サイエンス

16世紀の錬金術師の工房から当時まだ存在が明らかになっていなかった元素が見つかる


デンマークの貴族として1546年に生まれたティコ・ブラーエは、1601年に亡くなるまでの間に著名な天文学者兼錬金術師として活躍し、晩年には後にケプラーの法則を唱えたヨハネス・ケプラーと共に天体観測に従事したことが知られています。そんなブラーエの錬金術工房の跡地から見つかった破片の分析から、当時まだ公式には報告されていなかった金属元素が見つかったことが報告されました。

Chemical analysis of fragments of glass and ceramic ware from Tycho Brahe’s laboratory at Uraniborg on the island of Ven (Sweden) | Heritage Science | Full Text
https://heritagesciencejournal.springeropen.com/articles/10.1186/s40494-024-01301-6


Chemical Analyses Find Hidden Elements from Renaissance Astronomer Tycho Brahe’s Alchemy Laboratory
https://www.sdu.dk/en/om-sdu/fakulteterne/naturvidenskab/nyheder-2024/tycho-brahe-alchemy

Analysis of Renaissance Alchemist's Lab Reveals Presence of a Surprise Element : ScienceAlert
https://www.sciencealert.com/analysis-of-renaissance-alchemists-lab-reveals-presence-of-a-surprise-element

デンマークの有力貴族の家に生まれたブラーエは高いレベルの教育を受け、天文学と正確な測量器具の製作に関心を持ったといわれていますが、それと同時に錬金術への興味も強かったとのこと。デンマーク王フレデリク2世からヴェン島の邸宅を下賜されたブラーエは、島内にウラニボリという天文観測所兼錬金術工房を建設し、さまざまな研究を行っていました。

その後、デンマーク王が交代するとブラーエは後ろ盾を失ったため、ウラニボリは1597年に放棄され、ブラーエの死後の1601年に破壊されました。今日ではウラニボリの痕跡はほとんど残っていませんが、1988年~1990年にかけての発掘調査では古い庭園から陶器やガラスの破片が見つかっています。

ウラニボリの外観はこんな感じだったと思われています。


南デンマーク大学のコーア・ルンド・ラスムッセン教授とデンマーク国立博物館のポール・グラインダー・ハンセン氏の研究チームは、ウラニボリのものと思われるガラスの破片4個と陶器の破片1個を質量分析法で分析し、ブラーエがどのような物質を扱っていたのかを調べました。

今回の研究では、以下の写真の赤枠で囲った部分を分析したとのこと。


分析の結果、破片にはニッケル亜鉛スズアンチモンタングステン水銀といった微量元素が濃縮されていることが判明しました。これらの発見は、当時の錬金術師が病気の治療によく用いていた水銀や金といった元素が、ブラーエの実験でも用いられていたことを示唆しています。

中でも興味深い発見とされているのが、タングステンの存在です。タングステンが初めて公式に命名されたのは1781年、スウェーデンのカール・ヴィルヘルム・シェーレが分離に成功した時であり、ブラーエが錬金術の研究をしていた16世紀の時点では公に報告すらされていませんでした。

ラスムッセン氏は、「最も興味をそそられるのは、予想以上に高い濃度で見つかった元素です。これは濃縮されていたことを示唆しています」「タングステンは非常に神秘的です。タングステンは当時、説明すらされていませんでした。ティコ・ブラーエの錬金術工房の破片にタングステンが含まれていたことから、一体何を推測するべきなのでしょうか?」と述べています。

研究チームによると、1500年代前半にはドイツの鉱物学者であるゲオルク・アグリコラが、スズ鉱石からタングステンを分離する手がかりを見つけていたとのこと。そのことをブラーエは知っており、独自にタングステンの分離に成功していた可能性もあると研究チームは推測しています。


当時の錬金術師は秘密主義であり、自身の研究成果をあまり他人と共有していなかったため、ブラーエがタングステンの分離について報告しなかったことも不自然ではありません。ブラーエは錬金術でペストや梅毒、ハンセン病などの薬を開発していたそうですが、他の錬金術師と同様にそのレシピは選ばれた少数の個人とのみ共有したとのこと。

グラインダー・ハンセン氏は、「ティコ・ブラーエが天文学と錬金術の両方に携わっていたのは奇妙に思われるかもしれませんが、彼の世界観を理解すれば納得がいきます。彼は天体と地上の物質、そして体の器官には明らかなつながりがあると信じていたのです」と述べました。

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in サイエンス, Posted by log1h_ik

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