ファスナーの王様「YKK」はどのような歴史をたどってきたのか?
日本発の非鉄金属メーカー・YKKは、アメリカで生産されていたファスナー(ジッパー)をいち早く取り入れて成長し、世界の市場シェアの約40%を占める巨大企業になっています。こうしたYKKがどのような歴史をたどってきたのかについて、主にアジアに関する経済・歴史の動画を投稿するYouTubeチャンネル・asianometryが解説しました。
YKK: Japan’s Zipper King - YouTube
YKKを立ち上げた吉田忠雄氏は富山県の生まれ。20歳で東京に移住し、中国の陶磁器を輸入販売する古谷商店で働き始めました。まもなく満州事変を経て陶磁器の輸入が不可能になり、古谷商店はファスナーの販売に軸を移し始めます。
しかし、業績は振るわず古谷商店は閉店。残ったファスナーの在庫を処理するため、25歳の吉田氏はサンエス商会という会社を立ち上げます。
当時、ファスナーのほとんどは非常に低品質で、半分以上が不良品だったとのこと。そのため吉田氏はファスナーの自社生産を始め、そのために金属工場を建設しました。
しかし残念なことに、1945年の東京大空襲で工場が焼け、吉田氏は事業停止を余儀なくされます。疎開先の魚津に移った吉田氏は再建を画策。ここで日本の製品をアメリカに輸出したいと考えていたアメリカ人に自社の製品を見せた吉田氏は「品質が悪い上に高く、取引はできない」と返されてしまいます。
手作業に限界を感じた吉田氏はアメリカから自動化のための機械購入を決意。銀行との交渉の末に購入費用1200万円を借り入れ、4台の製造機を入手し、1950年に近代的なファスナー生産工場を建設しました。さらに吉田氏はこの製造機のレプリカを作成するよう日立精機に依頼し、100台の新しい製造機を手に入れることにも成功します。
1960年にはファスナーの部品をアメリカに輸出し始め、1974年にはジョージア州メーコンに工場を新設。そこでファスナーの生産を開始し、Made in USAのファスナーをアメリカで流通させるようになりました。
YKKは、歯を見えなくするファスナーや、デザイナーが好きな色に染めやすい樹脂製のファスナーをいち早く取り入れ、世界中で大きな市場シェアを獲得しています。
asianometryは「小さなファスナーを過小評価する人もいるかもしれませんが、生産はウェブアプリケーションと同じくらい洗練されています。進化には膨大な労力と研究が必要でしたが、日本の会社が経験した100年がその洗練さを証明しています」と締めくくりました。
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