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Googleのラリー・ペイジがCEOに返り咲いた舞台裏と貫かれている思いとは

by zeitgeistminds

Google検索を開発したGoogle社は1998年にラリー・ペイジ氏とセルゲイ・ブリン氏によって設立されました。ペイジ氏は2001年に最高経営責任者(CEO)の座をエリック・シュミット氏に譲りましたが、10年後の2011年にCEOに復帰しました。シュミット氏のもとでスタートアップだったGoogleは国際的な大企業へと成長を遂げますが、その間ラリー・ペイジ氏とGoogleには一体何が起こっていたのか、知られざる舞台裏をBusiness Insiderが公開しています。

Larry Page: The Untold Story - Business Insider
http://www.businessinsider.com/larry-page-the-untold-story-2014-4

◆ローレンス・エドワード・ペイジ
ラリー・ペイジ(ローレンス・エドワード・ペイジ)氏はアメリカ・ミシガン州ランシングで生まれました。父親はミシガン州立大学の計算機科学・人工知能教授、母親は同じくミシガン州立大学でコンピュータプログラミングの教師をしており、コンピューターやガジェット、テクノロジー雑誌があふれる家だったことが、ラリー少年のクリエイティビティと発明の才を育みました。

ある日、ラリー少年はニコラ・テスラという発明家についての伝記「Prodigal Genius: The Life of Nikola Tesla(有り余る天賦の才、ニコラ・テスラの生涯)」を読みます。

テスラは非常に頭脳明晰で、8カ国語をあやつり、詩作、音楽、哲学にも精通していましたが、致命的にビジネスが下手でした。以下の写真に写っているのがニコラ・テスラ。

by Napoleon Sarony

テスラは20世紀を代表する発明家のトーマス・エジソンの会社で働いていたこともあります。テスラとエジソンのエピソードとしては「あなたの作ったモーターと発電機を改良できます」と言ったテスラに対し、エジソンが「もしできたなら5万ドル(約500万円)やろう」と答えたものの、いざテスラがモーターと発電機を改良すると、エジソンは約束は冗談だったとして10ドル(約1000円)の賃上げを行っただけだった、というものがあります。テスラは激怒し、会社をやめて新たに自分で起業します。しかし、彼が生涯にわたって求め続けた投資は一度も叶えられることなく、1943年、偉大な発明家は1人孤独にニューヨークにあるホテルの一室で息を引き取ります。

テスラの伝記を読み涙を流した少年ラリー・ペイジは「大きなアイデアだけがあっても十分ではなく、商業化が必要なのだ」ということに気づきます。また、トーマス・エジソンのような人物に利用され、自分の夢が皮肉的な終わりを迎えることに注意しようと彼は心に刻みました。テスラの生涯は、この後のペイジ氏の人生の中で重要な意味を持つことなります。

◆マネージメントにおけるラリー・ペイジ氏のルール
スティーブ・ジョブズ氏にスティーブ・ウォズニアック氏がいたように、ペイジ氏にもセルゲイ・ブリンという共同設立者がいました。


彼らはスタンフォード大学で出会い、家族や友達から集めた100万円を使って1998年にGoogleを立ち上げます。オフィスを構えたのは1階にバイクショップがあって外に路上駐車の列ができているようなビルでした。ブリン氏とペイジ氏、そしてGoogle従業員たちは仲間であると共にライバルでもあり、ペイジ氏はブリン氏と一日中言い争っていましたが、それでも2人の絆は育っていきました。ペイジ氏はブリン氏のアイデアを「ばかばかしい」と言い、ブリン氏はペイジ氏のアイデアを「単純だ」と言い、2人はお互いのことを「嫌なやつ」だと呼びましたが、そのことによって友情が壊れることはなかったのです。

ペイジ氏はあまり社会性のあるタイプではありませんでしたが、学生時代には彼の未来への展望やテクノロジーを通じて他の人々と繋がっていました。そしてGoogleでも、学生時代と同じ、人間の「感情」に配慮しない方法で繋がろうとしたのです。Googleを設立してからの数年間は、何百万もの人々が利用するツールを作りだし、彼が得意とする「アイデア」や「成果」に焦点を置いたやり取りが中心だったので問題ならなかったのですが、会社が大きくなった時、彼のコミュニケーション方法が問題となってきました。


例えばウェズリー・チャン氏は「ユーザーがMicrosoft Explorerを使わずに検索が行える」としてGoogle ツールバーを開発しましたが、彼はツールバーがユーザーに対して特別なことをするわけではないと理解していたので、ポップアップ広告のブロッカーとしての役割を持たせるというアイデアを出しました。するとペイジ氏は彼のアイデアを「これまで聞いた中で1番地味だなあ!地味すぎて君が見えないよ。どこにいるの?」とコメント。

しかしチャン氏はペイジ氏のコメントにめげず、こっそりとペイジ氏のコンピューターにツールバーをインストールしました。そしてある日ペイジ氏が部屋中の人に「ポップアップ広告を見る機会が減った」と言った時に理由を説明し、Googleツールバーは公開されるに至ったのです。


ペイジ氏は自身のルールについて、以下のように示しています。

1:人に任せない。自分でやった方が早いものは自分でやる。

2:価値を上げないのならば、人の邪魔をしない。あなたが何かをやっている間に、人々に仕事をさせてください。

3:官僚にならない。

4:アイデアは年齢よりも大切。年が若いからといって、協力し尊敬するに値しないということにはならないのだから。

5:もし他人に対して「ノー」と言うならば、相手の仕事を完遂させる別の方法を見つける手助けをしなければならない。ただストップをかけるのは人が起こす行動のうち最悪のこと。

会社の経営者にありがちな傾向として、「人を頼らずに自分自身ですべてを完璧にしようとする」というものがありますが、ペイジ氏もこの性質がかなり強かったようです。

◆何もない世界へ


1999年にGoogleの人気は爆発し、サーバーやスタッフ確保のためのさらなる資本が必要となりますが、Googleはまだ利益を得ていませんでした。そこでペイジ氏とブリン氏は新たな投資者を探しました。シリコンバレーのベンチャーキャピタリストたちは、最初はGoogleのことを笑い飛ばしていましたが、Googleが成長してくるとその価値を認め、最終的にシリコンバレーで最も名高い2社が2500万ドル(約25億円)の投資を了承したのです。

しかし、この時点のペイジ氏は26歳。ベンチャーキャピタリストたちは彼のことを大企業を率いるには早すぎると考えていたため、投資を行う条件として「大人の」監督者を雇うことを提示します。Googleは資金を必要としていたため、ペイジ氏はこの条件をのみましたが、2カ月後、投資家たちに「気が変わった。会社はやっぱり自分たち2人で運営すべきだと思う」と伝えます。自分の人生を誰かの手に預けることをよしとしないペイジ氏は、Googleについても、第3者の助けが必要であると考えていませんでした。

ベンチャーキャピタリスト側はペイジ氏の言葉に動揺し、Amazonのジェフ・ベゾス氏やスティーブ・ジョブズ氏、インテルのアンドルー・グローヴ氏とCEOの仕事について話してみることを勧めます。そしてすべてのミーティングを終え、ラリー・ペイジ氏が言った言葉は「スティーブ・ジョブズなら雇う」というもの。

もちろんジョブズ氏がGoogleのCEOになることは不可能なのですが、この言葉を聞いたベンチャーキャピタリストはペイジ氏に話を聞きつつ、他の候補を提案します。そこで紹介されたのがソフトウェア開発会社のNovellでCEOを務めていたエリック・シュミット氏でした。ペイジ氏は他のCEOと違いプログラマー出身だったシュミット氏に好感を持ち、会長として雇うことを決めました。

ところで、Googleが成長するにつれ生まれてきたエンジニアとプロジェクト・マネージャーによる「階層」を、ペイジ氏は嫌っていました。Googleは優秀なエンジニアばかりを雇っていたので、階層は必要ないどころか仕事の妨げになるというのが彼の考えで、さらに言うと、彼が個人的に重視していたプロジェクトについて、「ペイジ氏が誰かに世界中の本をスキャンしてオンラインで検索可能にするように指示しても、誰も行わない」というように、マネージャーらが人をよこさないようにしている気がしたのです。

by Niall Kennedy

何か劇的な変化が必要である、と考えたペイジ氏は、プロジェクト・マネージャーを使った仕事のシステムを廃止しようと考えます。「I'm Feeling Lucky」の著者でありGoogleの元社員であるDouglas Edwardsさんによると、この時、最高文化責任者だったステイシー・サリヴァンさんは「ばかげた発想です。あなたはただ自己組織化できていないだけで、エンジニアたちには問題が起きた時のための誰かが必要なんです」とペイジ氏の計画に反対したとのこと。しかし、ペイジ氏は彼女の助言を無視しました。

サリヴァンさんは会長だったエリック・シュミット氏にこのことを相談。シュミット氏はサリヴァンさんに同意し、話し合いの後に、2001年の7月、ペイジ氏の代わりにシュミット氏がCEOとしてGoogleを監督しだすことになりました。

一方で製品部門担当の社長となったペイジ氏は我が道を進み出します。Googleのエンジニアやマネージャーたちを自らのオフィスの外に集め、「エンジニアチームは再編成されます。これからはマネージャーに仕事はありません。エンジニアチームの役員に報告するように」と伝えました。同僚たちの前で突如クビになったマネージャーたちは呆然とするしかありませんでした。説明を求めるエンジニアたちに対してペイジ氏は、自分はエンジニアでもない人間がエンジニアを監督する仕組みが好きではないこと、エンジニアは専門知識のない人々に監督されるべきではないこと、そしてGoogleのマネージャーたちはいい仕事をしていない、ということを機械的に説明しだします。当然のことながらその場には不平不満の言葉が飛び交いました。

結局、その日解雇を言い渡されたマネージャーたちは実際に解雇されることなく別の部署へと移り、ペイジ氏の新しいプランも長くは続きませんでした。マネージャーがいなくなった状況で、エンジニアたちがフィードバックと方向性を求めたのです。そしてGoogleは再びマネージャーを雇い出します。

スティーブ・ジョブズ氏がAppleを解雇されて、再びCEOに返り咲いたのは有名な話です。その後のことを考えると「なぜジョブズを追い出したんだ!?」と思ってしまうところですが、ジョブズ氏は怒りっぽく意地悪で“破壊的”な人柄だったため、Appleがジョブズ氏を解雇しても仕方がないといえる状態でした。Appleを解雇され、新たなキャリアを築く過程でジョブズ氏は謙虚さを身につけ、人として成熟して、Appleを世界で最も有名な会社にすることができたのです。

ペイジ氏はGoogleから追い出されることこそなかったものの、Googleにおける「Apple追放前のジョブズ氏」のような存在になっていました。会社には共同設立者がいましたが会社の舵取りは本人が担当し、自分の望みを無視されて別のCEOを雇うことになったという流れにも、どこか重なる部分があります。

◆後退


シュミット氏がCEOに就任してから数年で、Googleは巨大なグローバル企業に変貌を遂げました。

シュミット氏はいつでもペイジ氏とブリン氏の話し合いの中心に立ち、役員チームを雇い、販売力を上げ、Googleをパブリックなものにしました。エンジニアチームの再編成には失敗したペイジ氏ですが、社内では従業員たちの上司として存在し、人材の雇用には彼のサインが必ず求められ、商品は必ず彼の承認を得てから公開されました。数年の間に、ペイジ氏をはじめとして何百人もの人々が百万長者や億万長者になっていきました。

当初は新たな「階層」に不満を抱いていたペイジ氏でしたが、次第にシュミット氏の力を評価するようになります。ペイジ氏の目的は子どもの時から一貫して「世界をよりよくするものを開発し、それを商業化すること」でした。Google検索の「開発」を行ったのはペイジ氏ですが、シュミット氏はペイジ氏のビジョンを資本化し、「会社」を作るのに大きな役割を果たしました。テスラの伝記にはエジソンのような“悪漢”が何人も出てきましたが、シュミット氏はどの悪漢とも違う存在でした。

ペイジ氏はシュミット氏に心を許すのと時を同じくして、どんどん裏方へと回るようになります。2007年には自分が会議に出すぎていると感じて会議への出席を断りだし、2008年ごろにはインタビューに答えることもやめてしまいます。それはシュミット氏の仕事だったからです。

◆自分にできること
GoogleのCEOがシュミット氏になった後、2003年にはGoogle Booksが公開され、2007年にはGoogle ストリートビューが立ち上げられます。いずれもGoogle創業開始当初からペイジ氏のビジョンにあったことが実現したもので、Google ストリートビューに関しては開始時点ではアメリカ5都市の路上風景だけを対象としていたのが、2014年現在では世界50カ国の国々の様子が見られるようになりました。

シュミット氏がお金を生みだし、会社を安定させ、成長させていく様子を見て、ペイジ氏は自分の役割が「自分のビジョンを生かす」ことだと気付きました。

ブリン氏とペイジ氏、そしてシュミット氏。


ペイジ氏のビジョンの1つには「地球上の人々が携帯型のコンピューターを持ち、ポケットの中でGoogleに接続できるようにする」というものがありました。彼はこれを実現するべく、自分と同じ大きな野望を持っていたAndroidというスタートアップを、シュミット氏には知らせないまま買収。AndroidのCEOは、エンジニアでAppleの元役員でもあるアンディ・ルービン氏でした。

名目上はGoogleの一部となったAndroidですが、ペイジ氏がルービン氏に対し自由裁量を認めたので、ほぼ独立した会社として存在していました。建物もGoogleとは別にして、一般社員は立ち入り禁止。Androidの買収には5000万ドル(約50億円)がかかっていますが、Googleにとって気にするほどの額でもなかったようで、シュミット氏はAndroidの存在を黙認していました。

一方でペイジ氏はルービン氏と多くの時間を過ごし、Androidの開発に情熱を燃やしました。Android以外に使う時間がほとんどなくなっていたことにペイジ氏は罪悪感を抱いていましたが、その分はシュミット氏が補っていました。

そして2008年に、ルービン氏は最先端技術を駆使したモバイル端末向けOS「Android」をT-Mobileの「G1」というモデルにインストールして公開。2007年にAppleが既にiPhoneを発表していましたが、Androidは端末メーカーがどこであるかに関わらず自由にインストールできるという点がポイントでした。

2009年の第2四半期、Androidをインストールしたスマートフォンは全体のうち1.8%しかありませんでしたが、翌年の第2四半期には市場の17.2%を占め、トップに君臨していたAppleを抜きます。そしてAndroidはすぐに世界で最も有名なOSとして名を馳せることになります。Androidの成功の裏で、シュミット氏の監督のもとGoogleもまた大きく成功しており、2010年には会社の時価総額は1800億ドル(約18兆円)に、従業員数は2万4000人に到達。

一方、ペイジ氏はAndroid開発中の2007年に結婚。家族ができたことや、Android関連で数々のツールを作ったりしたことで、かつては苦手だった「他人に任せる」という能力を身につけていました。

しかし、会社が大きくなりすぎて、今度は官僚化された職務がエンジニアたちを苦しめだしました。Googleの問題についてはシュミット氏も認識するところで、「三頭政治が世界でも一流レベルの商品を作り出し、人々に届けた時もありました。しかし時は過ぎ去ったのです」という発言も。この発言が記載された記事に対してシュミット氏は激怒しましたが、現実として、官僚化の他にも多くの問題がありました。

そしてペイジ氏もまた、会社のあり方について疑問を感じ始めます。彼は「In The Plex」という本のインタビューで「もう1度CEOをやりたいか」と問われると穏やかに「私は今の仕事を楽しんでいます。多くのことに対して十分に影響力を持つし、それが変わってほしいとは思いません」と答えますが、インタビューが終わり1度部屋を退出した後に戻ってきて、「ただ人々が仕事に対して十分に影響を与えていないように感じます。Googleはもっと大きなスケールと早さで仕事ができるはず」と付け加えました。

by Antonio Manfredonio

2010年秋、ペイジ氏はいつものようにシュミット氏・ブリン氏とともにプロダクトレビューに参加。しかし、あるプロダクトの説明中に「これじゃない。我々は何億もの人々が抱える大きな問題を解決するため、Android・Gmail・Googleマップ・Google検索のように技術を盛り込んだプロダクトを生み出しているのです。これこそが我々の仕事で、人々の生活に欠かせないものを作っているんです。このプロダクトは、そうじゃない」とペイジ氏は断言。

この時点でペイジ氏・ブリン氏・シュミット氏の3者は「Googleに何が必要になってきたのか」ということに気付き、2011年1月20日、シュミット氏がCEOを退任してペイジ氏へとその席を譲ることが発表されました。のちにシュミット氏はTwitterで「大人の監督者はもはや必要なかった」とツイートしています。

◆新しいラリー・ペイジ
ペイジ氏がまず上級マネージャーを再編成。YouTube・広告・Google検索など重要なところから作業に取りかかり、Androidのような成功を目指しました。そして、Facebookに対抗するソーシャルなサービスとして「Google+」を開始し、2011年の夏にはそれぞれのプロダクトを一貫性のある形へ再設計しました。

また、Appleやその他の企業から裁判を起こされないよう特許を取得するため、125億ドル(約1兆2700億円)でMotorolaを買収。ChromebookGoogle Glassなども次々に公開していきます。そして2012年の終わりには、誰でもブロードバンドの100倍の速さでインターネットができる光ファイバーケーブルサービス「Googleファイバー」の提供をカンザスシティで開始。

信じられないほど大きな夢を持っていた子どもの頃のペイジ氏を知っている人以外は彼の行動に驚きましたが、彼は自分の持つ最速のスピードで夢を現実のものにしました。周囲の人々は、ペイジ氏が裏方に回っていた間にどれほど変化したかを実感することになります。

2013年2月、ペイジ氏はGoogleの取締役たちに向けてスピーチを行いました。

Googleの野望が信じられないほど高くを目指すもので、今スピーチを聞いてる人々が内輪争いをやめない限り目標に達することができない、と切り出したペイジ氏。スピーチの中で、過去のGoogleや自分がメンバーに攻撃的であることを要求していたこと、そして自分が誰よりも攻撃的であることを認めつつも、ペイジ氏は「Googleは『争いゼロ』の会社であるべきだ」と語りました。さらに、今まで想像さえしていなかった方法で問題を解決したり、全てを包括する新しいマーケットを作り出したりするためにこれまでの10倍成長する必要があり、そのためにGoogleの取締役たちは共に働くことを学ばねばならない、と続けました。

在籍期間の長い人ほど、このスピーチと内容から伝わってくるペイジ氏の変化に驚かされました。


◆全ての望みと必要を理解すること
ペイジ氏がGoogleのCEOに返り咲いて今年で4年目。株価は1株あたり700ドル(約7万円)で、年間収益が1000億ドル(約10兆円)を越えるのもそう遠い話ではありませんが、ペイジ氏はすでに「検索の次に、Googleは何ができるだろうか」と考えています。

ペイジ氏とGoogleは「Google検索」と「Android」という2つの大きな技術を生み出しましたが、Androidは基本無料で提供されているため、Googleにとっては「Google検索を使ってもらうための拡張的な事業」といった位置付けに過ぎません。Googleの収益の90%は広告で、総収入の70%は検索広告が生み出している状態です。ネット広告にかけられる予算の割合はすでに雑誌広告と新聞広告を合わせたものを越えており、やがてはGoogle検索が地球上にあるほぼすべての宣伝費用を飲み込んでしまう日が来ることすらもありえないことではありません。そうなると、Google検索には成長の余地がなくなってしまいます。

だからこそ、ペイジ氏は「未来はどこに向かい、Googleは何を作り出すのか」と自分自身に問いかけて、自動運転車や人工知能を開発したり、健康と人間の幸福を改善する新しい会社「Calico」を設立したり、Googleファイバーの提供を開始したりしました。2013年にはスマート火災警報器「Nest Protect」の開発元を買収、2014年4月にはソーラー駆動の無人航空機を開発する「Titan Aerospace」も買収しました。これらの大きな野望を抱いたプロジェクトは、Googleの中で「moonshots」と呼ばれています。


Googleは一見さまざまなビジネスにランダムに介入していっているように見えますが、その背後には重大な目的があります。ペイジ氏が思い描いているのは「我々の触れるものは全て人工知能を持つコンピューターと接続しており、人工知能は我々が自分で必要なことに気づくよりも早く何が必要かを認識する」という世界です。

つまり、彼のビジョンでは、誰かが家の中を歩いて「寒い」と感じるとスマートウォッチがユーザーの感情を調べだし、サーモスタットがユーザーを暖めるように機能することが可能。もし牛乳が足りなければ、スマート冷蔵庫が自動運転車に指示を送り、Googleのロボットによって運営されるスーパーマーケットで買い物が行われます。これら全てはGoogleの根幹である検索エンジンが中心となっているので、「完璧な検索エンジン」を作り出すためにGoogleはさまざまな分野に手を伸ばしているというわけです。

ペイジ氏の描く世界を恐ろしく思う人がいるかもしれませんが、彼は人々を利用して人工知能を開発しようとはしているわけではなく、「テクノロジーは人々の生活をよくすることができる」と心から信じ、ユートピアを思い描いています。

12歳のラリー少年が読んだ、貧しいまま無視され続けたニコラ・テスラの晩年とは異なり、ペイジ氏は野望のために数十億ドル(数千億円)と無数の時間を費やしています。2013年に行われたGoogleカンファレスを「現代の人々が狩猟や農耕で暮らしていた祖先の生活を『ありえない』と思うように、未来の人々は今の我々の生活を見て『ありえない』と思うでしょう」という言葉で締めくくったペイジ氏はこの先、いったいどんな「ありえない」未来を実現するのでしょうか。

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in メモ, Posted by darkhorse_log

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