ナイキの「エアマックス」がどうやって誕生したのかがわかるムービー
ナイキと言えば、靴底に圧縮したエアーを閉じ込めてクッション化する「NIKE AIR」が有名です。この技術を見える化した「Air Max(エアマックス)」シリーズは、社会現象になるほどの大ヒットを記録。特に「エアマックス95」は日本でも爆発的にヒットし、数十万円単位で取引されるほど品薄状態が続いたため、エアマックス狩りと呼ばれる強奪事件が発生する事態にも発展しました。ブルームバーグがYouTubeで公開しているムービーでは、ナイキのエアマックスがどのように誕生したのかが、わかりやすく解説されています。
The Nike Shoe Inspired by a Building in Paris - YouTube
のちにスニーカーブームを起こすことになった「エアマックス1」は、アメリカのオレゴン州に住むティンカー・ハットフィールド氏によって、デザインされました。
ハットフィールド氏は1981年にナイキに入社。オレゴン大学で建築学を専攻していたことから、ナイキの入社時は会社専属の「建築家」として採用されました。
その後、ハットフィールド氏に辞令が下り、ナイキのデザイナーとして働くことになりました。
この当時はスニーカーの開発競争真っただ中。しかし、当時のナイキは元NASAのエンジニアであるフランク・ルディ氏が考案した「履き心地」や「機能性」を向上させるために、スニーカーの靴底にエアーを封じ込めたエアークッション技術「NIKE AIR」を手に入れていました。
ナイキはNIKE AIRを使って競争で優位に立とうとしましたが、商品を顧客に印象づけるための「セールスポイント」が必要と考えていました。
ハットフィールド氏は、何かインスピレーションが得られないかとフランスのパリに向かい……
ポンピドゥー・センターを見学。この建物はエスカレーターや配管などの構造がむき出しになっており、当時から前衛的なデザインの建物として評価されていました。
ポンピドゥー・センターのデザインコンセプトに影響を受けたハットフィールド氏は、靴底のエアークッションを「見える化」するデザイン(ビジブルエア)を思いつきました。
ナイキのマーケティングチームは「インパクトは薄いのではないか?」と考えていたようですが、1987年にNIKE AIRを見える化したエアマックス1を発売すると、たちまちヒットを記録。エアマックスシリーズはナイキの主力商品になり、のちに社会現象を巻き起こすことにもなりました。このため、ハットフィールド氏は世界で最も成功したシューズデザイナーの一人として知られています。
その後、ハットフィールド氏は「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」に登場して話題になった「自動で靴ひもを結ぶシューズ」の開発にも携わりました。
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