ロシアにゲーム市場を誕生させた伝説の海賊版ファミコン「Dendy」とは?


1980年代に任天堂やセガが世界中のゲームコンソール市場を切り開きましたが、ゲームに知的財産権が認められていなかった冷戦直後のロシアには、両社ともに切り込めない状態でした。そんなロシアのゲーム市場を開拓したのは「Dendy」と呼ばれる海賊版ゲーム機でした。

How a counterfeit NES console opened up the Russian games market • Eurogamer.net
http://www.eurogamer.net/articles/2017-12-17-how-a-counterfeit-nes-console-opened-up-the-russian-games-market

1990年代初頭に「任天堂」や「セガ」の名前を聞けば、世界中の子どもたちが目をキラキラと輝かせたはずですが、ことロシアにおいては「Dendy」というフレーズが、任天堂やセガの代わりを務めていました。Dendyとは、端的に言えば「ロシア製の海賊版ファミコン」であり、任天堂やセガを知らないロシア人にとっては、「ゲーム」と同義語であるほどの圧倒的なブランド力を誇ったそうです。

Dendyはロシア人のVictor Savyuk氏によって生み出されました。当時のロシアではファミコンやメガドライブのような据え置き型のゲーム機(コンソール)はほとんど販売されておらず、ゲーム機と言えばPCゲームを指し、プログラマや一部のゲームマニアの趣味でした。そんな中、任天堂のファミコンを目にしたSavyuk氏は、テレビに接続してゲームがプレイできる据え置き型ゲーム機の革新性に衝撃を受けたとのこと。当時の状況についてSavyuk氏は、「私はすぐに『これは未来だ』と理解しました。任天堂やセガ、古くはAtariのおかげで、世界ではすでに家庭用ゲーム市場が確立されていましたが、ロシアでは違いました。そして、ロシアでは家庭用ゲーム市場にビジネスチャンスがあるとわかったのです」と語っています。

Savyuk氏は当時プリンターやコンピューターを製造していたSteeplerにゲーム機の製造販売を持ちかけました。具体的には、任天堂のファミコンの海賊版を作ってロシアで販売しようという計画でした。「最初に理解しておいて欲しいことは、当時のロシアには、ゲームコンテンツの知的財産権を保護する法が存在しなかったということです。つまり、私たちがファミコンの海賊版をロシアで販売する行為は、ロシア国内において完全に合法だったということです。もちろん、アメリカやヨーロッパでは完全に違法です。そして、台湾の製造業者はそんなことを気にしなかったのです」と述べています。


Savyuk氏はファミコンの海賊版を台湾で製造することにしましたが、その理由は中国製のゲーム機は、当時すぐに故障するなど品質が低かったからだとのこと。台湾の製造業者に連絡をしたSavyuk氏でしたが、その時点では本物のゲーム機を見たこともなかったそうで、FAXを使った交渉は思うように進みませんでした。「彼らは私に多くの質問をしました。『欲しいのは60ピンなのか72ピンなのか?』など。私には意味がわかりませんでした。そもそも、『Nintendo(NES)』と『ファミコン』の区別すらついていなかったのですから。そんなロシア人が1万ユニットの機器を発注してきたのを見て、台湾人が頭がおかしいと感じていたのを知りませんでした」と当時の状況を説明しています。

1992年にサンプル品を台湾から送ってもらえるまでにこぎつけたSavyuk氏は、実物を見て「これはロシアに爆発を起こす大ヒット製品になるぞ」と感じたとのこと。しかし、当時のロシアでは据え置き型ゲーム機について消費者がまったく理解していない状態のため、宣伝活動が難しいと考えられました。そこで、Savyuk氏はイラストレーターに依頼して象のマスコットキャラクターをデザインしてもらい、宣伝することにしたそうです。


Dendyと名付けられたゲーム機について、Savyuk氏は大金を投じて宣伝活動を行いました。任天堂の海賊版ゲーム機がテレビCMで大々的に宣伝されるという状況は、今では異常なことに思えますが、「理解して欲しいことは、私はロシアのルールと法律に絶対的に従っていたということです。海賊版ゲーム機の宣伝はしましたが、任天堂のゲーム機の宣伝をしなかったということです。私を訴えることができたのは任天堂だけでしたが、ロシアでは不可能でした」と述べています。

しかし、1992年12月に発売されたDendyは、6カ月で2000台から3000台の販売台数にとどまりヒットとはほど遠い売れ行きだったとのこと。それはDendyの映像出力がヨーロッパで一般的だったPAL方式ではなくフランス語圏で使われていたSECAM方式を採用しており、しかもSECAM方式の方が価格が高かったからだとのこと。

大失敗を経て1993年5月にはPAL方式を採用した「Dendy Junior」というマシンを「新開発」し、6月にデザインも一新して発売されることになりました。

ファミコンとうり二つのDendy Junior。カラーはグレーです。


出力形式もばっちり。


コントローラーには独自の「TURBO」ボタンを搭載していたようです。


新たに発売したDendy JuniorのテレビCMは以下のムービーで確認できます。

Dendy Commerical - Russian Nintendo Famicom Clone - YouTube


Dendy Juniorは発売後2カ月で月間7万台が販売されるなどSavyuk氏の期待通りの大ヒットを記録し、ロシアに家庭用ゲームを浸透させることに成功しました。さらにSavyuk氏は手厚い製品保証をつけたこともあり、ロシアのゲーム市場の70%以上のシェアを獲得するのに成功。Dendyはロシアでゲームそのものを指す用語として浸透したとのこと。そのためロシアでは、「あなたの家のDendyはNintendo?それともSEGA?」などという奇妙な会話が成立していたそうです。

最終的にDendy Juniorは150万から200万台をロシア国内で販売したとのこと。1994年にはSteeplerは子会社としてDendy Companyを設立し、なんと本家・任天堂のアメリカ法人の代表取締役を務めていた荒川實氏やRobert Lincoln氏を訪ね、任天堂のSNES(スーパーファミコン)の販売権を獲得。もちろんスーパーファミコンを海賊版として販売することは認められませんでしたが、すでに販売中のDendy Juniorについてはロシア国内で継続販売OKというお墨付きまでゲットしました。

ゲームに関する知的財産権法の整備が遅れていたため任天堂をはじめとする多くのゲーム会社が現地法人を作ることができず進出できなかったロシアのゲーム市場を、海賊版とはいえSavyuk氏たちが作ったDendyが開拓したのは間違いのないところです。「ロシアでゲームビジネスができるように市場を切り開いたことが、私の誇りです」とSavyuk氏は述べています。

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