メモ

8億円以上をカジノの「ルーレット」で荒稼ぎした学者が見つけた驚きの攻略法とは?

by Sam & Laura Gustafson

カジノゲームとして人気の「ルーレット」は、赤か黒で色分けされたポケットに数字が書かれた円盤を回転させ、円盤の上にディーラーがボールを投げ入れて、参加者がポケットの数字や色、奇数・偶数などに賭けるゲーム。そんなルーレットを攻略して大金を稼ぎまくり、アメリカやヨーロッパのカジノオーナーたちを震え上がらせた医学研究者Richard Jarecki氏について、海外メディアのThe Hustleがまとめています。

The medical professor who beat the roulette table
https://thehustle.co/professor-who-beat-roulette/

Jarecki氏は1931年、ドイツのユダヤ人家庭に生まれました。ユダヤ人に対する迫害に直面したJarecki氏の家族は第二次世界大戦前にアメリカへ移住し、若いころのJarecki氏はラミースカートコントラクトブリッジといったゲームに熱中し、「友人とのギャンブルに勝ってお金を稼ぐこと」の喜びを知ったとのこと。数学や統計学に優れていたJarecki氏は医学の道に進み、1950年代には世界でも有数の医学研究者としての名声を得ました。その一方で、Jarecki氏は相変わらずギャンブルに対する熱意を失っていなかったそうです。

1960年ごろになってJarecki氏が注目したのは、色や数字が書かれた円盤にプレイヤーがチップを賭け、回転したボールが入ったポケットに応じて配当を受け取るルーレットでした。多くの人々にとってルーレットは「偶然が支配するゲーム」と見られていましたが、Jarecki氏は「ルーレットは攻略可能なゲームだ」と確信を持っていました。

カジノルームに入り浸っていたJarecki氏は、1日の終わりにカジノで使われるトランプやサイコロが交換される一方で、高価なルーレットの円盤は交換されないことに着目。中には10年以上も同じルーレットを使い続けるカジノもあったそうで、多くの機械と同様に、ルーレットはボールとの接触などによって摩耗し、小さな欠けやへこみ、ひっかき傷などが付いていました。Jarecki氏はこの傷によって製造当初のランダム性が減少し、特定のポケットにボールが入りやすくなっている可能性があると見抜いたとのこと。

by amespiphoto

そこでJarecki氏は仕事以外の時間をカジノルームで過ごし、ひたすらルーレットのテーブルに張り付いて何千回ものゲームを見届け、ボールが入ったポケットを手動で記録しました。これによってJarecki氏は統計的な異常値を発見し、特定のパターンでボールが入りやすいポケットを特定することに成功したそうです。

なお、ボールが入りやすいポケットを突き止めるというJarecki氏の発想は世界初のものではありません。過去には1880年代にカジノを荒らしたJoseph Jagger氏や、ラスベガスのルーレットに偏りを発見して大金を稼いだAlbert Hibbs氏など、何人かの先駆者がいました。一方でJarecki氏はお金が目的でルーレットの攻略を行ったのではなく、あくまでも「完璧なシステムを構築して繰り返し試行することでルーレットを攻略する」ことに焦点を当てていたとのこと。

何カ月分ものデータ収集を行ったJarecki氏は、100ドル(現在の価値で約9万円)ほどを持ってルーレットに挑戦。データから構築したシステムに従って賭けを行った結果、わずか数時間で100ドルを5000ドル(現在の価値で約450万円)ほどに増やすことに成功しました。

by Pictures of Money

1960年台の半ばにドイツのハイデルベルク大学で研究ポストを得たJarecki氏は、今度はヨーロッパの高級カジノをターゲットにルーレットの分析をスタートしました。ヨーロッパのルーレットはポケットの数が37個であり、38個のポケットがあるアメリカのルーレットよりもオッズがよく、賭け金のうちから徴収するカジノの取り分もアメリカのわずか半分だったとのこと。

Jarecki氏は妻のCarol氏と一緒にモナコ、フランス、ドイツなどヨーロッパ中のルーレットを探しだし、8人もの記録係を雇ってルーレットの試行と結果を蓄積していきました。時には1カ月あたり2万もの試行を記録したそうで、綿密な準備期間を経てJarecki氏はルーレットの法則を見つけ出していきました。


1964年、Jarecki氏はスイスの金融業者から2万5000ポンド(現在の価値で約3000万円)ものローンを借り入れ、6カ月にわたって自身が導き出したルールを厳格に守ってルーレットに賭け続けました。最終的にJarecki氏は62万5000ポンド(現在の価値で約7億4000万円)もの金額を手にし、ルーレットで大勝したJarecki氏のニュースは世界中の新聞で報じられたそうです。

新聞のインタビューでは当然ながら「ルーレットで勝つ秘密」について尋ねられましたが、真実を話せばカジノ側も対策を取ってくるとJareckiは想定していました。そのため、Jarecki氏は「毎日ルーレットの結果を集計してアトラスのスーパーコンピューターにデータを分析させ、翌日に賭けるべき数を出力させた」と作り話をして煙に巻いたとのこと。一方でこの作り話も人々に衝撃を与え、ギャンブル研究家のRussell Barnhart氏は「カジノの支配人でさえも、コンピューターが現実に影響を与えるとは思っていませんでした」とコメントしています。


世間がコンピューターの作り話を真に受けている間も、Jarecki氏はルーレットに関する分析を止めることはありませんでした。ルーレットで儲けたお金でイタリアのサンレーモに高級住宅を購入した後も、時々カジノに繰り出してルーレットをプレイする生活を送ります。1968年の春には3日間のうちに4万8000ドル(現在の価値で約4000万円)を稼ぎ、その8カ月後には1週間で19万2000ドル(現在の価値で約1億5000万円)を稼ぎ出すなどして、カジノオーナーたちを恐怖させました。Jarecki氏はカジノのオーナーから15日間の出入り禁止令が言い渡されることもあったとのこと。

Jarecki氏に対抗するため、カジノオーナーたちはルーレットの回転盤を入れ替えるなどの対策を取りました。しかし、Jarecki氏も回転盤が入れ替えられる可能性を考慮しており、対策として回転盤のあらゆるひっかき傷やひび、変色などを記憶していたため、すぐに目当てのルーレットを探し出すことができたそうです。

カジノオーナーのSignor Lardera氏は、「ヨーロッパの全てのカジノにとって、Jarecki氏は脅威です」「Jarecki氏がどうやってルーレットを攻略しているのかはわかりませんが、もし彼が2度と私のカジノに現れないのであれば、それは非常にラッキーです」と、新聞のインタビューにコメントしています。やがてJareckiの攻略法に気づいたカジノオーナーたちは多額の資金を費やしてルーレットを新調し、ようやくJarecki氏の快進撃を止めることに成功したとのこと。


1973年にJarecki氏はアメリカに戻って商品ブローカーとしてのビジネスを始め、ルーレットで得た財産をさらに増やすことに成功。1990年代にはフィリピンへと移住し、2018年に87歳で亡くなりました。

この記事のタイトルとURLをコピーする

・関連記事
元NASAのエンジニアが本気でゲームセンターのルーレットマシン攻略に挑戦するとこうなる - GIGAZINE

カジノから巻き上げ貧しきに与える伝説のギャンブラー「ベガスのロビンフッド」 - GIGAZINE

作家でありながら大金を稼ぐプロのポーカープレイヤーになった人物 - GIGAZINE

ギャンブル依存症が生まれる理由とは?カジノやメーカーの巧妙な戦略 - GIGAZINE

「ギャンブルマシンの合法化」は厳しい財政を立て直すどころか検討不足で失敗しているという指摘 - GIGAZINE

いかにスロットマシンが人から最大限のお金と時間を奪うように作られているのかを解説 - GIGAZINE

ドレスコード・禁止行為・知っておくと得するカジノ用語などをまとめた「カジノのお作法」 - GIGAZINE

1世紀以上もアメリカ人に愛され続ける絵画「ポーカーをする犬」とは? - GIGAZINE

「ポーカーで人間を打ち負かしたAI」が世界を変える、天体物理学を愛するポーカーのプロが語る可能性とは? - GIGAZINE

in メモ, Posted by log1h_ik

You can read the machine translated English article here.