メモ

1960年代に出現した10代若者による最初期のコンピュータークラブ「RESISTORS」


1960年代というコンピューター黎明期にも、既に10代の若者からなるコンピューター愛好家集団が存在しました。そんな初期のコンピュータークラブのひとつとして知られる「RESISTORS」の活躍を、IEEE Spectrumが紹介しています。

The RESISTORS Were Teenage Hackers and Computer Pioneers - IEEE Spectrum
https://spectrum.ieee.org/teenage-hackers


1968年4月下旬、アメリカのニュージャージー州アトランティックシティでコンピューターカンファレンスが開催されました。しかし、電話交換手のストライキにより、出展企業は自社の端末を会場外のコンピューターに接続することができず、企業のディスプレイはすべて機能停止状態に陥りました。

この時活躍したのが、ニュージャージー州プリンストン近郊にあるコンピューター愛好家集団の「RESISTORS」です。RESISTORSは、コンピューターモデムの前身となる音響カプラを借り、近くの公衆電話に接続することで問題を回避することに成功しています。なお、「RESISTORS」の名称は、科学・技術・研究に関心を持った「Radically Emphatic Students(過激なほどに熱心な学生たち)」の頭文字を取ってつけられたそうです。

RESISTORSの活躍ぶりは、技術専門誌の「Computerworld」によって、「カンファレンス開幕、学生たちが話題をさらう」と報じられました。


そんなRESISTORSの中心人物のひとりが、エンジニアのクロード・ケーガン氏です。1924年にフランスで生まれたケーガン氏は、10代のころにアメリカに移住して、1942年にコーネル大学に入学。1944年から1946年に陸軍でのオーストラリア勤務を挟んだのち、1950年に土木工学の修士号を取得しました。その後、AT&Tの製造部門であるWestern Electricに就職し、1958年にはプリンストンから車ですぐの位置にあるニュージャージー州ホープウェルタウンシップに移住しました。ケーガン氏は古いコンピューターやその他の電子機器の熱心なコレクターで、自宅の敷地内にある納屋にこれらを保管していたそうです。

初期のRESISTORSのひとりで、後に起業家兼ベンチャーキャピタリストとなったチャック・エーリック氏は、1966年後半に「頭のいい社会のつまはじきもの」からなるグループを探していたそうです。エーリック氏はマリファナを吸うことにも、社会的な抗議活動にも興味がなかったそうですが、電子工学には興味があった模様。


ケーガン氏はエーリック氏ら「頭のいい社会のつまはじきもの」集団のメンバーの父親と知り合いだったため、グループに納屋を貸すことを申し出たそうです。そこでメンバーはケーガン氏のコレクションを目にし、中にはIBM製紙テープパンチやアナログ電話、フリーデン・フレキソライターなどもありました。

中でも注目を集めたのが真空管式のコンピューターであるBurroughs Datatron 205とPackard Bell ComputerのPB250だったそうです。クラブのメンバーはPB250を動かし、TRACで書かれたプログラムを実行できるようにしました。この当時、コンピューターをインタラクティブかつリアルタイムで操作できる環境は、一般人にとっては手の届かないものでした。


ケーガン氏は最終的にディジタル・イクイップメント・コーポレーションを説得し、世界で初めて商業的に成功した12ビットミニコンピューターであるPDP-8を寄付してもらいました。当時のPDP-8の価格は1万5000ドル(約230万円)以上です。これによりグループのメンバーは納屋でPDP-8を使えるようになりました。その後、RESISTORSが結成されると、ケーガン氏はグループの指導者や広報担当者、家主といった複数の役割を担うようになります。

その後、RESISTORSはコンピューターのパイオニアであるテッド・ネルソン氏とつながりを持つようになります。ネルソン氏は1963年にハイパーテキストを生み出した人物です。

ネルソン氏とRESISTORSを結び付けたのは、コンピューターではなく前衛的なアートショーでした。1970年秋、ニューヨークのユダヤ博物館で「ソフトウェア」と題された豪華な展示会が開かれました。この展覧会では、数千人もの来場者に対してミニコンピューター、テレタイプ機器、高速コピー機、閉回路テレビなどを実際に使用する機会を提供したそうです。

展示会の技術顧問を担当したネルソン氏は、展示会のサポート要員としてRESISTORSを採用しました。ネルソン氏はRESISTORSを採用した理由を、「子どもに情報を聞くのが難しいプライドが高い人もいます。これは愚かなことです」と説明しています。展示会ではさまざまなアーティストがプログラミングを駆使したアートを展示しましたが、それらを実際に展示したのはRESISTORSでした。

ネルソン氏もプログラマーのネッド・ウッドマン氏と共同で「Labyrinth」という作品を発表しています。PDP-8上で動作するLabyrinthは 「ハイパーテキストシステムの最初の公開デモンストレーション」で、コンピューター画面上には展示会や主催者の情報などが、ハイパーテキストでリンクされていました。


なお、RESISTORSのメンバーはわずか70人足らずですが、多くのメンバーがテクノロジーや科学の分野で活躍しています。コンピューターに関する本を執筆し、数百万部を売り上げたメンバーもいれば、インターネットルーターなどのネットワークハードウェアの製造から始まり、数十億ドル(数千億円)規模の企業に成長したシスコシステムズの共同創業者もいます。

RISISTORSについては、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の教授であり、歴史家でもあるW・パトリック・マクレイ氏の著書「README」で、詳細に語られています。

Amazon | README: A Bookish History of Computing from Electronic Brains to Everything Machines | Mccray, W. Patrick | Robotics

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in メモ, Posted by logu_ii

You can read the machine translated English article The RESISTORS were one of the earliest c….