メモ

遺言に従って持ち主の死後100年間封印されていた19世紀フランスの豪邸が公開される


1851年にフランスの裕福な家庭に生まれ、リモージュ県の事務局長など官僚職を務めたのちはフランス中部ムーランの古城を改築した邸宅で趣味の美術品・博物品を収集して過ごしたというルイ・マンタン。妻も子どももいなかったマンタンが1905年に54歳の若さで亡くなった際、屋敷は家具や収集物ごとムーラン市に寄付されたのですが、「100年後の人々へ19世紀のブルジョワの生活を伝えるため、手付かずで保存して欲しい」というマンタンの遺言のもと、100年間封印されていました。

約束通り1世紀にわたり誰も立ち入ることなかった屋敷を開けた際には、ホコリやクモの巣がひどく、壁紙ははがれ落ちて至るところにカビが生えるなど、かなり損傷が激しい状態だったのですが、350万ユーロ(約4億円)をかけた3年間にわたる改修を経て、2010年10月31日に博物館として公開されたそうです。


詳細は以下から。La Maison Mantin - Site du Conseil Général de l'Allier

「Maison Mantin(メゾン・マンタン)」正面となる東側のファサード。


Laussedat公園から。ムーラン市中心部に建つメゾン・マンタンは、フランス王家となる以前のブルボン公爵家の古城跡に増改築されたもので、15世紀に建造されたこの城は1775年の火事で部分的に焼失したのち廃虚となっていたのですが、フランス革命期の1791年に多くの国有財産が売却された際に民間の手にわたり、その後何度か所有者が変わったのち、1828年にマンタン家(ルイ・マンタンの祖父の代)のものとなりました。


ルイ・マンタン(Louis Mantin:1851-1905)


1881年に家族の財産を相続したルイ・マンタンは、1893年に官僚職を引退すると古城の改装を多く手がけていた建築家のRene Moreau(1858-1924)に屋敷の設計を依頼し、Rene Moreauは古城の基礎の上にネオ・ノルマン様式のイギリスのマナー・ハウスのようなスタイルと塔やタレットなどの城塞建築の要素を併せ持つ折衷様式の屋敷を設計し、1896年に改修工事が完了しました。下層階には15世紀の城の天井の低い部屋もいくつか残っているそうです。

Rene Moreauが設計した第一案。この案はちょっと「野心的すぎる」と感じたのか、Moreauはもう少し「落ち着いた」第二案をマンタンに提出し、採用されたそうです。


西側の外観。


3つある玄関ホールの1つには、オオカミのはく製が飾られています。3つの玄関のほかに使用人専用の出入り口もあるそうです。


マンタンの家はムーランの民家で初めて電気を使った照明を使用するなど、現代的な設備を備えていました。


エントランスから続く廊下。


屋敷内の至るところにマンタンが趣味で集めていたというはく製や美術品・工芸品などのコレクションが飾られています。こちらは18世紀(1792年ごろ)の扇子。


ドーム型のガラスで覆われ、決闘をしているようなポーズをつけられたカエルのはく製(19世紀)。


1階のサロン(応接室)へと続く扉。


サロン内部。


シャンデリア。


サロン内の暖炉。


マンタン家の旧家屋と増築部分の間に位置する階段。


踊り場に飾られた絵画はマンタン家の肖像画で、右端の少年がルイ・マンタンの父とのことです。


書斎。


マンタンの寝室。


寝室へと続く廊下の窓。


竹などを描いたステンドグラスは、ジャポニスムの影響を受けているそうです。


清潔感のある近代的なバスルーム。奥の戸棚では風呂上がり用にタオルを温めることができました。


バスルームのスポンジ置き場。


洗面所。


蛇口からはお湯も出たそうです。お湯は塔の1階にあるボイラー室で沸かし、塔の上部の貯水室へとくみ上げ、風呂や洗面所へ供給されていました。


1階の水洗トイレ。


壁紙の模様から「ひまわりの廊下」と呼ばれる廊下。


ルイ15世の時代のスタイルでまとめられた女性用の寝室。当初は壁と同じピンクの絹の天蓋付きのベッドが置かれていたそうですが、マルタンが亡くなったころにはベッドは撤去され寝室ではなくラウンジとして使われていたそうです。生涯独身だったマルタンですが、屋敷を改装した当時はこの部屋に住んでもらいたい女性がいたのかもしれません。

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in メモ, Posted by darkhorse_log

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