ルワンダの新しい国づくり、「ジェノサイドの悲劇」から「アフリカの奇跡」へ


こんにちは、自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンです。「千の丘の国」と呼ばれるルワンダ。山に湖に気持ちのよい自然が広がり、名物のビュッフェに腹をふくらませ、現地の人といい出会いを重ねて、素敵な旅となりました。ただ、それだけでは終れません。世界が見放したジェノサイドの悲劇を忘れてはいけません。そして、そこから力強い経済成長を続けて「アフリカの奇跡」と呼ばれていることも。ここまでできる国はアフリカではなかなかありません。ルワンダではビニール袋が禁止されています。

「アフリカの奇跡」を起こしたルワンダの首都Kigali(キガリ)はこちら。

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「千の丘の国」とも呼ばれるルワンダ、首都Kigali(キガリ)も幾つかの丘で成り立っています。最高点を中心に左右対称の綺麗な弧を描く丘。これが夜になると家の明かりで輝きます。それはまるで巨大なクリスマスツリー。丘の上から見渡せばプラネタリウム。ともかく気持ちのよい景色が広がっていました。

住宅地区。


谷にそって……


家が密集しています。


赤い屋根がずらーり。


丘が連なる光景。


こちらも丘。


丘のてっぺんまで建物が建っています。


宿の正面の丘、夜になると建物に光がともってクリスマスツリーのようでした。


バスターミナルがあるNyabugogo(ニャブゴゴ)に宿があり、そこから丘のてっぺんにあるKigaliの中心街に行くにはミニバスやバイクタクシーで駆け上がらないといけませんでした。歩くと30分くらいかかります。

高層ビルが建つ中心街。


視界が開ける場所では、遠くまで一望できます。


しっかりと整備されている道路。


24時間営業のスーパーマーケットも入っているショッピングモールまであります。


宿に余計な荷物を預けてKigaliを起点としてルワンダ西部とブルンジ北部を回るショートリップに出かけます。本来ならルワンダ、ブルンジと抜けてタンザニアに入るつもりでした。ですが、ブルンジ国内の情勢が不安なこと、ブルンジからタンザニアへの予定している道が未舗装になること、ルワンダのビザがマルチで取れていて一度出国しても再び入国できること、荷物を減らした軽い自転車で駆け回りたかったこと、と以上の理由でショートトリップとなりました。

Kigaliを出るとすぐに山岳地帯に入りました。


Kigaliの西にあるGitarama(ギタラマ)の市街。


Gitaramaからさらに西に進むと、標高2000mを超える大きな大きな峠を越えました。この峠はアフリカ大陸を北に流れて地中海へと注ぐナイル川と、西に流れて大西洋へと注ぐザイール川の分水嶺にあたります。世界一周になるとスケールが違います。峠へ向かって上っていくと、だんだんと眼下に視界が広がっていきます。少し丸みを帯びた遠くの遠くに地球の大きさを感じました。

ここはまだ標高がありません。


ツギハギのような段々畑。


山岳地帯。


奥にそびえ立つ山まで登らないといけません。肉眼では道路の為に削られた土色の斜面がうっすらと見えています。大変な峠ですが、敵の正体が分っているだけまだ気が楽です。


段々畑をジグザグに貫くあぜ道


足を踏み外せば滑り落ちそうな斜面まで耕しています。


現在登坂中……峠を攻略中です。


どの丘よりも高い場所へ。


地球の大きさを感じていました。最高です。


日本では考えられないような斜面に家が建っています。「どうしてこんなことができる?」と考えたら分かりました。ルワンダには雪が降らないからこういう立地も可能なのです。国土が狭い割にたくさんの人が住んでいるので、こういうところにも住む必要があるのでしょう。


このショートトリップの目的の一つに、「ルワンダとコンゴ民主(旧ザイール)に跨がるキブ湖を見る」というのがありました。このキブ湖は標高1460mにあり、山岳地帯の湖です。勇者が剣を持って来ないといけないような冒険の地。実際にこの湖の近くにはMt Nyiragongo(ニーラゴンゴ山)、Mt Nyamuragira(ニャムラギラ山)といった溶岩が噴出する活火山があります(ニーラゴンゴ山の溶岩の様子はこんな感じ)。秘境と呼んでも過言ではない場所でした。

長いダウンヒルの途中でキブ湖が姿を表しました。


湖の奥にそびえ立つ山々はコンゴ民主の山。


入り江。


湖面近く。


キブ湖畔を進みます。


ずっと高い所から湖を見下ろしていました。


この先は綺麗な下り坂です。


キブ湖の湖面まで降りて行きます。ですがこの先の道は……


どう見ても山奥へと続いています。残念でした。


遠くにうっすらと見える湖。


キブ湖畔の道は日本のリアス式海岸のようにアップダウンが激しくとても疲れます。だけどその分、標高が上がって一望できるキブ湖は格別でした。

通り過ぎていく集落。


下りでスピードが出せないガタガタ道の未舗装路はしんどかったです。


集落の入口にこのような門をよく見かけました。


緑の絨毯のような水田。


キブ湖南端のCyangugu(チャンググ)までやって来ました。ここはコンゴ民主東部の主要都市Bukavu(ブカヴ)と国境を接しています。コンゴの首都Brazaville(ブラザビル)でビザが取れなくてコンゴ民主に行けず、ケニアのNairobi(ナイロビ)まで飛行機を使いました。前回はザイール川を挟んだ先にコンゴ民主がありましたが、今回は東部から背後に回りこむような形で近づきました。「一番楽しい、一番辛い、一番嫌い、一番好き」と誰かが書いていたコンゴ民主、その魅力は自分を惹き付けてやみません。いつか旅できるといいのですが……。

湖岸だけど湖面まで遠いCyangugu(チャンググ)の街並み。


目の前にBukavu(ブカヴ)の街が広がります。


携帯の電波を探るとコンゴ民主の携帯会社のアンテナを拾いました。


「ルワンダにはビュッフェがある」と聞いて胸をふくらませていました。そして、腹をふくらませてタンザニアへ出て行きました。食べ過ぎました。この国の食事の量は半端ありません。何にしてもともかく盛られます。ルワンダのビュッフェは1000ルワンダフラン(約130円)で米、パスタ、フライドポテト、ポテト、マトケ(バナナ)、イモ、マメなどを自由に取ることができます。これに肉を一切れのせてソースをかけて食べました。肉は特別で、たくさん食べれません。また、この取り放題は最初の1回の盛りきりです。日本のように食べ終わってからもう一度お皿に……とはできませんので注意してください。

自分で盛ったビュッフェ。


「チャリダー盛り一つ」と言いながら、喜んで食べてました。


ビュッフェがないところでも食べているものは一緒でした。


Melange(メランジェ)と呼ばれる混ぜご飯


お皿にはみ出さんばかりの量でした。これほどまでにたくさんのごはんを食べた国はありません。


こちらはルワンダ風の肉じゃが。


また、ルワンダでは商店で惣菜パンを食べることができます。ちょっとした机や椅子もあって喫茶店のようです。写真に写っているのはミンチ肉が包んであるサモサ。


そして、ポリタンクに入れられた自家製ヨーグルトも飲めます。


ルワンダはアフリカで最も人口密度の高い国で、どこにでも人が住んでいます。「ムズング、ムズング(白人)」といつもたくさんの人に囲まれていました。そんなに見つめられると照れます。何も顔にはついてませんよ。立ち去る時には手で人をかき分ける動作で、自転車の通れる道を作らないといけません。まるで海を割るモーセです。隣国ブルンジでは群集に囲まれたまま地べたに座ってパイナップルを食べてました。笹を食べるパンダの気分が分りました。檻があったら入りましょう。きっと大切に扱われます。

人といえばもう一つ、ルワンダではやんちゃな子どもたちに追われていました。上り坂だとスピード出ず、歩く早さと同じなのです。裸足でスタスタと子どもたちの足音は忍者のようで、「文句の一つでも言ってやろうか」と振り返れば、歯茎を思いっきり使って爽やかにサトウキビをかじる姿。「これは責められない」と諦めました。何だか悔しい。「調子に乗る」「ちょっかいをだす」と、ルワンダの子どもたちはとても大変でした。といいますか、ガチで追いかけました。

それでも、この笑顔には参ってしまいます。


一緒に雨宿りした子どもたち。


こんな感じで追いかけてきます。


田舎の村で囲まれてしまいました。


すれ違った少年と少女。


少しばかり話をした青年。


真ん中の小さい子がお気に入り。


元気いっぱいのガキンチョたち。


いい出会いばかりでした。

自然に、食に、人に、とルワンダの旅は楽しいものとなりました。でも、ただ楽しかったでは終われません。この国を襲った悲劇、1994年に起こったジェノサイドを忘れてはいけません。ここにあったのは地獄でした。たくさんの人が殺されました。

ルワンダにはツチとフツという二つの民族がありました。ツチは「肌は薄く、背は高く、鼻は細い」とされ、フツは「肌が濃く、背は低く、鼻は広い」とされていました。実際にルワンダを歩いてみると、ぼんやりとした違いが分ります。コンゴやガボンのように黒くて体格のいい人たちと、ケニアやエチオピアのように褐色に近く細身の人たち、この雰囲気の違いでしょうか。このツチとフツはヨーロッパの植民化以来、支配者側の都合でどちらかが優遇され、差別の根を深めていました。そして1994年フツ系の大統領が乗った飛行機が撃墜されたことにより、過激派フツによるツチへのジェノサイドが始まります。ツチだけではなく、穏健派のフツの人たちも殺されました。ツチ系の反政府組織ルワンダ愛国戦線(RPF)がルワンダを制圧するまで続きます。ジェノサイドが行われた約100日間に、当時の人口の約1割にあたる約80万人の人たちが犠牲になりました。この犠牲者数も正確にはわかっていません。

Kigaliにはジェノサイドミュージアムがあり、当時の凄惨な状況を垣間見ることができます。頭を切りつけられて治療する少女から粒となって流れる涙の映像、「最後に見たのは母親が殺される姿」と説明がある幼い子どものパネル、展示されている殺された人たちの遺留品やら頭蓋骨、深く心に残っています。また旅をしていると「Genocide Memorial」と書かれた看板からNyange(ニャンゲ)と呼ばれる小さな集落に立ち寄りました。そこには古い教会の跡があり、ここに逃げ込んだたくさんの人が犠牲となりました。こんな山奥の小さな集落でさえジェノサイドに巻き込まれました。

このジェノサイドについてはWikipediaの下記の項目にいろいろと書かれています。

ルワンダ虐殺
ルワンダ紛争
ルワンダ愛国戦線(RPF)
ツチ
フツ
ムランビ虐殺記念館
ニャルブイェ大虐殺
ハビャリマナとンタリャミラ両大統領暗殺事件

このジェノサイドを人間として忘れてはいけないでしょう。何もできなかったことを。何もしなかったことを。そして同じことを繰り返してはいけません。Kigaliに到着して最初に出会った青年は片足でロードバイクに乗っていました。

Kigali市内にあるジェノサイドミュージアム。


Nyange(ニャンゲ)の教会跡。


このジェノサイドによってルワンダは壊れかけました。でも、現在では「アフリカの奇跡」とも呼ばれる力強い経済成長を遂げています。実際にKigali中心街の高層ビルはできて間もないものばかりで、好調な経済成長を反映しているようでした。建設中の現場もちらほらとみかけます。ルワンダ政府は「ヴィジョン2020」という長期目標を掲げています。ルワンダ政府の明確な方針によって数々の政策が実行されていました。

ルワンダ政府は環境対策に力を入れています。毎月最終土曜日の「ウムガンダ」と呼ばれるこの日は、全国民が清掃活動に従事しないといけません。商店も閉まってしまい、車も走っていません。日本では考えられませんが、こうして意識を高めていくのも必要でしょう。たいていのアフリカの国はそこら中にごみが捨てられ街は汚れていますから。汚れてしまうからこそ、ルワンダではビニール袋が禁止されています。ビニールはどうやっても自然に帰りません。街のはずれに溜まるビニールはアフリカでは見慣れた光景でした。こうしたやり方によって、ルワンダの街なみは綺麗に保たれています。

ひっそりと静まり返った「ウムガンダ」の朝。


ビニールが禁止されているので、包装は紙袋。


整備にもルワンダ政府は力を入れています。電気、水道というインフラ整備は、都市部はもちろん、地方まで行き届いていました。今までのアフリカの経験上、そういったインフラを期待するのは難しいキブ湖畔の集落の宿でさえ、電気と水道があって驚きました。道路の舗装も進んでいて、未舗装であるkibuye(キブエ)とCyanguguの間でも工事が始まっていました。近年ではIT立国を目指した光ファイバー網の構築も進んでいます。またバス停と市場も新しく整備された場所が多かったです。人が集まって雑然としてしまうからこそ、ここを綺麗にするのは大切なことでしょう。このバスもワゴン車から大型車への変更が基本方針で、アフリカにしては珍しく綺麗な大型バスをよく見かけました。

新しい市場。


舗装工事中。


「バイクにヘルメット」というのは日本の感覚だと当たり前ですが、途上国ではそうでもなく、ノーヘルのまま2ケツ、いや3ケツくらいで走っていることも珍しくありません。しかし、ルワンダのバイクタクシーはノーヘル厳禁です。


輸出のための国営製茶工場には、明治初期の日本で生糸を輸出するために設けられた富岡製糸場が重なりました。殖産興業です。この茶畑は全土で見かけました。Kigaliのスーパーマーケットではこのルワンダ産のお茶を買うことができます。お土産にいかがでしょうか。

茶畑


茶畑の丘


製茶工場の看板。


販売されているルワンダのお茶。


ルワンダは旧フランス植民地という関係でフランス語が使われていました。ですが近年、英語に切り替わっていってます。学校の教育も英語で教えるようになりました。ルワンダの英語化はこの地域の経済協力体であるEAC(東アフリカ共同体)との結びつきを深めるのが理由でしょう。EAC(東アフリカ共同体)の主要国であるケニア、タンザニア、ウガンダは英語圏に属しています。それと同時にフランスの影響力を避ける見方もできます。韓国では漢字からハングル、ウズベキスタンではロシア文字からラテン文字と、大国の影響を避ける為に言語政策を変える事例はありますから。

このようにはルワンダでは政府によって新しい国づくりが力強く行われています。最近では急激な人口増に歯止めをかけるため、男性にパイプカットを呼びかけるキャンペーンのニュースが流れました。アフリカでこれほどにまで生まれ変わろうとしている国を、私は知りません。途中で出会った青年は「この国はまだまだだが、確実に一つずつ進んでいる」と話してくれました。こうしたルワンダのこれからには期待せずにいられません。この成功がうまくいけば、他のアフリカ諸国でも同じことが可能ですので。アフリカの貧しさからの脱却、その先頭をルワンダは走っています。

(文・写真:周藤卓也@チャリダーマン
自転車世界一周取材中 http://shuutak.com
)

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