インタビュー

若き日の安倍晴明を描いた映画「陰陽師0」の佐藤嗣麻子監督にインタビュー


夢枕獏さんの小説「陰陽師」を原作として、安倍晴明がまだ陰陽寮の学生(がくしょう)だった時代、名バディとなる源博雅との出会いと平安京をも巻き込む凶悪な陰謀と呪いを描く映画「陰陽師0」が、2024年4月19日から公開となりました。本作の監督である佐藤嗣麻子さんは、原作者である夢枕獏さんとは40年来の付き合いがあり、長らく熱望していた映像化をとうとう実現させました。夢枕さんから「どれだけ期待していただいても大丈夫です」との太鼓判をもらった作品はどのような監督が生み出したのか、佐藤監督にお話をうかがってきました。

映画『陰陽師0』公式サイト|2024年4月19日(金)公開
https://wwws.warnerbros.co.jp/onmyoji0/

GIGAZINE(以下、G):
文春文庫50周年×映画『陰陽師0』」のサイトに夢枕獏さんから「これまでにない新しい安倍晴明がここに誕生しました」「皆さん、どれだけ期待していただいても大丈夫です」とのメッセージが掲載されていました。

佐藤嗣麻子監督(以下、佐藤):
ベタぼめですね(笑)

G:
「漫画や映像で呪術をあつかうと、何でもやれてしまうので、どう歯止めをかけて、しかも絵として見映えのあるものにしてゆくかが難しい。そのバランスが実によくできている」とのメッセージもあったのですが、この部分、バランスはどのように取っていったのでしょうか。

佐藤:
まず、呪術に対しての知識というのを一般の人たちは持っていないと思うんです。そして次に、呪術オタクの人たちがいますが、その中でも知識が違ってきます。だから、呪術には制限もあるんですけれど、そういうのは特に詳しい呪術オタクにしか伝わらない部分で。

G:
なるほど。

佐藤:
そうなると、ファンタジー作品のように「この魔法で!」「じゃあ倍の魔法で返す!」「変身!」とエスカレートしていってしまうのではないかということを獏さんはおっしゃっているんだと思います。でも、この作品ではそうなっていなくて、最初からリミットを設けて一線を引いています。

G:
「陰陽師0」公式SNSで、「教えて映画陰陽師0」というQ&A企画がありました。その中で「若き安倍晴明を描いた理由は?」という質問に、監督が「原作の晴明はすでに完成されているので、もがいてほしいなとも思っていました」と答えていたのですが、もがいてほしいと思った理由というのは何だったのですか?


佐藤:
ものすごく単純ですけれど、物語の主人公は、悩んだり失敗したり、いろいろすべきキャラクターなんです。ところが、獏さんの晴明は超然とした存在で見守る存在になっていて、失敗したりするのは博雅の役割になっています。そうなると、博雅が主人公っぽくなってしまうんです。主人公が安倍晴明であるからには、晴明が失敗して立ち直って……ということをしなければいけなくて、そのためには若い時代じゃなければできないだろうな、と考えました。

山崎賢人さん演じる、若き日の安倍晴明


G:
明確な理由があったんですね。若くするにしても、いろいろな年齢が設定できたと思いますが、その中で本作の年齢にしたのはなぜなのでしょうか。

佐藤:
これは、村上天皇の即位2年目のお話だからということになります。獏さんが描いている「陰陽師」の話は村上天皇の代なので、たとえばその前の醍醐天皇の代に設定してしまうと、雰囲気が変わってしまいます。それと、博雅は醍醐天皇の第一皇子の長男、村上天皇は醍醐天皇の第十四皇子で、博雅にとって村上天皇は「年下の叔父」にあたるという関係性を変えたくなかったんです。もう1年だけ前にすることもできたかもしれませんが、そうすると村上天皇は即位してすぐで、慌ただしくなるかなと思いました。ちょうど、徽子女王がこの年に求婚されているというのもあります。

奈緒さん演じる徽子女王。和歌や琴、書などに優れ、三十六歌仙の一人「斎宮女御」として知られています。


G:
なるほど、そういう選び方だったんですか。すごいタイミングなんですね。

佐藤:
このときに誰が何をしていたのか、大臣は誰だったのかというのを列挙した年表を作っているので、その中から一番いい年代を選びました。

G:
今回、お話をうかがうにあたり調べたところ、監督は「陰陽師」について事細かに調べておられて、奥州市で行われた特別試写会のときには、源博雅が武士ではないことを指摘するために国立国会図書館で資料を集めて夢枕先生に送ったというエピソードが語られていました。

佐藤:
そうなんです(笑) 獏さんの小説は安倍晴明と源博雅のバディものなんですけれど、晴明はある程度有名だった一方で、博雅は小説が書かれた時点ではそこまで有名ではなかったんです。私は「博雅とは何者なんだろう」と興味を持つと同時に「武士」と書かれていたことにすごく違和感があって……「平安時代の宮中に武士?平将門の乱とかもあるし、関東武者なんだろうか?」と。

G:
ああー、なるほど。

佐藤:
それで、国立国会図書館で調べてみると、「博雅笛譜」を作った、雅楽界では天才としてすごく有名な人だったんです。その人を武士にしてしまっていて「獏さん!なんてことだ!」と(笑)

G:
それで、資料を送ることになったと。

佐藤:
すぐに獏さんや岡野玲子さんに送りました。郵送だったかFAXだったか……岡野さんにはFAXだったかもしれません。国立国会図書館で本の内容をコピーしてもらうと、当時は用紙がすごく大きくて高かったですね(笑) 今はもうちょっと便利になったようですけれど。

G:
映画化にあたっての夢枕獏さんからの要望は「呪文は口から出すこと」「雲中菩薩を出してほしいこと」の2点だけだったそうですね。呪文はわかるのですが、雲中菩薩というのは……?

佐藤:
雲中菩薩というのは平等院などにある木で彫られた像で、菩薩が楽器で雅楽を演奏している姿なんです。音楽の象徴というような感じの菩薩で、「出してほしい」と言われただけなので、どこで出してもよかったんだと思いますけれど……それこそ、ラスボスが雲中菩薩とか(笑)

G:
いやいやいや(笑)

佐藤:
でも、やっぱりこれは博雅の笛から出るべきだなと考えてああいった登場の仕方になりました。

染谷将太さん演じる源博雅


G:
少し、作品と直接関係する質問ではないのですが、佐藤監督はインターネットが普及する以前から活動しておられて、ネット上で探すだけだと昔の情報で欠けていて見つからない話があるのでうかがいたいと思います。監督は2023年6月に、ジュリアン・サンズさんの訃報に際して、デビュー作の「ヴァージニア」に出演してもらったことに触れていました。この「ヴァージニア」はDVDもBlu-rayも出ていなくて、VHSにプレミアがついて1万7000円とかになっているのですが、なぜ最初の映画の題材に吸血鬼ものを選んだのですか?


佐藤:
それはもう、私が萩尾望都さんのファンだからです(笑)

G:
それで当時のパンフレットに萩尾さんのメッセージが載っていたんですね。

佐藤:
私、ロンドンの映画学校時代に、卒業制作作品として、萩尾さんの「半神」という短編を映像化したいと思ったんです。野田秀樹さんが舞台にしたこともある作品で、「卒業制作で作りたいので許可をいただきたいです」と小学館にお手紙を出したら、名物編集長だった山本さんが萩尾さんに手紙を転送してくれて、萩尾さんから直接「いいですよ」という返事があったんです。

G:
おお!

佐藤:
「やった!」と思って作ったらすごく評判がよくて、いろんな映画祭で賞を取ることができて、その次が「ヴァージニア」だったんです。1992年に撮影して、向こうでは1992年か93年に公開されたと思います。日本では、渋谷でやるファンタスティック映画祭に出すことになって、そのときに、萩尾さんが楽屋を訪ねてきてくれたんです。ところが、ちょうど入れ違いで会えなくて「萩尾さんが来たなら会いたかった」と言っていたら、獏さんが、萩尾さんや岡野玲子さん、手塚眞さんとごはんを食べる会に誘ってくださって。萩尾さんは私にとっては神様ですから、「神様に会えた……!」と、もう震えるやら何やら(笑)

G:
(笑)

佐藤:
それが27歳か28歳のときでした。ちなみにこの間、うちの主人(山崎貴監督)がスピルバーグに会って「神様に会えた」と言っていたので、「よかったね。私は20代で会えたよ」と伝えておきました(笑)

G:
なんという余裕(笑) 当時のパンフレットには、夢枕獏さんから「佐藤嗣麻子は、はじめから世界を相手に仕事をしている。これは日本映画史上希有のことであろう。ついにこのような監督が現れたのだ。若さも、女であることも、佐藤嗣麻子という個性であることも、あらゆることが表現者にとっては武器である」というようなメッセージが寄せられていて……。

佐藤:
獏さんっぽくて熱いですね。

G:
当時、こういうことを獏さんから直接言われることはありましたか?

佐藤:
獏さんはアマチュア時代、「お前はもう普通の人生を諦めて作家になれ。それで成功するかどうかはわからないが、お前はそっちの人間だ」と言われて作家になろうと思ったそうで、それに似たことを言われました。「お前はこっち側の人間だ」と。そうしたら、私は「うん」と思っただけで終わった、という(笑)

G:
(笑) 監督のSNSは大変面白くて、また古い投稿を掘り起こしてしまうのですが、2021年に「物心ついてからずっと人は何のために生きているのかと悩んでいましたが、12歳の時、人は自分の本当にやりたいことをやるために生きてるという答えを見つけました」という投稿がありました。いったい、12歳の時にどのようにしてこういう答えを得たのですか?


佐藤:
私、2歳かもっと前ぐらいからの記憶があるんです。そのくらいのころからずっと、「人はなぜ生きているんだろう」と考えていたんですよ。

G:
もう、覚えている限り最初から?

佐藤:
最初から。それで、答えをずっと探していたんですが、12歳のとき「人はその人がやりたいと思うことのために生きているんだ」というひらめきがあって。

G:
なにか、ひらめきのきっかけがあったんですか?

佐藤:
そのシチュエーション自体は覚えていないんです。なぜかというと、10年近くずーっと考え続けていたから。本作で集合無意識的な話が出てきますけれど、実際にそういうのがあるんじゃないかという思いが私の中にはあります。子どもの頃から、いろんなことの知識をすでに持っていたんです。テレビで見たことについて「またこの話やってる」とか「それはもう知ってる」とかがあって、なぜ世の中は知っていることばかりやるんだろうと思っていました。変な幼稚園児ですけれど、自分としては「みんなそうなんじゃないの?隠しているだけなんじゃないの?」と思っていました。「聞かれないから言わないんだろうな」って(笑)

G:
佐藤監督が映像の道を目指した理由の1つが、学校の1学年上に寺田克也さんがいたことだったと言及されていました。


佐藤:
これは阿佐ヶ谷美術専門学校での出来事です。ちょうど、そこに山崎貴もいて私と同級生でした。あと、1つ上では寺田克也さんと竹谷隆之さんが同級生なんです。もうちょっと上には、「ウイングマン」の桂正和さんや「牙狼〈GARO〉」の雨宮慶太さんがいるんです。私と山崎貴の1つ上に寺田さんと竹谷さんって、ちょっと濃いオタクゾーンですよね(笑)

G:
(笑)

佐藤:
このあたりはみんな知り合いでよくごはんを食べに行っていて、家に遊びに行って竹谷さんの造形とか見ていましたから、不思議な関係だなと思います。

G:
不思議なつながりということでちょっとうかがいたいのですが、岩崎友彦監督がゆうばり国際ファンタスティック映画祭の思い出として、タランティーノと佐藤監督が雪の上でレザボアごっこをしていたという話をしていました。一体どうすればタランティーノとレザボアごっこをすることになるんですか?(笑)


佐藤:
やりましたね(笑) あれは「レザボア・ドッグス」の上映が終わった後、「あれ面白いね」「誰が好きだった?」と感想を言い合ったりするうちに、実際にレザボアごっこをすることになったという流れですね。私のゆうばりの思い出は、ミッシェル・ヨーにお願いをして回し蹴りをしてもらったことです(笑)

G:
うらやましいですね(笑) お話をうかがっていると、佐藤監督は物怖じすることなくあらゆる環境に飛び込んでいくような印象を受けますが、子どもの頃からそんな感じなのでしょうか?

佐藤:
ロンドンの映画学校に行ってからですね。行こうと思ったきっかけは、19歳くらいのときだったか、友達と一緒にタイやマレーシア、シンガポールを1カ月ぐらい旅行したことです。友達は英語がしゃべれるからすごく楽しそうなんだけれど、私は仲間はずれになってしまって、帰国してから「英語がしゃべれないとこの世はもうだめだ」と思いました。

G:
身をもって知ったわけですね。

佐藤:
当時、学校ではアニメーションゼミを取っていたんですけれど、アニメは3分作るのに3カ月ぐらいかかるんです。実写なら3分撮ればそのまま3分の映像になるので、これからは実写だなと思ったんですが、実写を教えてくれる先生はいなかったので、「時間が無駄だから、英語と映画のことを一気に勉強したい」と留学を決めました。

G:
すごい……。

佐藤:
候補はアメリカとイギリスでしたが、昔のことなので、アメリカは親が「危ない」と。それに、モンティパイソンやヒッチコックが大好きだったからイギリスがいいなということで、イギリスに留学した、という経緯です。

G:
ちょうどその19歳ごろに夢枕獏さんと出会っておられると思います。マイナビニュース掲載のインタビュー記事によれば、まだ獏さんが「陰陽師」を執筆する以前、佐藤監督が日本SF大会の運営委員をやっていたころだったという言及がありました。この、日本SF大会の運営委員はなぜやることになったのですか?

佐藤:
日本SF大会は、庵野秀明さんたちがオープニング映像を作った「DAICON」が有名なやつで、その次の年が北海道で開催される「EZOCON」だったんです。私はもともとSFが大好きで、高校の時は漫画研究部にいてからずっとSFのことばかりやっていたので、のちにプロになる漫画家の方から「運営委員が足りないからやってもらえない?」と声をかけられたんだったと思います。

G:
SFっ子だったんですね。

佐藤:
子どもの頃から大好きで、「デューン 砂の惑星」を小学5年生ぐらいで読みましたし、アーサー・C・クラークとかも読んでいました。

G:
なるほど。いやー、そういったバックグラウンドを持つ佐藤監督から、この「陰陽師0」が生み出されたのは、すごく納得感があります。本作の見所はどういったところだと考えていますか?

佐藤:
日本では、ドラゴンを本作のように表現した映画はあまり見ないのではないかと思います。西洋のドラゴンは蛇のイメージがありますけれど、私は、東洋のドラゴンはエネルギー体を龍に見立てているところがあると思っているので、今回、このドラゴンを絶対にやりたいと思っていました。それができて、本当にうれしいです。炎も水も、ああいうエレメントはみんなシミュレーションなので、もう地獄のような計算時間が必要でめちゃめちゃ大変で、早めにOKを出さないと時間が足りなくなりそうなほどでしたが、満足いく映像ができたと思っています。ぜひ劇場でご覧ください。

G:
ありがとうございます。

映画「陰陽師0」は2024年4月19日(金)から全国劇場にて絶賛公開中です。

映画『陰陽師0』本予告 2024年4月19日(金)公開 - YouTube


◆「陰陽師0」作品情報
出演者:山﨑賢人、染谷将太、奈緒、安藤政信、村上虹郎、板垣李光人、國村隼/北村一輝、小林薫
原作:夢枕獏「陰陽師」シリーズ(文藝春秋)
脚本・監督:佐藤嗣麻子
音楽:佐藤直紀
主題歌:BUMP OF CHICKEN「邂逅」(TOY'S FACTORY)
呪術監修:加門七海
配給:ワーナー・ブラザース映画
©2024映画「陰陽師0」製作委員会

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