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指輪物語の「シャイア」は牧歌的で穏やかな社会ではない、シャイアの経済や社会システムを分析した結果とは?


J・R・R・トールキンの「ホビットの冒険」「指輪物語」は架空の種族が暮らす架空の都市が舞台となっていますが、設定の作り込みがすさまじいため、しばしば熱心なファンが人口分布や社会構造などを分析しようと試みています。 歴史や古典学を専門とするトールキンファンのネイサン・ゴールドワグ氏が、作中に登場する「ホビット」という種族が過ごす地域「シャイア」の経済体系について分析しています。

The Moral Economy of the Shire | Goldwag's Journal on Civilization
https://nathangoldwag.wordpress.com/2024/05/31/the-moral-economy-of-the-shire/


シャイアとは「ホビット庄」とも呼ばれ、「ホビットの冒険」や「指輪物語」に登場する身長が60cmから120cmほどでとがった耳と太った体を持つ架空の種族「ホビット」が暮らす地域を指します。ホビット庄はしばしば「昔は退屈でつまんなそうに感じたけど大人になったら魅力的に感じる田舎の暮らし」というミームで引用されますが、ゴールドワグ氏は「シャイアの政治経済は本当に快適な環境なのか?」と疑問に感じるそうです。

トールキンは作中でシャイアの詳細をあまり語っていませんが、「イギリスの田舎社会の理想化されたバージョンとして構築されています」とゴールドワグ氏は指摘しています。「指輪物語」の冒頭ではシャイアについて短い説明があり、ゴールドワグ氏は以下のように引用しています。

当時のシャイアにはほとんど「政府」がありませんでした。ほとんどの家族が自分たちの事柄を自分で管理していました。食料を育てて食べることが彼らの時間の大半を占めていました。
他の事柄に関しては、彼らは基本的に貪欲ではなく寛大で、満足して節度を守っていたため、地所、農場、工房、小規模な商売は、何世代にもわたって変わらない傾向がありました。


また、シャイアの制度的な面でわかっていることがいくつかあります。そもそもシャイアは、アルノールという国の10代目の王であるアルゲレブ二世が、第三紀1601年にホビットへ与えた土地のことを指しています。代わりにホビット族は王を領主として認め、橋や道路の維持や、王の使者を助ける役職を担っていました。アルノール王国の崩壊後も、不在となった君主の代わりとなるセインという首長制が採用されました。

また、シャイアの主要都市であるミシェル・デルヴィングでは市長が7年ごとに選出され、市長は主要な仕事として宴会を主催するほか、郵便局長と保安官として警備隊を管理していました。このことから、「シャイアには君主や市長などに徴収されるような税金はほとんど、あるいはまったくなかっただろうと考えられます。シャイアの政府は最小限しか機能しておらず、必要な資金はアテネなどの古代地中海民主主義国では一般的だったような、橋や道路の通行料および関税、エリートからの自発的な寄付によって賄っていたと思われます」とゴールドワグ氏は述べています。


ホビット族は基本的に自給自足で、農業か余暇を楽しんでいる描写がよく見られますが、その一方で製粉所や職人、大規模栽培など、よく発達した経済がシャイアにはあります。これの理由について、ゴールドワグ氏によると、作中で描写されるホビットは典型的なホビットではなく、地主階級などシャイアの中でも社会的優位にいる人物だからと考えられるそうです。そのため、シャイア経済が自給自足の生活にしては時間的にも経済的にも余裕があるように感じられるとのこと。

これはイギリスの田舎の伝統的な社会組織システムに近く、地主階級は貴族ではないため法的特権を持っておらず、農奴制のような封建的な制度とも異なっています。少数の地主階級は土地の多くと農業資本の多くを所有しており、コミュニティに対して経済的および社会的に高いレベルの支配力を非制度的に持っています。他のほとんどの住民は、生産物の多くを地代として地主に返還する小作農か、小規模な土地を所有して独立しながらも多くの点で地主階級に依存するヨーマンのいずれかです。

この社会構造を理解すると、シャイアがどのような統治形態となっているか明らかになります。シャイアには組織化された行政は存在せず、地主階級などのエリートが統制しています。これは家族と一族の力関係を中心に組織された社会であり、権力は役職からではなく、知人や利害、借金など人間関係の網から発生します。ただし、上層と下層の格差は大きくなく、借金奴隷制のような不当労働は存在しないため、シャイアの制度は比較的緩いことも作中では示されています。


シャイアを理解するための重要なワードとしてゴールドワグ氏が追加で挙げているのが「クライエンテリズム(clientelism)」です。クライエンテリズムとは恩顧主義とも呼ばれ、政治や組織において、特定の個人やグループに対して特典や恩恵を提供することで、その支持や忠誠を得ようとする行為やシステムを指します。シャイアの政治経済は、強力なパトロンとそれに依存するクライアントの関係で構成されるクライエンテリズムが主な組織力である可能性が高いとゴールドワグ氏は指摘しています。

宴会を開催したり贈り物を交換し合ったりするのがホビットの主な関心事であるとしばしば描写され、市長の主な仕事は宴会の主催であるともわかっています。これは牧歌的な暮らしに聞こえますが、その裏には人間関係のつながりを組織の重要なファクターとする政治経済構造があると考えられます。

アメリカの政治学者であるジェームズ・C・スコット氏は「農民の道徳経済:東南アジアにおける反乱と生存」という著書で、シャイアと同じような農民主体の社会で起きた1930年代の農民反乱を分析しています。これによると、農民反乱の根本的な原因は植民地主義と市場資本主義による伝統的な社会政治的および文化的規範、いわゆる道徳経済の崩壊であったとのこと。同じことがシャイアでも起きたと考えられ、「王の帰還」では海外から帰ってきた上層階級のホビットが、シャイアの枠組みの外にある外交貿易にアクセスし、外国人兵士を招いて地元の抵抗を抑えつけています。結果として、シャイアを支配しようとする陰謀は阻止されましたが、破壊された伝統は完全に戻ることなく、シャイアはある程度金と権力によって腐敗した社会になりました。


ゴールドワグ氏は、シャイアが牧歌的でユートピア的な生活だという認識は誤りであり、シャイアのライフスタイルを維持するためにどれだけの労力がかかっているかを認識できていないと指摘しています。トールキンの描く中つ国は架空の世界ですが、実際の歴史の断片から構築されたとみられる部分も多くあります。シャイアを含むトールキンの世界を分析することで、私たちの過去が実際にどのように機能していたのか、もしくは私たちの過去としてありえた社会はどうだったのかを、理解する試みになるとゴールドワグ氏は語っています。

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in メモ, Posted by log1e_dh

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