メモ

【訃報】アンパンマンの作者である漫画家やなせたかしさん死去


漫画家のやなせたかしさんが10月13日(日)午前3時8分、東京都内の病院で亡くなったことが分かりました。94歳でした。

漫画家やなせたかしさん 死去 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131015/k10015283981000.html

時事ドットコム:やなせたかしさん死去=「アンパンマン」、94歳
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013101500548

やなせたかしプロフィール
http://www.anpanman-museum.net/html/greet.html

やなせたかしさんは1919年に高知県で生まれ、旧制中学を卒業後、東京高等工芸学校図案科(現在の千葉大学工学部建築学科)を卒業。1941年に出兵。終戦後、高知新聞社、それから1947年に上京して三越宣伝部のグラフィックデザイナー(三越の包装紙「華ひらく」のmitsukoshi文字はやなせたかし作)、そして1953年に独立を果たします。アンパンマン誕生のきっかけとなった絵本「あんぱんまん」を刊行したのは1973年で54歳のとき。テレビアニメ「それいけ!アンパンマン」は1988年放送開始となっています。また、「手のひらを太陽に」の作詞者でもあり、1990年に勲四等瑞宝章を受賞、1995年には日本漫画家協会文部大臣賞を受賞しました。

「アンパンマン」については、92歳の時点でインタビューに答えており、以下のように語っています。

NEWSポストセブン|やなせたかし氏 日本人の正義とは困った人にパン差し出すこと
http://www.news-postseven.com/archives/20110503_18844.html

やなせ:「アンパンマン」を創作する際の僕の強い動機が、「正義とはなにか」ということです。正義とは実は簡単なことなのです。困っている人を助けること。ひもじい思いをしている人に、パンの一切れを差し出す行為を「正義」と呼ぶのです。なにも相手の国にミサイルを撃ち込んだり、国家を転覆させようと大きなことを企てる必要はありません。アメリカにはアメリカの“正義”があり、フセインにはフセインの“正義”がある。アラブにも、イスラエルにもお互いの“正義”がある。つまりこれらの“正義”は立場によって変わる。でも困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても「正しいこと」には変わりません。絶対的な正義なのです。

やなせ:うん。だから正義って相手を倒すことじゃないんですよ。アンパンマンもバイキンマンを殺したりしないでしょ。だってバイキンマンにはバイキンマンなりの正義を持っているかも知れないから。それに正義って、普通の人が行うものなんです。政治家みたいな偉い人や強い人だけが行うものではない。普通の人が目の前で溺れる子どもを見て思わず助けるために河に飛び込んでしまうような行為をいうのです。ただし普通の人なので、助けに行って自分が代わりに溺れ死んでしまうかも知れない。それでも助けざるを得ない。

つまり、正義を行う人は自分が傷つくことも覚悟しなくてはいけない。今で喩えると、原発事故に防護服を着て立ち向かっている人々がいます。自分たちが被爆する恐れがあるのに、事故をなんとかしなくてはという想いで放射能が満ちた施設に向かっていく。あれをもって、「正義」というのです。怪獣を倒すスーパーヒーローではなく、怪獣との闘いで壊された街を復元しようと立ちあがる普通の人々がヒーローであり、正義なのです。



また、アンパンマンの絵本誕生秘話については以下のように語っています。

「箱入りじいさん」の94年。 やなせたかし×糸井重里 - ほぼ日刊イトイ新聞
http://www.1101.com/yanase_takashi/2013-08-07.html

やなせ
ぼくは兵隊に行って帰ってきて、
1年間高知にいてから1947年に上京して、
三越の宣伝部に入ったんですね。
そのうち独立して仕事をしようとは思ってたんだけど、
その頃にいろんな連中と知り合ったわけ。
いずみたくにも、永六輔にも、
前田武彦とか青島幸男とか。

糸井
放送系のひとたちですね。

やなせ
その時も同じ。
「全部かなわない、こりゃダメだ」と思ったねえ。
あなたのもそうですよ。
読んでね、感覚がもう違うんだよね。
こりゃかなわない、この連中と戦うことはできない。
どこか別のところへ行かなくちゃいけない。
あれやこれやと探してるうちに、
やっとこうして子どもの仕事へ落ち着いたんです。
けれども、ぼくは自分の決心として、
子どものものは絶対やるまいと思ってたのよ。

糸井
もともとは?

やなせ
なぜかと言うとですね、
その頃の幼児絵本というのは、
「くまちゃん でてきて ころころ」とかですね、
「ぶらんこ ぶらぶら うれしいな」
みたいなやつなんですよ。こんなものは描けねえ。

糸井
それこそ子どもだましですよね。

やなせ
だからこれは絶対やらないと思ってたら、
ほんと不思議なことに、
フレーベル館という本屋で仕事するようになっちゃってね。
これには長いお話があるんだけど、
結局はそこでアンパンマンを描くことになった。
最初は、フレーベル館の中でもすごい不評でね、
「やなせさん、もうあんなものは描かないでください。
 せっかくいい才能を持ってるのに、
 こういうくだらない本を描かれると困る」
って言われたんですよ。
ところが、幼稚園の3歳児が認めてしまったんですよ。
幼稚園に行くとね、子どもが騒ぐんだよね。
そうしてついに俺は幼児絵本に行くことになったんだ。


アンパンマンのアニメ放映についても以下のように語っており、印象的です。

「箱入りじいさん」の94年。 やなせたかし×糸井重里 - ほぼ日刊イトイ新聞

やなせ
考えてない、全然。
テレビで『それいけ! アンパンマン』が始まる時は、
こういうくだらないのはおそらく2クールで
終わるだろうという予想だったんですよ。
だから日本テレビはスポンサーなしの
サスプロ(局の自費制作)でやって、
放映も関東地区のいちばん視聴率の悪い
時間帯で始まったんです。
それがいまから25年前、ちょうど昭和の終わる時なんです。
昭和の終わりの10月に始まったんですが、
そのあとに、陛下が亡くなられた。
そのために、宣伝音曲を
一切やっちゃいけないということになって、
ひっそり始まったんですよ。

糸井
元気のない出発でしたね。

やなせ
調布の現像所へ集められてね、
「今回、アンパンマンのアニメーションが始まりますけど、
 サスプロだし、おそらく2クールで終わりますので、
 期待はできません」って。
「それでもとりあえず、後楽園でオープニングの
 ショーみたいなのはやります」
と言われていたんだけれど、
それも陛下が亡くなられて中止になっちゃった。
ひっそりと始まったんです。


なお、どれぐらい病気を抱えていたかを下記ページにて自身で語っています。

やなせたかし 何のために生まれてきたの? | 生き方 | PHPビジネスオンライン 衆知|PHP研究所
http://shuchi.php.co.jp/article/1339

 僕は93歳なんですが、目が悪くなり、耳が悪くなり、心臓も悪くなりで、もう「引退したい」と言ったんです。けれども仲間が許してくれない。

 そして東日本に震災が起こって、引退だなんて甘いことは言っていられなくなったんですよね。それで思いとどまって、少し先延ばしにしたんですけれど。

 何しろ目がよく見えないので「絵が描けない」と言うと、編集者は「わかりました。それでは月末までに5枚お願いします」と言って、全然、僕の話を聞いていない。で、相変わらず仕事を頼みに来るんですよ。ほんと、困ったものなんですけど。

 僕はがんはやっているし、こっち側(左側)の腎臓は取ってしまってないんです。それからすい臓も、すい炎というのをやって上から3分の1を切り取っている。胆のうもない。この間は腸閉塞をやって、腸を45センチも切りました。心臓にはペースメーカーも入っていて、だからもうボロボロですよ。


また、「生前葬」の準備を実はしていたため、既に位牌も完成済みで墓も設計済み、戒名は「清浄院殿画誉道嵩大居士」だそうです。

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in メモ,   マンガ, Posted by darkhorse

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