「モノを作る行為というのは照れる部分がある」、「人喰いの大鷲トリコ」デザイナーの上田文人氏インタビュー


日本国内外で高い評価を受けゲーム史に名を残す名作「ICO」や「ワンダと巨像」を手がけたゲームデザイナー上田文人氏のPlayStation 4用最新作「人喰いの大鷲トリコ」が、発表から7年の時を経て2016年12月6日に発売されました。その上田氏にインタビューを行い、「人喰いの大鷲トリコ」の開発秘話や上田氏のルーツについて根掘り葉掘り聞いてきました。

人喰いの大鷲トリコ | プレイステーション オフィシャルサイト
http://www.jp.playstation.com/scej/title/trico/

ゲームデザイナーの上田氏。


GIGAZINE(以下、G):
「人喰いの大鷲トリコ」をプレイしていて、最初に驚いたのは大鷲トリコの表情や仕草がまるで本物の動物のようにリアリティがあるということです。このリアリティはプレイしていてどうやって表現しているのだろうと素直に思いました。

上田文人氏(以下、上田):
不自然な部分を排除していく作業をひたすら繰り返した結果だと思いますね。これを表現したらリアルに感じるんだっていうコツや近道みたいなのがあるわけではなく、動かしてみて不自然に感じるところを修正していくという作業を続けたことで、本当に存在するかのようなリアリティが出たのかなと。

G:
不自然な部分を排除する?

上田:
例えばモーションに関して言うと、トリコは巨大な分、重量感を伝える情報がたくさん必要になります。筋肉の動きとか、ジャンプして着地したときの振動によるリアクションとか、そういう要素がないと、重量感が出なかったりするので。具体的にいうと、トリコは巨大なものなので急激な重心変化ができないんですよ。それを僕たちはポッピングって呼んでるんですけど、物理挙動には全て運動曲線が存在しており、それが本来滑らかにつながっていないとダメなんです。例えば頭がこっちを向いているのに、次のフレームで全然違う方向を向くような動きは、運動曲線が折れ曲がっているということなので、これを滑らかにする必要があります。こういう本当に細かいというか、泥臭い作業の積み重ねでリアリティが出てきたんだと思います。

G:
なるほど。トリコの本当に自然な仕草を見ていると、上田さんは動物を飼っていた経験があるのかなと思いました。

上田:
今は実家で猫を飼っています。幼い頃から動物とたくさん触れあうような生活を送っていましたから、そういった経験もトリコに生かされているんじゃないでしょうか。

G:
幼少期からいろんな種類の動物を飼育していたということですか?

上田:
そうですね、犬や猫が常にいる家庭だったんですよ。リスザルとかアヒルとか珍しい動物を飼っていたこともあっていろんな経験をしました。朝起きたら自分の脇の下がぬれていて、見ると猫がベッドで出産していたんですね。猫の赤ちゃんがベッドでニャーニャー鳴いていてビックリしました。あと、メスのシェパードを飼っていたのですが、出産直後に亡くなってしまったんです。それで母と僕が母親代わりになって、ほ乳瓶でミルクをあげて育てたこともありました。だから、動物に関して言うと普通の人よりも特殊な経験をしてきたのかなと思います。

『人喰いの大鷲トリコ』ローンチトレーラー - YouTube


G:
確かに普通の人は体験していなそうな経験ですね。トリコだけに限らず、主人公の少年も含めて動きの中に「健気さ」があるように感じました。これは「かわいく見せてやろう」と意識している結果なのでしょうか?

上田:
かわいく見せようというよりは、少年というキャラクターに説得力を持たせているからですね。少年は戦闘能力を備えていないですが、小さな体を生かしてトリコが通れないような狭い場所を移動できる。この動きに説得力を持たせるために、少年は普段から「戦えないんですよ」「小さいから狭い場所でも移動できますよ」というのをモーションで常にアピールする必要があり、その結果としてプレイヤーが健気に感じてくれるような動きになったと思います。かわいく見せたいというのは、ゼロではないですけどね。

G:
「人喰いの大鷲トリコ」は「ICO」や「ワンダと巨像」とはもちろん別のゲームになりますが、プレイしていると上田さんの作品だというのが世界観からにじみ出ている気がします。あの美しい遺跡とか風景や世界観というのは、上田さんが現実での体験からインスピレーションを得たものなのでしょうか?それとも完全に想像したものなのでしょうか?

上田:
それは完全に想像ですね。「人喰いの大鷲トリコ」が「ICO」や「ワンダと巨像」に似ているというのはよく言われますが、あまり自分たちでは意識していません。好みみたいなものが最終的には出ていると思いますが、特に過去作に似せようという意識はなかったです。だから、「人喰いの大鷲トリコ」をプレイして「ICO」や「ワンダと巨像」を想起するというのは、僕たちからすると意外なんですよ。

G:
次はマップデザインについて聞かせてください。「人喰いの大鷲トリコ」のマップには、少し考えただけでは突破できない仕掛けがたくさんあって楽しかったのですが、マップを構築していくときはレベル全体をデザインするのか、それとも個別に考えてデザインするのでしょうか?

上田:
個別にデザインしています。まず、どういうシチュエーションを見せたいのかっていうのを考えて……例えば、少年がジャンプして、それをトリコがキャッチするシーンを見せたいというところから始まるとすると、このシチュエーションを無理がない範囲で誘導するレベルってどんなものだろう?という部分を中心に組み立てていきます。最終的には見せたい絵があって、プレイヤーがどう進んでもこういう展開になるだろうというのをひたすら考えながらデザインしています。

G:
少年とトリコってサイズが全く違いますよね。素人目で見ると、大きさの違う2体が移動したり協力したりするマップを作るのは考えるだけで難しそうだなと。

上田:
トリコが大きいのでトリコに合わせたサイズでレベルを作ってしまえば、トリコを移動させるのが簡単になります。けれども、そうすると少年を動かしたときに少年のサイズとしてはすこし間延びしたレベルになってしまいます。また、スケール感も感じられなくなってしまう。だから、できるだけ少年のサイズに合わせたレベルデザインにしているのですが、これがなかなか難しい部分でした。

G:
ではレベルデザインが開発の中でも最も難しかった部分になりますか?それとももっと苦労した部分があるのでしょうか?

上田:
トリコの挙動やAIなど、テクニカルな難しい部分というのは、確かに苦労はしているんですけど、そこよりももう少し土台となる部分、ゲームのエンジンの開発だったり、システムを構築するための環境作りだったり、いわゆる座組みの部分に関しては苦労は想定外でした。先ほどのキャラクターのモーションやレベルデザインももちろん大変だったのですが、こちらは想定内の苦労でしたね。

G:
なるほど。開発において一番最初に取りかかったというのはどの部分になるのでしょうか。世界観の設定だったり、脚本だったりいろいろあると思うのですが。

上田:
一番最初に手を付けたのはトリコのキャラクターデザインだったと思います。

G:
なぜキャラクターデザインを一番最初に手がけたのか、何か理由があるのでしょうか?

上田:
よくあるファンタジー作品に出てくるドラゴンのような巨大生物というのではなく、意外性を持った大きな生き物を表現したいというのがあったので、トリコのキャラクターデザインから始めました。また、開発を始めた当時はPlayStation 3でのリリースを考えていたんですけれども、PlayStation 3でどれくらいディティールを作り込めるんだろうというテストも兼ねていたんです。ディティールを作り込むにはデザインが確定していないとできないので、トリコのキャラクターデザインから始めたという理由もあります。


G:
ほうほう。

上田:
世界観の設定や物語は一番最後ですね。

G:
最後なんですか!?

上田:
そうです。巨大な生物を設計して動かしてみたときに、不自然ではなく説得力があるレベルデザインはどういうものなんだろうというのを考えて、簡易なレベルを作ってテストします。それでゲーム的にいけそうだと感じて、かつ、表現力の上限がある程度見えてから最後に物語と世界ができてくるという感じです。

G:
ではエンディングがどうなるかというのは最初から考えていなかったと。

上田:
そうですね。最初の段階でエンディングを考えるというのはありませんでした。まあ、ざっくりとしたプロットのようなものは考えていましたけど。

G:
ふむふむ。私は監督の作品のエンディングで結構感動してしまうのですが、それも最初から狙っているものではないのですか?

上田:
感動してもらいたいというのはあります。やっぱり楽しみにしていくれているユーザーさんの期待に応えたいですし、自分がプレイヤーとしてゲームをやろうとしたときに、このゲームをやってよかったと思えるようなエンディングにしたいですね。

G:
「人喰いの大鷲トリコ」には現実世界では存在しない言語が登場しますが、造語は正直なところ未知の世界な部分があります。

上田:
うーん、作った僕たちよりも演じてくれた声優さんたちの方がすごく大変だったんじゃないかなと思います(笑) なぜ造語にするのかと言うと、ゲームの世界を特定の場所であったり時代であったりというのではなく、どこにあるのかわからない世界にしたいという理由があります。あと、ゲーム内の言語を英語や日本語にする、つまりゲーム内容が理解できるような言語にすると、ボイス収録の段階でヒントボイスも含めて内容を完全に確定させておく必要があるんですよ。造語であれば最悪、最後でもチューニングに対しての緊急対応が可能になります。やはりゲームである以上、ゲームプレイの調整を最後までおこないたいということもあり、造語を使っているというのもありますね。

造語の構築については、自分たちが伝えたい言葉をどう変換したらゲームの世界の言葉になるのかという変換ルールを考えるのは苦労しましたが、ルールが1つできてしまえば機械的に翻訳していくだけです。だから、声優さんが造語をいかに流ちょうに、本当にある言葉のように話すかというところのほうが大変だったと思います。

G:
そうなんですね。あの不思議な言葉に感情を込めて話すのは確かに難しそうです。「人喰いの大鷲トリコ」は発表から発売まで実に7年かかりました。ファンとしては待てば待つほど自然と期待値が高くなりますが、その期待に対するプレッシャーはありましたか。

上田:
それは悩みの種ではあったんですけど……かといって未完成の状態で発売するというのは一番してはいけないことだと思っていました。期待値が上がっているというのを理解しつつも、中途半端な状態で発売したくなかった。ゲームのディレクターとしては、そのあたりはなかなかコントロールできない部分でもありますけどね。

G:
これだけ期間があくとモチベーションを保つのが難しいように思いますが、そのあたりはどうでしょうか。

上田:
モチベーションを保ち続けるのは難しかったですね。クリエイティブな部分が全く進まない時期があって、そのときって自分の創作の対象がない状態なんですよ。だから、そのときが一番つらかったです。

G:
モチベーションが下がったときはどのようにして乗り越えたのでしょうか?

上田:
お酒を飲んだり旅行したりっていうのは気分転換になるんですけど……物作りに対するモチベーションを上げるには、優れた創作物に触れたり、それを楽しんでいるお客さんを見たりするのが一番というか、自分の中では大きいですね。僕個人の考えなんですが、モノを作る行為っていうのは少し照れる部分があって。モノを作る行為の必要性というか、お客さんから求められているのをリアルに感じるとモチベーションがあがります。エンターテインメントなものって現実世界で生きていく上で絶対に必要なものではないわけじゃないですか。なので、これは本当に必要なのだろうかってふとした時に思うことが多々あって。そういったときにちゃんとそういうものが必要とされているという状況を目の当たりにすると「僕もがんばらなきゃな」って思いますね。なんでもかんでも作って提供するというよりは、求められるからこそ作れるというタイプなんだと思います。

G:
上田さんの作品に対するファンの声というのもモチベーションにつながりますか?

上田:
もちろんそれもあります。「人喰いの大鷲トリコ」の開発中に「ICO」と「ワンダと巨像」のHD版が発売されたのですが、これに対するファンの人たちの声が耳に入ってきて、僕だけじゃなくて制作スタッフも勇気づけられたと思います。

G:
「人喰いの大鷲トリコ」は一度発売日が2016年10月25日から12月6日へ延期になりました。延期の決定は難しい判断だったと思いますが、そのあたりはいかがでしょうか?

上田:
今振り返ると当初の予定だった2016年10月25日に発売できたとは思いますが、そうすると調整不足や不具合といった部分が今以上に残ってしまったと思うんですよね。そうなると発売直後にパッチで対応することになるのですが、プレイヤーの中にはインターネットに接続していない人もいます。そういった人たちのためにも、できるだけ調整して不具合を排除した状態でリリースしたかったんです。もちろん、僕だけの判断だけではなく、SIEのトップマネジメントを含めた上での判断でした。

G:
なるほど。ここからは監督自身について聞かせてください。監督はもともと子どものころからゲームをよくプレイしていた、いわゆるゲーマーだったのでしょうか?

上田:
常に家に最新のゲーム機があったというわけではないんですけど、友達の家でプレイしていました。自分ではメインストリームのゲーム機は持っていなくて、最初に買ったゲーム機はセガ・マークIIIでした。メガドライブも持っていましたね。

G:
子どもの頃にプレイして記憶に残ったゲームはありますか?

上田:
記憶に残るという意味では「スーパーマリオブラザーズ」ですね……セガ・マークIIIだと「北斗の拳」や「アレックスキッドのミラクルワールド」をプレイしていましたよ。

G:
子どものころだと友達とゲームの話をすることが多くなると思いますが、上田さんの周りにもセガ・マークIIIとか同じようなゲームをしていた友達がいましたか?

上田:
僕の周りにはあまりいなかったですね。ただ技術面に関してもオタク気質なところがあったというか、ファミコンは発色が52色だったんですけど、セガ・マークIIIは64色あったんですよ。だから、セガ・マークIIIの方がより良い絵を体験できるんじゃないかって子どもながらに思っていたんじゃないかなあと。

G:
子どもながらに発色数まで考えていたとはスゴイですね。上田さんは大阪芸術大学で絵画のコースを専攻していたそうですが、もともと絵画に興味があったのでしょうか?

上田:
小さいときから絵が大好きでしたね。絵の部分でいうとあまり苦労したことがなく、得意意識を常に持っていました。

G:
その大学時代に独学でCGの勉強をしたと聞いたのですが、CGに興味を持った大きなきっかけがあったのでしょうか?

上田:
正確に言うと、大学卒業後ですね。在学していたときはコンピューターがあまり普及していない時代で、かろうじてモノクロのMacintoshが大学の共有マシンとして用意されていて、予約すればMacintoshを使えました。僕が大学にいたときは、コンピューターを使って何かを作るという時代ではなかったんですよ。正直なところ3DCGにものすごく興味があったというわけではなくて、美術表現にコンピューターを取り入れられないかって思ったのが始まりでした。絵画表現に限界を感じて模索した結果、コンピューターを取り入れると何か面白い表現ができるんじゃないかと思ってAmigaというコンピューターを買いました。

それとちょうど同じ頃に「ウゴウゴルーガ」の放送が始まったんですよ。ウゴウゴルーガのCGはAmigaを使っているっていうのを耳にして、東京に住んでいた知り合いからわざわざ僕が住んでいる大阪までビデオを送ってもらいました。ウゴウゴルーガのビデオを見て段々とCGへの興味が沸いていたときに、今度はバーチャファイターが登場したんですよね。ゲームセンターでバーチャファイターを初めて見たときはものすごい衝撃を受けました。「ビデオゲームってすごいんだな!」って。

G:
では大学の在学中にゲーム業界で働くことは考えていなかった?

上田:
それは全く意識していませんでした。大学時代は中学校や高校のときみたいにビデオゲームをドップリやっていたというわけではなかったんですよ。僕は卒業後に買ったAmigaを独学で使っていたんですけど、それを何とか仕事でもAmigaに触れないかと考えるようになって。それでAmigaを使っているCGプロダクションを探して入社しました。これがCGを使った最初の仕事ですね。とは言っても、その会社は社長の趣味でCGをやっていたようなところだったからCGに関する仕事はあまりありませんでした。そこで自分の作品を作って、ある程度作品がたまったところでワープっていう会社に持っていったんですよ。それがきっかけでワープに採用が決まりました。

G:
なぜワープに興味を持たれたんですか?

上田:
僕は大学時代にゲームから離れていて、単にゲームっぽいゲームを作ることにそれほど興味はありませんでした。ただ、ワープはゲーム以外のメディアへの影響がありそうなゲームを手がけていたので、そこに惹かれましたね。そのときにちょうどファミ通でワープの求人広告を見まして。その求人広告には「ワープはサンフランシスコに行きます」と書かれていて、これも応募しようと思った理由の1つです。

G:
その後、1997年にSCE(現在のSIE)に入って「ICO」や「ワンダと巨像」のディレクターを務めたわけですが、この2作品はSCEに入る前から「こういう作品を作りたい」と考えていたのですか?

上田:
そうですね。ワープに入社して、結果的には1年半くらいいました。ものすごく濃密な期間だったので、本当は10年くらいいたんじゃないかなって感じます。そのワープにいる間に自分の作品を作りたいという意欲がわいてきて、作品作りの時間が欲しいから退社することに決めました。決してSCEに入りたいからワープをやめたというわけではないんですよ。ワープを辞めた後は、仕事をせずに自宅にこもって作品を作っていました。それが『ICO』でした。でも、しばらくしたら貯金がつきてしまいそうになって、仕事を探さなきゃって(笑) そのときに自分のホームページを見てくれたSCEの関係者の方から「CGの仕事をしないか」と声をかけてもらい、自分の作品作りとは別に仕事としてCG制作に携わることになりました。

G:
SCEに入社して数年で「ICO」のディレクターを務めていらっしゃいますが、入社して数年で作品のディレクターをするというのは異例の早さに思えます。

上田:
今だとちょっと考えられないですけど、当時は今ほどすごいことではなかったんですよね。僕も若かったですが、僕よりも若い人がたくさん社内にいて、僕の世代でプロデューサーやディレクターをやっていた人はたくさんいました。また、当時はチャンスにあふれていた時代だったので、面白い人にゲームを作らせてみようっていう柔軟な環境があったというのもあります。PlayStationの時代の頃は、そういったタイトルがたくさんありましたよね。今振り返ってみると、そういう時代に働いていたことは運が良かったなと思います。

G:
確かにPlayStationの時代は今とは比べものにならないくらいの数のタイトルが発売されていました。上田さんは2014年にgen DESIGN(ジェン・デザイン)を立ち上げましたが、なぜ新しいスタジオを設立しようと思ったのでしょうか?

上田:
あまり詳細を語れないのですが、答えだけを言えば「円滑に制作を行うため」ですかね。

G:
設立したことで感じたメリットとデメリットを教えてください。

上田:
今のところデメリットは感じていません。メリットは、よりクリエイティブに専念できることでしょうか。スタッフがいろんなサポートをしてくれるので、これまで以上に制作に対して、言葉は悪いかもしれませんが、気楽にできるということですかね。気楽にできるというのは自分の中で非常に大きなウェイトを占めていて。僕自身がやりたいことを理解してくれているスタッフに囲まれているから、気楽にチャレンジできるというのはあります。こういう表現をしたらおもしろいんじゃないかというテストであったり、こういうゲームのアイデアを試してみたいというのをすぐに実行したりできるのは、非常に大きなメリットだと思っています。

G:
最後に、今手がけているプロジェクトについて何か話せることがあれば教えてください。

上田:
うーんと……今はまだ言えないです(笑) ごめんなさい。

G:
本日はありがとうございます。

人喰いの大鷲トリコ | プレイステーション オフィシャルサイト
http://www.jp.playstation.com/scej/title/trico/

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