40年日本で過ごしたアメリカ出身の東大教授から見た日本の英語教育の「パラドックス」とは?
東京大学の名誉教授であるトム・ガリー氏は、1983年に来日して以来、約40年にわたり翻訳者や辞書編集者、英語講師として活躍している言語学者です。英語と日本語の両方に精通した言語の専門家であり、日本の大学で言葉を教えた教育者でもあるという立場から見た日本の英語教育の特殊性について、ガリー氏が論じました。
The English Paradox: Four Decades of Life and Language in Japan | TokyoDev
https://www.tokyodev.com/articles/the-english-paradox-four-decades-of-life-and-language-in-japan
・目次
◆1:日本では英語が重要ではない
◆2:びっくりするほど英語に興味がない
◆3:公平さと画一性
◆4:日本の外国語教育が直面する変化
◆5:外国人が日本で働く上で必要な言葉
◆1:日本では英語が重要ではない
1983年8月に東京へと移り住んだガリー氏は当初、外国人向けの集合住宅に居を構え、英語が堪能な近隣住民や友人に囲まれて過ごし、英語の新聞やラジオ、映画に接しながら生活していました。
街角や電車の中などで日本語を目にする機会は多かったものの、理解できなかったのでほとんど無視していたというガリー氏は、英語だけを使って日本で生活する内に、自然に「英語は日本での暮らしに欠かせない重要な言語」だと考えるようになったとのこと。
しかし、そんなガリー氏の考えは日本での生活の中で徐々に変化し、最終的には180度転換することになります。
高校生時代から外国語に興味を持ち、大学と大学院で言語学を専攻していたガリー氏は、英語講師として働く傍らで仕事以外のほとんどの時間を日本語の勉強に費やし、集中的な学習により2年で日本語を習得しました。
翻訳の仕事を始めたガリー氏は、最初のうちは「英語は重要」だという考えを強めていきました。というのも、日本の企業や政府機関はこぞってガリー氏に翻訳を依頼し、気前よく翻訳料を支払ったからです。それは、日本における英語の経済的価値の証明に他なりませんでした。
ところが、自分の仕事がクライアントである日本人たちからどう扱われているかを見るうちに、ガリー氏は少しずつ自分の考えに疑問を抱くようになりました。
例えば、あるクライアントは会社のパンフレットの英訳をガリー氏に依頼しましたが、日本語のパンフレットが何千部も印刷されたのに対し、英語版のパンフレットは100部しか刷られませんでした。また、ある国立劇場は演劇のプログラムの翻訳をガリー氏に依頼しましたが、できあがった冊子32ページのうちガリー氏の英訳が載ったスペースはたった1ページで、もちろん演劇も日本語でした。
こうした経験からガリー氏は、確かに日本では英語がある程度の経済的価値を持っているものの、日本語の重要性に比べればその価値ははるかに小さいということに気づきました。
「翻訳者になって日本語が読めるようになったことで、かえって日本での生活において英語がいかに周辺的なのかに気づかされました」とガリー氏は振り返っています。
仕事だけでなく、私生活でもガリー氏はだんだん英語を使わないようになりました。ガリー氏には2人の娘がおり、小さい頃は家庭では英語だけで会話していましたが、子どもたちの母国語はあくまで日本語だったとのこと。そのため、2人が小学校に上がると、学校の話をするのに日本語を使わなければなりませんでした。
そのうち、ガリー氏は英会話教室で生徒と話す時と年に1~2回アメリカの家族を訪ねる時以外、英語を話す環境に身を置くことがほとんどなくなったそうです。
◆2:びっくりするほど英語に興味がない
来日してからの約20年間を英語教師やフリーランスの翻訳者として過ごしたガリー氏は、2005年に東京大学に採用され、学部生が英語で科学論文を書くためのコースの開発と運営を担当しました。
こうして日本の英語教育に本格的に携わるようになったガリー氏は、優秀な学生に世界共通語たる英語を身につけさせたい政府や大学の思惑と、実際に英語を学ぶ学生たちの間に激しい温度差があることに気づきます。
ガリー氏の手ほどきを受ける学生たちの中には、ライティングの授業を熱心に受ける人も何人かいましたが、ほとんどは英語にあまり関心がなく、英語スキルの習得より単位の取得を目当てにしていたとのこと。
これについてガリー氏は「彼らの英語に対する冷淡な態度は、『グローバル化の時代』における英語力の重要性を説く教育指導者や教育当局の熱意と著しい対比をなしていました」と述べています。
by sawako
ガリー氏はまた、他大学を訪問して他の教育者と情報交換をする中で、日本の英語教育全体の状況についても知ることができました。その結果、英語への無関心さはなにも東京大学だけではなく、日本の大学全体に見られる傾向だったことがわかりました。
しかも、2番手や3番手の大学では東京大学の学生より英語力が低いだけでなく、英語をすらすらと話せるようになることへの関心もはるかに低かったとのこと。一握りの例外を除いて、日本のトップクラスの大学の学生たちは英語が自分の将来の役に立つとも、英語を巧みに使いこなせるようになりたいとも思っておらず、結果として大学生らの英語力は初級程度にとどまり、それなりの英語力を身につけて大学を卒業する学生はほとんどいませんでした。
さらにガリー氏を驚かせたのは、英語圏の文化に対する日本の若者たちの関心の薄さです。
ガリー氏と知り合いになる英語が堪能な年配者の大半は、若い頃に英語圏のメディアに夢中になった経験のある人たちでした。なぜなら、1950~60年代の日本では、アメリカやイギリスのロックやポップミュージック、ハリウッド映画、テレビ番組が生活の中で大きな存在感を放っていたからです。
しかし、ガリー氏が会う若者の中には、アメリカのヒップホップやテレビドラマに夢中になっている学生がまれにしかいません。そのため、日本の若者の多くは自国のポップカルチャーに満足しているように見えると、ガリー氏は述べています。
◆3:公平さと画一性
東京大学に着任して月日がたち、大学院生に英語を教えるようになると、日本の教育現場を見るガリー氏の視野はさらに広くなり、日本の英語教育をめぐる論争の根底にあるひとつのテーマが見えてきました。
それは「英語教育は公平でなければならない」という不文律です。
めったに意識されませんが、すべての子どもが平等に英語を学ぶべきだという認識は、日本の英語教育に関する議論の中で暗黙の了解となっており、そのことに疑いが差し挟まれることはほとんどありません。
例えば、英語の授業を始めるのは10歳にすべきか、12歳にすべきかという議論はあっても、子どもの能力や希望に応じて英語教育を始める年齢に差を付けてはどうかという提案が検討されることはありませんでした。
同様に、2010年代後半に激しい議論となり最終的に見送られたセンター試験の英語民間試験導入や、英語試験へのスピーキングの追加でも、すべての受験生に等しく実施されるか、あるいはまったく実施されないかの二者択一で、それ以外はすべて「不公平」とされました。
画一的な英語教育は、義務教育だけでなく多くの高校や大学レベルでも一貫しており、学生の学習方法や興味関心にかかわらず、教育に関する議論ではすべての子どもが同じカリキュラムと学習ペースで学ぶべきだということが前提とされています。
これについてガリー氏は「日本の英語教育政策は『公平』という概念に支配されています。日本社会では学歴が重要であるため、富裕層、都市部、高学歴の親を持つ子ども、たまたま独学で英語が堪能になった子どもなど、特定のグループが優遇されるような政策は国民の反発を招くことになるのです」と分析しています。
◆4:日本の外国語教育が直面する変化
英語だけでも、日本の教育政策にとって悩ましい問題ですが、日本では英語話者ではない外国人が急速に増えています。そのため、中国語やベトナム語、ネパール語を話せる人材のニーズが急激に高まっていますが、日本の教育制度は英語ひとつにほぼすべてのリソースを割いていると、ガリー氏は指摘しています。
法務省の統計によると、2023年末時点で日本に住む外国人約300万人のうち、圧倒的に多いのが中国人の82万人で、年に8%ずつ増えています。また、2番目に多いベトナム人は56万5000人以上で、増加率は15.5%です。これに対し、日本に住むアメリカ人の数は6万3000人、増加率はたった4.3%でした。
日本の教育システムが直面しているもうひとつの変化が、AIに代表されるテクノロジーの発展です。機械翻訳の精度が向上し、大規模言語モデルが自然に文章を翻訳してくれるようになりましたが、日本政府はこの技術が英語教育に与える影響についてほとんど議論していません。
ガリー氏は、AIの魅力的な用途のひとつは、個々の生徒に合わせたインタラクティブな学習体験を提供できる点だと考えていますが、公平性がなによりも重視される日本の教育現場にこうした技術を導入することは非常に困難であると指摘しています。
◆5:外国人が日本で働く上で必要な言葉
ガリー氏がこの記事を寄稿したのは、日本で働くことを目指す海外のソフトウェア開発者向け求人サイトのTokyoDevです。
ガリー氏は日本で働こうと思っている人へのアドバイスとして、「日本人は、主に教科書の勉強と試験対策を通じて英語を学び、自然なコミュニケーションツールとして英語を使う機会は限られてきました。何年も英語を勉強してきたにもかかわらず、会議や公の場で英語を話すことをためらう同僚やクライアントがいる一方で、英語で文書やメールを書くことに抵抗がない人がいるのは、このような背景があるからです。そのことを意識しておくと、日本の同僚をサポートしたり、よりしっかりと職場関係を築いたりするのに役立つでしょう」と述べました。
・関連記事
「日本語の言葉や名前はアフリカのものっぽく聞こえる」と海外の人が感じる理由 - GIGAZINE
10年以上日本に住んだ外国人が語る日本語の美しい「解離」とは? - GIGAZINE
マンガが英語版に翻訳される方法の変化に「日本のマンガそのものを楽しみたい」というアメリカのマンガファンの熱意が詰まっている - GIGAZINE
「日本の小説ブーム」がイギリスで起きている、「猫」や「曖昧さ」などブームに不可欠な意外な要素とは? - GIGAZINE
日本より進んだ英語教育など元教師が驚愕したアフリカの学校3つ - GIGAZINE
・関連コンテンツ