取材

中国遼寧省の丹東は中国人が北朝鮮を見る不思議な観光地


こんにちは、自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンです。以前、日本から旅を再開するとき、日本から韓国、韓国から中国へと船で移動しました。中国では丹東という北朝鮮との国境の街に到着します。朝鮮戦争で破壊されて観光スポットとなっている橋から、中国人が北朝鮮を眺めています。丹東は中国と朝鮮、資本主義と社会主義が混在する不思議な所でした。今回はその丹東観光の魅力をまとめてみました。ここには美味しい朝鮮冷麺もありますよ。

北朝鮮と国境を接する中国・丹東の場所はここです。

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韓国の首都ソウル近郊の仁川からフェリーに乗り込みました。この仁川からは大連、煙台、秦皇島、営口、威海、青島、天津と中国の各都市への定期航路が出ています。自分の目指した丹東もその一つでした。


ふと扉を見ると「係員以外は手をふれないで下さい」という日本語の表示が。昔は日本の船だったみたいです。


雑魚寝のできる船室。韓国の仁川を夕方に出て、中国の丹東には翌朝に着くことになるので、ここで一晩を明かすことになります。


このフェリーですが、乗り込んだときに謎の空き部屋がありました。「なんだろうな」と首をかしげていましたが、夜になると正体が判明。ジャラジャラ、ジャラジャラと牌を混ぜる音が聞こえてきので、見に行ってみると麻雀をやっていました。その光景をみて「あぁ、中国に戻るんだ」と実感しました。前に中国を走ったときに、いたるところで卓を囲んでいる姿を見かけましたが、お店の軒先で熱中している姿はどっちが本職か分りません。こうして中国人は駆け引きという物を学んでいくのでしょうね。

港湾のクレーンはみんなバンザイしていて、来訪を歓迎してくれているみたいでした。


これが丹東港のフェリーターミナル。でも実はここは丹東であって丹東ではなく、丹東市(日本でいう県)の中の東港市なのです。ここから丹東の市区中心まで約20kmを走らないといけませんでした。


丹東には10日間近く滞在しました。韓国と違って中国は物価も安いのでのんびりできます。

丹東には大きな河が流れています。


その河べりの空ではたくさんの凧が泳いでいました。


地元のチャリダーにも会ったりしました。


丹東市街の繁華街。


歩行者天国にあるバンドのモニュメント。


「鯖江眼鏡」。福井県鯖江市は眼鏡のフレーム生産で有名で、このお店は鯖江市内にあるメーカーの製品を取り扱っていることから、この名前をつけたようです。タレコミありがとうございました。


女性服のお店。


世界三大スーパーマーケットの一角イギリスのテスコが進出していました。


adidasもありますよ。


そしてファーストフードのKFCも店舗を構えています。


「駅前の毛沢東の銅像の前で」と地元の人が待ち合わせしていたのが印象的です。


こちらが駅前の広場です。


この丹東は北朝鮮と国境を接しています。国境は鴨緑江によって隔てられています。。


鴨緑江には二つの橋があります。


ただ、片方の橋は朝鮮戦争の際に国連軍に爆撃され不通となり、補修されることなく現在に至っています。代わりに歴史的遺産として、また北朝鮮を眺める場所として観光地になっていました。

鴨緑江断橋。この石碑に日本の朝鮮総督府が建設したと書かれています。ここ丹東は日本とも関係の深い場所なのです。


この橋の中央部はかつては船舶を通すために開閉ができたようです。


開閉のための駆動部。


これは爆撃の際に破片が刺さった跡でしょうか。


こちらには爆撃で使われた爆弾の模型が展示されています。


この橋は本当に途中までしかなく、北朝鮮側には橋げたしか残っていません。北朝鮮側には観覧車が見え、笑い声が聞こえてきました。しかし、その声は本物でしょうか?中国人の観光客もここまで歩いてきて、北朝鮮を眺めていました。同じ社会主義国家として生まれながら、計画経済を放棄し豊かになった中国の人たちは、変わらぬ北朝鮮を見て何を思うのでしょうか?


そして、こちらの橋が中国と北朝鮮を結んでいます。中国側は丹東、北朝鮮側は新義州となります。この橋は中朝友誼橋と呼ばれているそうです。


北朝鮮から中国へ列車が入り、コンテナを残して北朝鮮へ戻っていきました。


中国から北朝鮮へはおそらく観光用のバスが入っていきます。


ここ丹東は中朝貿易の7割を担う最大の拠点となっていています。この中朝友誼橋は中朝貿易の大動脈です。それだけではなく、北朝鮮の金正日総書記も列車に乗ってこの橋を渡り訪中します。平壌から北京まで線路は繋がっているのです。

中国側から川を隔てて北朝鮮が見えます。北朝鮮側の川べりは発展している様子はなく、数本の煙突をのばした工場があるだけ。


ちょっと離れたところを見ても、まったく同じような味のない無機質な光景が続きます。


遠くには素朴な山野が広がっています。


一方の中国側をふり返ると、このように賑わっています。


左側が北朝鮮で、右側が中国。同じ社会主義国家として生まれた二つの国が、ここまで対照的な変化を遂げるとは、誰も思っていなかったでしょう。


実は、ここより更に北朝鮮を近く感じる場所がありました。フェリーが着いたターミナルから丹東市区まで道路脇にあった有刺鉄線の向こうは北朝鮮でした。中国と北朝鮮の国境になっている鴨緑江の河川にはいくつかの中洲があります。その中州の所有は中朝まちまちで、そこが北朝鮮領だったりすると、手を伸ばせば届く距離に北朝鮮がありました。

有刺鉄線の向こうは北朝鮮。


ここには普通に生活している人の姿がありました。それは当たり前と言えば当たり前ですが、日本では悪いイメージしか入ってきません。その中で北朝鮮で生きている人がいるという目に見える事実はとても新鮮に感じました


このように北朝鮮に近いからこそ、丹東には朝鮮の空気があります。実際に朝鮮系中国人として住んでいる人もいます。丹東にとって朝鮮は身近なものでした。

鴨緑江の河べりでは「チマチョゴリを着て写真はいかが」と観光客を相手に商売をしていました。


漢字とハングルで書かれたスーパーマーケットの看板。


こちらにもハングル表記があります。


食堂では朝鮮料理も食べられますよ。朝鮮冷麺はさっぱりしていて美味しかったです。


こちらはビビンバ。


朝鮮おみやげも手に入れちゃいました。


滞在中には時間を見つけて、市内の高台にある朝鮮戦争に関連した抗美援朝記念館へも出かけました。「抗」は抵抗や反抗、「美」は美国、つまりアメリカを指します。「援」は支援や援助で、「朝」は北朝鮮のことです。この記念館は社会主義陣営として参戦した中国側の視点で朝鮮戦争が描かれていました。


戦争で使われた軍用車両。


たくさんの写真が展示されていました。


こちらも展示の様子。


戦場のジオラマまで飾られていました。


中国が好む紅でいっぱいの北朝鮮からの友好旗。


この展示の中で度々出てくる「Volunteer」という単語に違和感を感じて仕方ありませんでした。意味は志願兵ですが、そんなわけはありません。中国共産党政府が指揮をとって介入した戦争ですから。命を落とした兵士から「志願して死んだんじゃない」と聞こえてくるようで胸が痛みました。

屋外には子どもたちが遊べる軍事色いっぱいのアスレチック遊具が置いてあります。


これは軍隊の訓練のための道具でしょうか。


こちらも遊具というより、訓練器具といった感じでした。


そして、たくさんの軍事兵器が青空の下に並べられていました。こんなに大規模な物はみたことありません。


機関銃や野砲が展示されています。


大きく網を広げたレーダー車。


戦闘機も置いてありました。


戦車まであります。


戦車は中に入って……


実際に砲撃することすらできそうです。


当然のことながら、男の子はキャッキャとはしゃいで喜んでいました。日本だと同じことはできないでしょうが、中国国内では特に問題ないようです。

こんな社会主義の色が残る場所から、丹東市街を一望することができます。現代中国の勢いを確認するには十分の場所でした。これは大通りを挟んで広がるビル群。


鴨緑江へ一直線に伸びる道路。遠くには北朝鮮もみえます。


住宅団地に高層マンション。


いったいどれだけの人が住んでいるというのでしょうか。


古い建物は壊されて……


新しい建物が作られていきます。


これだけの市街が広がっていながら、ここは中国の一つの都市に過ぎません。丹東は中国都市の人口規模では上から数えて70番台です。将来的には100ヶ所の100万都市を抱えるといわれている中国。このような中国経済の発展の様子は恐ろしくすらありました。

このように、丹東は中国も朝鮮も資本主義も社会主義も混在する不思議な所でした。外資のスーパーマーケットで買物をして、ファーストフードで食事をする中国が北朝鮮のすぐ傍にあるのですよ。中国も北朝鮮も同じような社会主義を歩んでいたというのに。丹東はいろいろな意味で刺激的なことは間違いありません。中国に行く機会があれば訪ねてみるのはいかがでしょうか?

(文・写真:周藤卓也@チャリダーマン
自転車世界一周取材中 http://shuutak.com
)

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in 取材, Posted by logc_nt

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