タトゥー・入れ墨を消すために試行錯誤しまくってきた歴史
By Tim Caynes
日本に比べて入れ墨・タトゥーに寛容な外国人向けに、観光庁が入浴施設に対してシールを貼ってもらうなどの対策を促していることが報じられています。タトゥーは一度彫ってしまうと定着してしまうため、除去するには特殊な手術が必要なわけですが、歴史的にもタトゥーは彫るだけでなく除去する方法も模索されてきました。
Indelible Ink: The Deep History of Tattoo Removal—The Appendix
http://theappendix.net/issues/2013/10/indelible-ink-the-deep-history-of-tattoo-removal
初めて入れ墨・タトゥーの除去方法が確認されたのは6世紀ごろと言われており、当時の医学百科事典にアレクサンドリアとコンスタンティノープルで行われていた「スティグマ」の除去方法について記されています。
スティグマとは兵士などの顔や手に施される入れ墨で、当時の兵士たちは奉仕する国から部隊名などを入れ墨として刻印されることが多かったそうです。さらに犯罪を犯した奴隷には「捕まえて、私は逃走中です」などと刻印されたと記述されています。スティグマはテレビンノキの樹脂を塗りつけ、5日間包帯を巻いておけば20日間で消すことができたとのこと。
1681年にイギリスの海賊がスペインの植民地を襲撃した後にパナマ共和国を訪れた時のこと。火薬の暴発事故で歩けなくなるほど負傷した海賊軍医ライオネル・ウェハーがダリエン県付近に置き去りにされましたが、ウェハーは先住民のクナ人の領地にとどまり、負傷した足を治療しました。
ウェハーは手記に「クナ人が『喜び』を表わす美しい図柄を顔料を使って皮膚深くに埋め込んでいた」と記しています。手記には「鋭いトゲで血が噴出するまで皮膚を突き刺し、出血部位を好きな色の顔料に浸して摩擦していた。そうして消えることのない図は描かれた」と書かれていました。クナ人のタトゥーを入れることになったウェハーは、その後「皮膚を傷つけても取り除いてもタトゥーは除去できなかった」と記しています。なお、タトゥーを入れることに関してウェハーが同意していたのか否かは定かではありません。
By bernard benavides
17世紀前半のエルサレムでは、イエスの墓所を訪れた際に腕などに「エルサレム・マーク」と呼ばれる記念の入れ墨が施されていました。あるスコットランドの旅行者はエルサレムへ聖地巡礼に訪れ、右腕にエルサレム・マークを得る時に彫り師にスコットランド王の名前を含む文面を彫るよう頼みましたが、この文面が元で巡礼後にスペインでスパイと間違われ、拷問によって腕ごと切り落とされたとのことです。
2012年の調査ではアメリカ人の21%が1つ以上のタトゥーを持っていることがわかっており、現代ではレーザー除去手術によって小さなタトゥーであれば比較的跡を残さずに除去することが可能になっていますが、現代になっても大きなタトゥーや入れ墨を完全に除去するのは難しいとされています。昔のように皮膚を切り刻んだり、拷問によってタトゥーを除去したりする心配はないかもしれませんが、タトゥーを彫るにはいまだ後悔しない覚悟が必要と言えそうです。
By dfrankg
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