ガダルカナル島で戦った日本兵の持ち物に刻まれた言葉が頭にしがみついて離れない

激戦地だったとは聞いていましたが、ガダルカナル島がソロモン諸島だったということをつい最近まで知りませんでした。あの戦争から70年。強い日差しが照りつける中、ミンミンミンと忙しくなく蝉の声。見上げれば澄み切った青い空に、見渡せば地上を覆う緑のジャングル。生まれる時代が早ければ、このような場所で戦っていたと考えると、胸が苦しくなりました。
こんにちは、自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンです。オーストラリアを基点に、南太平洋の島々を周る旅で、ソロモン諸島の首都ホニアラがあるガダルカナル島に行ってきました。戦争遺品を集めた2つの博物館を訪れたのですが、そこで出会った言葉が頭にしがみついて離れません。
◆ビル村の野外戦争博物館
今回の戦跡めぐりは、ツアーも考えていたものの、ホニアラにある日系のホテルに詳細を尋ねると、けっこう高額な出費となりそうだったので断念。2泊3日の強行スケジュールにもかかわらず、この島も少しくらいは自転車で走りたかったのもあって、自力で戦跡を訪ねてみました。最初にホニアラ市街から、西に20kmほど離れたビル村にある屋外戦争博物館を目指したのですが、事前にインターネットで調べていたのにも関わらず見つかりません。
ホニアラ市街を抜けると、交通量がほとんど無くなります。

とても暑くて湿気もある場所なので、地元の人も高床式の家で暮らしていました。

かなり迷いながらも地元の人に聞きまくって到着。標識も何もでていません。ここはガダルカナルの戦いで使われた大砲や航空機といった兵器が集められた私設博物館。展示受付で100ソロモン・ドルの入場料を支払います。
このような建物が入口。

入口を抜けると、まず数台の野砲が目に飛び込みます。

反対側から見た野砲。

大きさを比較するために手を添えてみました。

腰をすえないと持ち上がらなかったずっしりとした砲弾。

横から見た野砲。

車輪には、ゴムのような弾力はなく、セメントのように硬いタイヤが付いていました。

一回り小さな野砲。

高射砲。

ドラム缶に支えられた航空機。

ずいぶんと傷んでいますが、当時の姿を今に伝えてくれます。

機体に近づいてみて。

二つのエンジンがついた双発機の機体。

焼けただれたようにも見えます。

プロペラ機。

剥き出しとなっていたエンジン。

鉄のガラクタ。こんな感じで、すべての兵器が過去のものとなればいいのに。

機首。

無造作に放置されている巨大な残骸。

巨大な鉄の塊が散らばっています。

日本語の慰霊碑も置いてあったので、手を合わせて祈りました。

◆ホニアラ戦争博物館
ビル村の野外戦争博物館を訪れたあと、次の目的地のためにホニアラ市街に戻ります。途中で観光案内所を見つけたので情報収集。私が行きたかった慰霊のために造られたというアウステン山の平和記念公園は「自転車で行くなら身の保証はできないわ」という忠告を受けたので断念。ホニアラ市街は南の島のイメージと違って、迂闊に出歩くには危険な雰囲気があります。いろいろ相談しているとホニアラ市街から少し先に、戦争博物館があるというので、そこに行ってみました。ここも何の案内もないのでかなり迷います。木材加工場の片隅に、その博物館はありました。こちらも、100ソロモン・ドルの入場料。自分しかいなかったので、管理を任されていた地元の人はいろいろ説明してくれました。
このような感じで収集された戦争遺品が並べられています。

様々な部品が置かれていました。

蜂の巣となっているドラム缶。

無造作に置かれた銃器。

機関銃と弾倉。

機関銃を支える台座。

砲身がひっしゃげていました。グニャリとしていますが鉄の硬さです。

砲弾。

森を燃やすために使われたという焼夷弾。

アメリカ軍のサーベル。

机の上にも戦争遺品が散らばっています。

左がアメリカ軍の、右が日本軍のヘルメットだそうです。

料理用の燃料を入れていたという容器。

書かれた漢字からすると裁縫用の糸でしょうか?

水筒。

室内には、時代を感じさせるアメリカ軍の戦車もありました。

70年以上前に造られたとは思えない、良質な保存状態。

戦車に使われた弾薬。

おびただしい数の銃弾。

手榴弾の残骸。

こちらも手榴弾という説明。

かなり大きなサイズの銃弾。

何だろうと気になった看板は、臨時の交通標識と教えてくれました。

零戦のコックピットだそうです。上下に動く棒状のスイッチには、接という漢字が使われていました。

くしゃくしゃになった航空機の翼ですが、漢字が使われていることから、日本軍のものだと分かります。

航空機の座席。

プロペラの羽根。

大型の機械。

コカ・コーラの空き瓶も置いてありました。

ペプシコーラも然り。

収集された瓶は、ほとんどアメリカ製で、国力の差をまざまざと見せつけてくれます。

唯一みつけた日本製の小瓶には、クレオソートというカタカナ表記。正露丸のような薬が入っていたようです。

こちらは、米軍の食事プレート。

屋内だけでなく、屋外にも戦争遺品が置かれてあります。

野砲。

海中から引き揚げたという砲台。随分と錆び付いていました。

日本の国籍マークが描かれた航空機の翼。

アメリカのプロペラ機のエンジン。

日本のプロペラ機のエンジン。

英語で書かれたプレート。

たくさんの戦争遺品があったのですが、その一つに信じられないものが写っていました。
ふと漢字が描かれた飯盒を見せてくれたので、写真を撮ったのですが……

後日確認すると「志はたす日」と刻まれた文字を発見。

刻まれた文字に残された一人の人間の感情。一つの史実ではなく、そこにいた人の数だけ、それぞれのガダルカナルがあったということ。それに気付いたら、急に胸が苦しくなりました。あの戦争では、多くの人が命を落としました。今ここにある平和は、たくさんの人の命の上に、成り立っていることを忘れたくはありません。曲がりなりにも、最期まで人生を全うしたいと改めて思いました。
(文・写真:周藤卓也@チャリダーマン
自転車世界一周取材中 http://shuutak.com
Twitter @shuutak)
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in 取材, Posted by logc_nt
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