマークなど、数々のデザインに榮久庵氏は携わってきました。
いまや、キッコーマンのしょうゆは世界100カ国以上に輸出されています。
2015年には、ニューヨーク近代美術館(MoMA)にもキッコーマンのしょうゆ卓上びんが展示されることにも。まさにアイコン的存在といえるしょうゆ卓上びんをデザインした榮久庵氏は、2015年2月に85歳でこの世を去りました。
榮久庵氏らがしょうゆ卓上びんのデザインに至るまでの社会的背景や経緯については、以下のリンク先で詳しく見ることもできます。
ニッポン・ロングセラー考 vol.008 キッコーマンしょうゆ卓上びん|OMZINE by nttコムウェア
http://www.nttcom.co.jp/comzine/no008/long_seller/
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