メモ

戦争が終わって100年経ってもなお残る「人間が住めない場所」


破壊と命の奪い合いを行う戦争の影響は、戦争そのものが終わっても土地を汚染して影響を与え続けることがあります。第一次世界大戦でフランス軍とドイツ軍が熾烈な戦いを交わした戦地には今でもその負の遺産が残されたままの状態となっており、100年が経過した今でも人や動物が住むには適さない場所としてうち捨てられています。

After 100 years, World War I battlefields are poisoned and uninhabitable - We Are The Mighty
https://www.wearethemighty.com/popular/world-war-i-battlefields-uninhabitable/

Red Zone - National Geographic Society
http://nationalgeographic.org/news/red-zone/

1914年から1918年にかけて戦われた第一次世界大戦の中でも、フランス軍とドイツ軍の間で勃発した1916年2月のヴェルダンの戦いと、同年6月のソンムの戦いは、特に熾烈な戦いでした。ヴェルダンの戦いでは両軍あわせて70万人、さらにソンムの戦いでは実に100万人以上という兵士が命を落としており、第一次世界大戦で最大の戦いとして歴史にその名を残しています。

ソンムの戦いが繰り広げられた際に撮影された戦場の様子。見渡す限りの荒れた土地にはまるで生き物の存在が感じられず、まさに死の世界を思わせる風景が広がっています。


場所は違いますが、その戦いの傷跡が残る土地の現在の様子。ここは2016年に撮影されたヴェルダンの戦いの戦闘地域で、木々や緑が生い茂ってはいますが、砲弾の跡が残る地面の状態からは、当時のすさまじい砲撃の様子が伝わってくるよう。


これらの戦場跡は、戦後のフランス政府により「Zone Rouge (英語で「Red Zone (レッド・ゾーン)」の意味)」と区分され、一般人の立ち入りや農地としての利用が厳しく制限されるようになりました。攻撃の際に用いられた銃弾に使われていた鉛や、砲弾に込められていた有毒ガスが今でも多く残留し、犠牲となった兵士の遺骸や不発弾の回収・処理もほとんど進んでいないことから、人が生活するには危険すぎる地域として一般社会から隔離された土地となっているのです。

この措置により、当時存在していた9つの村が姿を消すことになりました。「villages that died for France (フランスのために死んだ村々)」とも呼ばれる村では、戦闘が行われる際に村人に退避が命じられ、その後村は完全に破壊し尽くされることになりました。そして戦争が終わったあとも、もとの地域は居住には適さず、回復させることも不可能としてうち捨てられることになったとのこと。

By Into No Man's Land.org

管理区域のフェンスに掲示された、「軍管理地域 死亡の危険あり」と記されるプレート。


区域内に残された鉛の弾丸。これらが風化して土地に染みこむことで土壌や水が汚染され、区域内に生息している野生動物の体内からは、安全値を大きく超える鉛が検出されているとのこと。


また、使われなかった手りゅう弾がそのまま不発弾として残されており、100年が経った今でも爆発の危険が極めて高い状態となっています。事実、レッド・ゾーンに隣接する比較的安全とされる「イエロー・ゾーン」でも不発弾が爆発する事件が発生しており、農業用トラクターが破壊されたり、危うく住人が命を落としかけるといった被害がいまだに出ているとのこと。


同様に深刻なのが、毒ガスを充填した砲弾の存在。人の背丈ほどもある砲弾に残された毒ガスが流出する危険が高いため、人が立ち入るにはまったく向いていないエリアとされています。


エリア内には、このような砲弾の残骸があちこちに転がっているとのこと。


当時のまま残された塹壕(ざんごう)。100年という時間で周囲は森に覆われていますが、かつてここでは想像を絶する戦いが繰り広げられていました。


レッド・ゾーンの面積は460万平方マイルに及び、これは日本の沖縄本島とほぼ同じ広さに相当するもの。あまりに広大なエリアのため、完全な復興には300年から900年もの時間がかかるといわれており、専門家の中には「復興は不可能」とする人もいるほど戦後処理は極めて難しい問題とされています。


一見するとごく普通の森が広がっていますが、その中では戦争の爪痕が今でも大地を汚染し続け、生き物が暮らすには危険過ぎる環境が残されています。戦争の時代に繰り広げられた人類の過ちは、このようにして前世代の遺産として後世に引き継がれる形となっているというわけです。


戦争で失われた文化遺産やアイデンティティを再興するイギリスの研究団体である「CRIC (Cultural Heritage and the Reconstruction of Identities after Conflict)」が作成している「フランスのために死んだ村々」の映像がYouTubeで公開されています。戦闘の際に破壊された村の様子や、当時の村の記憶を残すための取り組みなどが語られています。

"Places that Died For France" : Commemoration and Memory on the Verdun battlefield - YouTube

この記事のタイトルとURLをコピーする

・関連記事
大地に埋まった地雷を嗅ぎ分け地雷除去処理を助ける地雷探知犬の過酷な任務とは? - GIGAZINE

人間はなぜ殺し合うのかという謎の解明へ一歩前進、チンパンジーの事例が適応戦略で説明できることを京大が発表 - GIGAZINE

コスタリカで戦争が起きないのは「国立劇場を壊したくないから」 - GIGAZINE

「核の冬」が来る可能性がある世界で知っておくべき知識 - GIGAZINE

23発もの核爆弾で山脈を爆破する予定だった「キャリーオール計画」とは? - GIGAZINE

ガダルカナル島で戦った日本兵の持ち物に刻まれた言葉が頭にしがみついて離れない - GIGAZINE

第二次世界大戦末期に日本が原爆開発を行っていたことを示す新たな証拠が見つかる - GIGAZINE

in メモ,   動画, Posted by darkhorse_log

You can read the machine translated English article here.