自動車と自転車の争いを解決するには「多文化共生の考え」が必要との指摘
by Kristoffer Trolle
道路上を通行する自動車と自転車は、走行する速度や利用者層、交通ルールへの考え方が違うため、時に激しい対立状態になることがあります。自動車側は自転車側を「通行にとって邪魔な存在」と見なしがちであり、反対に自転車側は自動車側を「道路の安全性を損ねる危険な存在」だと見なしがちです。こんな状況をうまく管理するためには、「両者の対立を一種の民族紛争的なものだと見なし、多文化主義的な考えを導入することが必要」だと、メルボルン大学の研究者らが指摘しています。
Multiautoculturalism: Reconceptualising Conflict on the Roads: The Asia Pacific Journal of Anthropology: Vol 0, No 0
https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/14442213.2020.1754894
Drivers v cyclists: it's like an ethnic conflict, which offers clues to managing 'road wars'
https://theconversation.com/drivers-v-cyclists-its-like-an-ethnic-conflict-which-offers-clues-to-managing-road-wars-139107
一般的に自動車と自転車の対立を解消する方法として有効だと考えられているのが、「自転車専用レーン」の設置です。近年では交通量が多い都市部の道路に自転車専用レーンを設ける動きが強まっていますが、実際に自転車専用レーンを設けるには多額のコストが必要であり、道幅が狭まって交通渋滞が増加してしまう可能性もあります。
また、自転車専用レーンの設置は自動車のドライバーにとって不愉快なものであり、車道を使用する多数派であるドライバーたちから反感を買うリスクもあるとのこと。2007年の研究によると、自転車専用レーンの設置が進むにつれて、自転車専用レーンが設置されていない場所を走行する自動車が自転車の安全に気を払わなくなり、結果として自転車側の危険度が増してしまうそうです。
道路を走行しているドライバーとサイクリストは攻撃的になりがちですが、普段から攻撃的な人間だとは限りません。研究者らはドライバーとサイクリストがいがみ合う状態を「民族紛争」のようなものだと述べ、問題解決には特殊な思考が必要だと主張しています。
自転車と自動車の対立を民族紛争になぞらえたのは単なる比喩ではなく、実際に自転車の権利を求めて活動する組織は、サイクリストを障がい者やLGBTの人々と同様に「少数派で抑圧された存在」と見なしているそうです。この文脈に則して考えると、車道においては自動車が支配者側で自転車が抑圧されている側ということになります。
もちろんサイクリストが少数民族としての要件を満たしているわけではありませんが、研究者らがドライバーやサイクリストを対象に行った調査によると、それぞれに属する人は明確に「ドライバー」あるいは「サイクリスト」としてのアイデンティティを持っていることが判明したとのこと。同時に、サイクリストの多くが「道路においては自動車が優越的な存在だ」という感覚を抱いており、自分たちの立場が低いと考えていることもわかりました。
興味深いことに、対立するグループへの否定的な感情を最も強く持っているのは、「時には自動車の運転も行うサイクリスト」だったと研究者らは指摘。この構造は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の際に、人種的にあいまいな人々が対立するボスニア人やクロアチア人、セルビア人に対する激しい憎悪を表明することで、逆説的に自らのアイデンティティを強く示した状況と似ているそうです。
ドライバーとサイクリストの対立を考える上で民族紛争的な考えがポイントである点を踏まえ、研究者らは「多文化主義の精神」が道路上の対立を解消する上で有益だと考えています。異なる文化への理解を深めることが対立の解消に役立つように、ドライバーやサイクリストがお互いの考えや車両の性能について理解することが重要です。
また、道路を走行する自動車と自転車はそれぞれ違う文化と能力を持つ存在であり、行動規範を明確に共有するよりも車両ごとに微妙な調整を加える方がいいケースもあります。たとえばアメリカのアイダホ州では、「自転車は安全が確認された状態では交差点で一時停止する必要がなく、赤信号でも通過してよい」という特別な交通ルール「アイダホストップ」が採用されており、この制度によって交通事故が減少しているとのこと。
このように自動車と自転車で異なる交通ルールを採用することは、ドライバーとサイクリストがお互いを「文化的に違う存在だ」と認め、利用者間の寛容さを向上させる可能性もあります。研究者らは道路を走行する人々が、「道路は自分たちだけのものではなく、多文化的な場所である」と理解することが重要だと主張しました。
by Thomas Hawk
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