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革ジャンが印象的なNVIDIAのジェンスン・フアンCEOはいかにしてNVIDIAを世界的大企業に育て上げたのか?


NVIDIAは高性能GPUを開発する半導体企業です。GPUは以前はゲームやCG分野などでのみ用いられていましたが、近年はAI研究やハイパフォーマンスコンピューティング(HPC)などの分野でも用いられるようになっており、GPUの需要増加に伴ってテクノロジー業界におけるNVIDIAの存在感も増し続けています。そんなNVIDIAのジェンスン・フアンCEOの生い立ちやNVIDIA設立の背景について海外メディアのThe New Yorkerがまとめています。

How Jensen Huang’s Nvidia Is Powering the A.I. Revolution | The New Yorker
https://www.newyorker.com/magazine/2023/12/04/how-jensen-huangs-nvidia-is-powering-the-ai-revolution


フアン氏は1963年に台湾で生まれ、9歳のときにアメリカのワシントン州に引っ越して叔父と暮らし始めました。その後、フアン氏は叔父に勧められてケンタッキー州にある全寮制の学校「Oneida Baptist Institute」へ入寮。叔父はOneida Baptist Instituteを名門寄宿学校だと信じていたそうですが、実際には素行不良の生徒が多く在籍していたとのこと。フアン氏のルームメイトは文字を読めなかったため、フアン氏はルームメイトに文字の読み方を教え、代わりにルームメイトはフアン氏にベンチプレスの挙げ方を教えてくれたそうです。

入寮した当時のフアン氏はOneida Baptist Instituteの授業を受けるには幼すぎたため、付近の公立学校に通いました。しかし、アジア系のフアン氏はすぐにイジメのターゲットになったとのこと。フアン氏はイジメを受けた経験が回復力を培うのに役立ったと振り返っています。

フアン氏がアメリカに移住してから数年後にフアン氏の両親もアメリカへ引っ越してきました。その後、フアン一家はオレゴン州に定住。フアン氏は高校で全国クラスの卓球選手として活躍しつつ数学やコンピューター技術を学ぶクラブ活動にも専念。フアン氏は高校を2学年飛び級して16歳でオレゴン州立大学の電気工学部に入学しました。


オレゴン州立大学の電気工学部には約250人の学生が在籍しており、そのうち女子学生はわずか3人だったとのこと。フアン氏は女子学生の1人であるロリ・ミルズ氏に恋し、ミルズ氏に好印象を与えるために見た目にこだわったり課題を完遂させたりしました。大学を卒業後、フアン氏とミルズ氏は2人ともシリコンバレーでマイクロチップ設計者の職に就き、数年後に結婚しました。

1993年にフアン氏はクリス・マラコウスキー氏やカーティス・プリエム氏とともに会社を設立しました。3人が設立した会社は計画段階では「NVision」と呼ばれていましたが、NVisionはトイレットペーパーの製造会社をもじった名前だったとのこと。フアン氏はラテン語で「嫉妬」を意味する「invidia」をもじって社名を「NVIDIA」に決定しました。


NVIDIAが設立された当時、ゲーム業界ではポリゴンを扱うための専用チップが求められており、NVIDIAは需要に応じるべくポリゴン処理チップを開発しました。当時のゲーム業界では三角ポリゴンと四角ポリゴンのどちらが主流になるかが定まっておらず、NVIDIAは四角ポリゴンの処理に特化したチップを開発しました。しかし、NVIDIAが最初の製品をリリースした直後にMicrosoftが「三角ポリゴンのみに対応するグラフィックソフトウェア」をリリース。このためNVIDIAは三角ポリゴン処理に対応したチップへの急転換を余儀なくされ、100人の従業員のうちの半数を解雇して資金を確保し三角ポリゴン処理チップの生産に全力投球しました。

NVIDIAが社運を賭けてリリースした「RIVA 128」は4カ月で100万台売れるほどの人気を獲得。NVIDIAは事業を継続できるだけの資金を得ました。十分な資金を確保した後もフアン氏は数年間にわたって「我が社は30日後には廃業する」というフレーズを使い社員を激励したとのこと。「我が社は30日後には廃業する」というフレーズは現在でもNVIDIAの非公式スローガンとなっているそうです。


なお、The New Yorkerの記事ではGeForceシリーズやCUDAの誕生秘話も語られています。

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in メモ, Posted by log1o_hf

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