サイエンス

「鏡で自分を認識する魚」が研究者に衝撃を与えたのはなぜなのか?


鏡に写った像を自分と認識するかどうかで、生物の自己認識の有無を調べるミラーテストは数十年にわたって研究分野で用いられていています。人間は生後18カ月ごろから鏡の中の像を自分だと認識するといわれており、人間の他にはチンパンジーやイルカ、カササギがミラーテストをクリアすると報告されています。しかし、新たに魚が「鏡で自分を認識した」とする研究結果が発表され、「自己認識には高い知能を必要とする」という前提が覆されたり、そもそも「ミラーテストは適切ではない」という可能性がでてきたとして、大きな議論を呼んでいます。

A ‘Self-Aware’ Fish Raises Doubts About a Cognitive Test | Quanta Magazine
https://www.quantamagazine.org/a-self-aware-fish-raises-doubts-about-a-cognitive-test-20181212/

哺乳類や鳥類だけでなく、Labroides dimidiatus(ホンソメワケベラ)という小さな熱帯魚もミラーテストに合格するという研究結果が2018年9月に発表されました。

Cleaner wrasse pass the mark test. What are the implications for consciousness and self-awareness testing in animals? | bioRxiv
https://www.biorxiv.org/content/early/2018/08/21/397067

「鏡の中の自分」がわかる魚を初確認、大阪市大 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/091300402/


この研究結果が議論の的となっているのは、これまで「自己認識」は人間や一部の哺乳類にのみ見られる特別なものだと考えられてきたため。今回の研究結果によって、自己認識はより広範な生物に見られる特徴である可能性がでてきたわけです。あるいは、この「ミラーテスト」という方法が自己認識の有無を確認するものとして適切でない可能性もあります。

ミラーテストは1970年代にゴードン・ギャラップというニューヨーク州立大学オールバニ校の心理学者によって考案されました。ギャラップ氏によると、それぞれのオリに入った4頭のチンパンジーに鏡を見せたところ、チンパンジーは最初鏡の中の自分を別のチンパンジーだと考えて反応を行っていましたが、時間がたつにつれ、自分の歯の状態を確認するなど「鏡の中にいるのは自分だ」ということを認識しているような行動をとったそうです。

写真の男性がギャラップ氏。


その後、眉と耳に赤い染料をつけたチンパンジーを鏡の前に連れて行ったところ、チンパンジーは鏡の中の像ではなく、自分の眉と耳に手を伸ばしたことから、チンパンジーは自己認識をしていると結論づけられました。特にギャラップ氏が驚いたのは、チンパンジーは実験に成功したにも関わらず、マカク属のサルは自己認識の実験に失敗したことでした。論文は1970年に発表され、大きな注目を浴びることになります。

またギャラップ氏の初期の研究とほぼ同時期に、ノースカロライナ大学チャペルヒル校の心理学者、ベウラ・アムステルダム氏は幼児を対象に鏡を使った自己認識の研究を行っていました。この研究では幼児の鼻に口紅で印がつけられたところ、多くの幼児は2歳までに鏡に写った像が自分だと認識できるようになったそうです。


ギャラップ氏の研究に続く形で、ニューヨーク市立大学ハンター校の認知心理学者であるダイアナ・ライス氏は、ギャラップ氏を初めとする多くの研究者と協力し、イルカのミラーテストを実施。この結果、水族館で暮らすイルカはミラーテストをクリアしたと発表されました。

イルカは人間の赤ちゃんよりも早い段階で鏡に映った自分を認識する「ミラーテスト」に合格する - GIGAZINE


これまでの研究の結果、アジアゾウ、オラウータン、ボノボ、ゴリラ、カササギがミラーテストに合格したとライス氏は述べていますが、一方でギャラップ氏は本当にミラーテストに合格しているのはチンパンジー、オラウータン、人間だけだと主張しています。他の動物については、研究者が動物の行動の意味を読み違えているだけだというのがギャラップ氏の考えです。

2018年9月に魚がミラーテストに合格したという論文を発表したのは、ドイツのマックス・プランク研究所に所属する進化生物学者のアレックス・ヨルダン氏らの研究チーム。実験対象のホンソメワケベラはサンゴ礁に生息し、自分より大きな魚の寄生生物や剥がれた皮膚を食べるため、「掃除屋」として知られています。ホンソメワケベラは注意深く環境を観察し、相手が人間であっても掃除の「クライアント」と認識したら手や顔の皮膚を「掃除」しようとするそうです。

ホンソメワケベラの前に鏡を置いたところ、その反応はチンパンジーと似たものだったそうで、ホンソメワケベラは最初、鏡の中の像を攻撃しましたが、その後、上下に泳いでみるなど、通常とは違う行動を見せました。そして数日たつと、それが自分の反射した姿だと理解し、多くの時間を鏡の前で過ごすようになったとのこと。


研究者たちが魚の皮膚に茶色い素材を注入したところ、何匹かのホンソメワケベラは鏡の前で自分の体が汚れを認識し、茶色い箇所を岩や砂にこすりつけたといいます。このような実験の結果、研究者たちは、4匹中の3匹がミラーテストに合格したという判断を下しました。しかし、ギャラップ氏はこの研究結果について「両義的」だと指摘しています。つまり、鏡と岩の間を行ったり来たりしていたのは、鏡の中の魚に「『マスタードがアゴについているよ』と教える行動」とも読めるというのがギャラップ氏の意見です。

ライス氏もギャラップ氏と同じく研究に対して疑問を持っており、注入された茶色い印は寄生虫と同じようなものであり、ホンソメワケベラは本能的に反応したのではないかと指摘しています。「このような主張を行うのは、より強力なエビデンスが必要です」というライス氏の指摘を受け、ヨルダン氏と同僚たちはさらなる対照実験を加えた論文を提出したとのことです。

一方で、「自己認識」という言葉は曖昧で、人によって定義が異なります。ライス氏はミラーテストを「自己認識の一側面」と捉えており、人間が持っている全体的な「自己認識」とは違うものだとしています。コロラド大学ボルダー校の生物学者であるマーク・ベコフ氏とコーネル大学のポール・シャーマン氏は、自己認識は「反射的なもの」から「人間のように自己を認識するもの」まで、スペクトル(連続体)のようにさまざまなレベルがあると示唆しています。


魚の自己認識について論文を記したヨルダン氏は、このスペクトルという考えを支持しており、ホンソメワケベラは低いレベルのself-cognizance(自己の知覚)を持っていると考えています。ヨルダン氏は「ミラーテストではself-awareness(自己認識)を調べられない」と主張しており、これは他の研究者も同意するところだそうです。「私たちのコミュニティーは、動物の認識を理解する方法を再評価し、訂正したいと考えています」とヨルダン氏は述べました。

また、ミラーテストは視覚的であり、視覚以外の感覚を中心とする動物にミラーテストを行うことは公平ではないとも指摘されています。たとえば、犬はミラーテストの結果がよくないのですが、「嗅覚のミラーテスト」が作られたところ、犬は自分の尿に余分な香りが付けられたサンプルの匂いをより長い時間かいでいることが示されたとのこと。「視覚を重視する私たちのような生物にとって、視覚的ではない生き物の世界の感覚を想像するのは難しいことです」とバーナード・カレッジの心理学者であるアレクサンドラ・ホロヴィッツ氏は語っていますが、このことを理解することで、生物たちの精神や思考がより理解できると考えられています。

しかし、研究者の多くは、「自己の認識と社会性にはつながりがある」という点については同意しています。ミラーテストの結果がよかった種は全て集団で生活しており、ギャラップ氏の最初のテストでは孤独に育ったチンパンジーだけがテストに失敗しました。シカゴ大学の哲学者ジョージ・ハーバート・ミード氏も自己の感覚は他者との関係によって作られるものであり、「自分自身だけで『自己』を体験することはできない」とこの考えに賛同しています。

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in サイエンス,   生き物, Posted by darkhorse_log

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