生き物

西部開拓時代のアメリカを襲った「馬インフルエンザ」はいかにアメリカ経済を混乱させたのか?


2019年末に発見された新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、2020年12月時点でも猛威を振るっており、社会経済や多くの人々の生活に混乱をもたらしています。COVID-19より100年以上前に大流行し、人ではなく馬に感染することで当時のアメリカの経済に大打撃を与えた「馬インフルエンザ」について、テネシー大学の歴史学教授であるアーネスト・フリーバーグ氏が解説しています。

How a flu virus shut down the US economy in 1872 – by infecting horses
https://theconversation.com/how-a-flu-virus-shut-down-the-us-economy-in-1872-by-infecting-horses-150052

◆馬インフルエンザの流行
1872年、西部開拓時代の真っただ中だったアメリカを突然のエネルギー危機が襲います。それは、当時のアメリカ経済の原動力だった馬やロバに感染する「馬インフルエンザ」の流行です。人や物の運搬のみならず、製造業や農業にも欠かせない家畜だった馬が疫病で倒れたことにより、アメリカ経済は深刻なまひ状態に陥り、現代における大規模停電に匹敵する打撃を受けました。

以下のアニメーションを再生すると、1872~1873年にかけて馬インフルエンザがアメリカで流行した様子を見ることができます。


図の内、黒い線は当時のアメリカの鉄道網で、「◆」は馬インフルエンザの発生が報告された場所を表しています。初期の馬インフルエンザは1872年10月ごろ、アメリカ東部の地域で発生しました。


その後、わずか1カ月で馬インフルエンザはアメリカ東部にまん延し……


鉄道網に沿うようにしてアメリカ中西部や南部に進出しました。


そして、翌年にはアメリカ西部でも発症例が報告されるようになりました。このように、アメリカ東部で発生した馬インフルエンザは、鉄道を介してアメリカ全土に広がりました。


北米で最初に馬インフルエンザへの感染が確認されたのは、1872年9月にカナダ・トロント郊外で放牧されていた馬でした。アメリカ政府はすぐさまカナダ産の馬を規制しましたが、1カ月後には国境沿いの地域で「カナディアンホース病」が流行しました。そして、12月ごろにはアメリカ南部にあるメキシコ湾のガルフ海岸で、翌年の1873年にはアメリカ西海岸で同じ病にかかった馬が報告されるようになりました。

◆馬インフルエンザの影響
「カナディアンホース病」にかかった馬は、せきや発熱、よろめきといった典型的な馬インフルエンザの症状を見せました。また、馬インフルエンザにかかった馬は弱り切って倒れてしまうこともあったとのこと。一説には、当時の北米にいたと推定される約800万頭の馬のうち、2%が馬インフルエンザで死んだといわれています。

現代でこそ馬インフルエンザはウイルスが原因だということが判明していますが、当時は細菌説が主流でした。そのため、馬の飼い主たちは細菌の感染拡大を食い止めるべく、馬小屋を消毒し、エサをいいエサに切り替え、馬に真新しい毛布をかけるようにしましたが、根本的な解決には至りませんでした。


動物医療が未発達だった当時のアメリカでは、「重労働で虐げられた馬が突然優しくされてショック死した」という冗談が紙面に掲載されたほか、ショウガやジン、ヒ素入りのチンキ剤、果ては癒やしの祈りが込められた馬具など、怪しげな物品を使ったさまざまな民間療法が出回りました。

馬による輸送ができなくなったことで、冬には欠かせない石炭の流通が滞り、燃料費が高騰しました。また、他国から輸入された農作物が波止場で腐敗したり、列車が都市への停車を拒否されたことで未達の物品が停留所にあふれかえったりするなど、経済はまひ状態になりました。

また、1872年11月9日に発生したボストン大火では、重いポンプ車を馬に引かせることができず消防士の現場到着が遅れたことが、被害の拡大の要因になったとされています。こうした出来事を契機として、人々は「馬は単なる個人の私有財産ではなく、偉大な社会の動力源であり、その損失はあらゆる階級の人々が甚大な被害を受けることを意味する」ということを認識するようになったといわれています。


◆馬インフルエンザの余波
馬インフルエンザは馬にとって深刻な脅威でしたが、当時は心ない飼い主が馬を虐待死させるのも珍しいことではありませんでした。こうした馬の扱いを、アメリカ最古の週刊誌であるThe Nationの創設者エドウィン・L・ゴドキンは、「暗黒の時代にふさわしい、文明への侮辱」と形容しました。

アメリカ動物虐待防止協会(ASPCA)の創設者であるヘンリー・バーグも、アメリカの馬の短命さに心を痛めていた人物の1人です。1866年にアメリカ最古の動物愛護団体であるASPCAを設立したバーグは、豊かな財産と文才を生かしてニューヨーク市議会で積極的にロビー活動を展開し、アメリカ最初の動物虐待防止法を制定させることに成功しました。

トップハットと銀のつえを携えたバーグは、ニューヨークの交差点に繰り出しては馬車を止めて馬の健康を確かめ、法律を武器に病気の馬の療養を命じたり、御者を裁判にかけたりしました。これに対し、一部の批判者はバーグを「人間より馬を大事にする見当違いな動物愛護家」と嘲笑したり、営業妨害で提訴すると脅したりしましたが、バーグを支持する声も多かったとのことです。

by Library of Congress

アメリカの人々は、馬が永遠に自分たちのそばから消えてしまうのではないかと心配しましたが、馬インフルエンザは自然に収束し、都市機能は徐々に回復していきました。そして、内燃機関や電気で動く路面電車の発明により、社会構造が馬に依存しているという課題もやがて解決に向かっていったとのことです。

一方バーグの活動は、馬が無感情な機械ではなく近代的な都市の建設と運営に欠かせないパートナーであることを、アメリカ人に思い起こさせる契機となりました。ニューヨーク市のグリーンウッド墓地にあるバーグの墓には、動物たちに囲まれながら馬をなでる人物の彫像が設置されています。

by Rhododendrites

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in 生き物, Posted by log1l_ks

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