ホテル業界に激震を与えた民泊サービス「Airbnb」はどのように始まったのか、創業者が語る
「見知らぬ人の家のベッドを借りることができる」という民泊サービスAirbnbは、世界中で利用され、既存のホテル業界に激震を与えると共に、市町村や国家レベルでの法整備が求められているところです。Airbnbはどのように生まれて、これからどこへ向かおうとしているのか、LinkedInの共同開設者のリード・ホフマン氏がAirbnb創始者の1人であるブライアン・チェスキー氏にインタビューを行っています
Scaling Airbnb with Brian Chesky — Class 18 Notes of Stanford University’s CS183C — Blitzscaling: Class Notes and Essays — Medium
https://medium.com/cs183c-blitzscaling-class-collection/scaling-airbnb-with-brian-chesky-class-18-notes-of-stanford-university-s-cs183c-3fcf75778358
インタビューの様子は以下のムービーから確認できます。
Blitzscaling 18: Brian Chesky on Launching Airbnb and the Challenges of Scale - YouTube
リード・ホフマン氏(以下ホフマン):
Airbnbの創設時の話を聞かせてくれますか?どこからアイデアを得て、どのように創設したのでしょうか。
ブライアン・チェスキー氏(以下チェスキー):
多くの人が、「Airbnbのアイデアはこれまで一緒に働いた中で最悪のものだ」と語ります(笑) 私はAirbnbを始める前はロードアイランド・スクール・オブ・デザイン(RISD)という美大に通っていたので、多くのIT系創設者とは異なり、成長する過程で「起業家になろう」とは考えたこともありませんでした。ソーシャルワーカーの両親はいつも「仕事を得る時は健康保険があることを確認するように」と言っていたので、私の目標はそのくらいで、私が「美大に行きたい」と両親に告げた時、彼らは私が出戻ってくると確信していました。
RISDでの経験は私の人生に大きなインパクトを与えました。それまではずっと「標準的な道をまっすぐに進むように」と言われていて、ちょっと道を違うと校長室送りだったのですが、RISDでは「あなたはデザイナーなのだから、物事を変えられる」と言われたのです。外に出て物事を変えること、それがずっと私のやりたいことでした。
大学を卒業後、職を得ましたが、友人のジョー・ゲビアからは「仕事をやめてサンフランシスコに来いよ。スタートアップをやろう」としつこく誘われていました。アイデアはありませんでしたが、何かをやりたかったのです。
2007年、口座には1000ドルしかありませんでしたが、私はサンフランシスコに向かいました。そしてサンフランシスコに移り住んだものの家賃を払うお金がない、という時にサンフランシスコで国際デザインカンファレスが行われるという話を聞いたのです。カンファレスのウェブサイトを見てみると、近隣のホテルはみんな満室、ということが書かれていました。
この時、「カンファレンスの参加者は泊まるところがない」「自分たちにはお金がない」ということから、カンファレンスの参加者たちに朝食と泊まるところを提供するのはどうだ?というアイデアが生まれました。ベッドがないという問題がありましたが、幸いにもゲビアがゴム製のエアベッドを持っていました。そこで「エアベッド&朝食」を提供するためのウェブサイト「airbedandbreakfast.com」を公開したのです。
結局、私たちはカンファレンスが行われる間、3人の参加者と部屋で一緒に暮らしました。気づいたのは、通常、友人を作るには数年の月日が必要ですが、この仕組みだと数日で人を家に泊められるということです。普通の世界ではこんなにも急速に人と知り合うことはまずありません。しかし、「他人を家に泊める」という経験を経ることで、人生が大きく変わる人もいれば、結婚式に呼んでくれるほど誰かと親しくなることもできます。
カンファレスでの経験をもとに、ジョーの元ルームメイトであるネイサン・ブレチャージクと3人でこのアイデアから会社を作ることに決めました。アイデアの核となるのは「ホテルの予約をするように、誰かの家の予約ができる」ということです。この時、私たちの誰も「エアベッド&朝食」が大ヒットするとは思っておらず、「ルームメイトを見つける」という別のサービスのアイデアに取り組んで時間を無駄にしたこともあります。
クリスマスに実家に帰った時に「今は何をしているの?」と両親に聞かれ、「失業中なんだ」と言いたくなかったので「起業家なんだ」と答えました。その時はじめて私は「失業中」と「起業家」の違いは考え方だけなんだと気づきました(笑) 両親に聞かれて答えているうちに、「エアベッド&朝食」のアイデアをもう一度練り直すべきだと感じ、私たち3人は再び「エアベッド&朝食」について話し合い始めたのです。
そして、2008年、サウス・バイ・サウスウエスト(SXSW)の時期にAirbnbを公開しましたが、SXSWが行われた時期全体を通してAirbnbの利用者は2名で、そのうち1人は私でした。
ホフマン:
「ルームメイトを見つける」というサービスに取り組んでいたのは知りませんでした。
チェスキー:
「エアベッド&朝食」が大きなアイデアだとは思っていなかったんです。このことから「大きなアイデアは、はじめはばかげて聞こえる」ということを学びました。問題を解決するアイデアの多くは人生を変えませんが、これは人生を変える可能性があるアイデアだったわけです。
ホフマン:
サービスを公開した後、どのようにして改良を進めていったのですか?
チェスキー:
実際のところ、私たちはサービスを何度も「公開」をしているのです。もしあなたがサービスを「公開」しても誰も存在に気づいていなければ、もう一度「公開」すべきと言えます。
Airbnbについて言えば、一度目の公開は国際デザインカンファレスで、2度目の公開では誰にも気づいてもらえず、SXSWは3度目の公開でした。この時は支払いシステムもできておらず、ユーザーに普通のベッドではなくエアベッドを提供してもらっていました。
でもある時に、ユーザーの反応から「なぜカンファレスの時期をメインに据えなければならないのか?」「なぜエアベッドでなければならないのか?」ということに気づき、ベッドの種類や時期に関係なく、ホストに予約を受けてもらうようにしました。
また、支払いについても他のサービスとは違う方法を取りました。当時、eBayやEtsyはPaypalを介して決済できるようにしていましたが、私たちはゲストからホストへ仲介を経ずに直接支払いを行って欲しかったのです。独自の決済システムを作るという考えは恐ろしいものでしたが、でも結局、私たちはホストを評価すると共に直接支払いを行うというシステムを作り出しました。
2008年の夏、「誰かの家を3クリックで予約できる」というAirbnbの最終バージョンが完成します。当時のウェブサイトには検索・評価・支払いという現在も使われている主要な要素が搭載されていました。
現地の人から借りる家・アパート・部屋・バケーションレンタル・民宿予約サイト - Airbnb (エアビーアンドビー)
https://www.airbnb.jp/
ウェブサイトの完成後、私たちは「サービスには150万ドルの価値がある」と銘打って15万ドルを集めるため15人の投資家たちに連絡を取りましたが、7人の投資家は返信をくれず、返信をくれたのは8人。うち4人は「君たちの主張にはあわない」という返信で、1人は「好きな市場でない」、3人は単純に「パス」でした。
2008年、民主党全国委員会(DNC)が開かれ8万人がデンバーに集まるにもかかわらずホテルには2万7000部屋しかないと聞き、これを利用するほかないと思いました。そこでCNNやニューヨーク・タイムズという大手出版社に連絡を取ってみましたが、「まさか!人は他人の家のベッドに泊まろうなんて考えないよ」と返され、また地元の新聞社には無視されました。そこで、個人のブロガーに記事を書いてもらったところ、DNCについてGoogleで調べようとした人が記事を見ることになり、さらに地元新聞社がブログに目を留め、地元新聞に目を留めた大手出版社が記事を書くという結果になりました。そのため、DNCの間は80人がAirbnbを利用してくれましたが、期間が過ぎるとまた利用者ゼロの状態に。私たちは負債を抱えているし、投資家はノーと言うし、3度もサービスを公開しているしで、新聞に掲載されているにも関わらず見通しは全く立ちませんでした。
そんな時、Airbnbの「エアベッド」は機能しているものの、「朝食」の部分はうまく機能していないことに気づきました。そこで1000箱のシリアルをスーパーで買い込んで当時話題だった大統領選のオバマやマケインのイラストをあしらったパッケージにして、1つ40ドルで販売したところ、実に3万ドルをかせぐことができ、一時的に借金は返せました。これが私たちが「シリアル起業家」となった話です。
2008年11月には再び負債を抱えていた私たちを見て、周囲の人が「Yコンビネータに行ったら?」とアドバイスをくれました。そこで、既にネットサービスを公開してはいたのですが、Yコンビネータのポール・グレアムに会うことになりました。彼はAirbnbについて聞くと「人々がエアベッドに泊まるの?その人たちはどこかおかしいの?」と反応しました。しかし私たちがシリアルのくだりについて話したところ、「もし君たちがシリアルを人に買わせることができるなら、人々に部屋に泊まってもらうこともできるかもしれない」とグレアムは語り、生き残ることができる可能性がある、という意味で私たちのことを「ゴキブリ・スタートアップ」と呼びました。これはそれまで受け取った中で最大の賛辞でした。私たちはゴキブリだったのです。
ホフマン:
Yコンビネータによって、Airbnbに大きな変化は起きなましたか?
チェスキー:
Yコンビネータは後に大きな助けとなる、2つのことをしてくれました。
まず、Yコンビネータは3カ月にわたって集中的に指導してくれるので、私たちがフルタイムでAirbnbのために働くための機会を与えてくれました。それまでは他のことも行っていたのですが、Yコンビネータに通い出してから、私たちは朝の8時から夜の12時までAirbnbだけのために働くという生活を4カ月続けたのです。
また、グレアムは我々が軌道を変えるためのアドバイスもくれました。それは「100万人に好かれるよりも、100人に愛される方がよい」ということです。アプリをヒットさせたい時に「100万人に使ってもらう」と考えるのではなく、本当にアプリを愛してくれる100人を考えなければ、100万人に使ってもらうのは到底無理です。幸いにも、私たちにはAirbnbを愛してくれる100人がいました。
Yコンビネータに通う間、私たちはニューヨーク在住のホストの家に泊まり、彼らと直接会って、時間を過ごし、評価を書きました。そしてこの時、部屋の写真を撮るのが難しいというホストに対し「もしボタンを押すだけで写真家が現れて部屋の写真を撮ってくれたら?」と尋ねたところ、ホストたちはこのアイデアをとても気に入ってくれました。そこで私が友人からカメラを借りてホストの家に向かうと、創設者がカメラマンを兼ねるということに、みんなショックを受けていました。
もしあなたが誰か1人にでも愛してもらえたら、あなたは次から次へと人々の元に行けます。これが、「100万人に好かれるよりも100人に愛されることが大事」ということの意味です。
そして最終的に、私たちはプレゼンによってSequoia Capitalから60万ドルの投資を得ることができました。
ホフマン:
スタートアップの創設期を経て、企業は成長します。「階級」というテーマで言うと、ある階級ではうまくいったことが、次の階級ではうまく働かないということを見かけます。あなたは短期的に集中してプロジェクトに取り組むと共に、長期的なプランも自分自身で行いつつ、マネージャーや役員も兼任していますよね。
チェスキー:
Airbnbについて尋ねる時はみんな、創設時の話を尋ねます。アイデアがあって、それを実行して、その後の話はそれらしく言いつくろいがちですが、実際には1つステージをクリアしても第2、第3、第4ステージと続いていき、しかもどれも第1ステージよりは難しくなります。問題を解決して、プロダクトを愛してくれる100人を見つけて、よい共同創業者を見つけて……という第1ステージは、比較的簡単なのです。
第2以降のステージはあまり文章化されていません。他のCEOに話を聞いたこともありますが、彼らが間違ったことを言っていたり、自分の場合にはうまく機能しない可能性もあります。例えば、あるCEOは6カ月ごとに昇進するべき、と話していましたが、急成長しているスタートアップのCEOは6カ月もしたら全く別の仕事を抱えているはずなので、この考えは信じていません。急成長するスタートアップのCEOは、ボウリング選手がフットボール選手になって、その次にホッケー選手になる感じです。ステージが変わると仕事の内容が全く違うのです。
もし自分の仕事の「全てを知っている」と思うのであれば、それは自分で自分が見えていないのです。私は知らないことについてフィードバックを受けることを恥と思いません。
ホフマン:
私はこれらのタイプの人のことを「無限の学習者」と呼びます。では、競争の話に移ります。Airbnbの成長と共に、企業としての競争や企業内の挑戦はどう変化していきましたか?
チェスキー:
スタートアップの第1ステージは「生き残ること」です。いかに死なずに次の日を迎えられるか。そして次のステージは、問題を解決する「消火活動」。そして第3のステージでは、他の人が会社を模倣しようとしたり自分を破滅させようとしたりしてきます。これこそが今まさにAirbnbが面している事態で、現在のAirbnbにとって外部の脅威は競業他社と政府です。
AirbnbがGreylock Partnersから700万ドルを集めた直後、2011年にAirbnbのクローンサービスである「Wimdu」が作られました。Wimduは9000万ドルを集めて400人の従業員を雇っていましたが、当時のAirbnbには40人の社員しかいませんでした。しかし、最終的にAirbnbは長期的な視点でよりよいコミュニティを作り上げていくことによって、競争に勝つことができました。
オーディエンス:
今最も難しいことは何ですか?
チェスキー:
たくさんありますが、1つ目はスケーリングについてです。500人規模で行えたことが2000人規模でうまくいかなくなるということは多々あります。急成長しているスタートアップとしての実感は必要ですし、使命を果たすことも大切ですが、企業文化を保っていくには変化も必要です。AppleやLinkedIn、Facebookのような企業はプロダクトラインを1つ以上持っています。我々のプロダクトであるAirbnbは成長していますが、新しいプロダクトを生み出すチャンスはあるのではないでしょうか。私はスタートアップの始め方はわかるのですが、既存の成功した企業が新しいプロダクトを生み出す方法を知りません。2つは全く違うものなのです。
1つのプロダクトを2つに増やすのは大きな変化ですが、企業が走り続けていくには必須のことです。今から10年後に私たちが売っているプロダクトは、今売っているプロダクトと全く別の物である可能性が高いと考えています。
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