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人類の歴史をわずか1時間に詰め込むとこうなる


さまざまな科学の話題をアニメーションで解説するKurzgesagtが、20万年にわたる人類の歴史をおよそ1時間で説明するムービーを公開しています。

All Of Human History In One Hour - YouTube


Kurzgesagtはホモ・サピエンスが誕生したといわれる約20万年前からムービーをスタートしています。最初の舞台はアフリカ大陸、特に東部・モロッコ・南アフリカです。


私たちの祖先はこの時点ですでに優れた狩人であり、槍と火を操り、獣皮の下に身を寄せ合い、喜びと死を分かち合うコミュニティで暮らしていました。地図も靴もなく、私たちは定期的に長距離を移動し、黒曜石を何百キロメートルも運んで切削道具に加工していました。また、ネアンデルタール人などの旧人類の亜種とも共存していたと考えられています。


15万8000年前、南アフリカ。すでに海産資源を利用するようになっており、魚や貝を食べた痕跡が見つかっています。


15万1900年前には東アフリカの森で生息していた痕跡が見つかっています。人類の祖先は狩猟採集の生活を送っていましたが、依然として自然界のヒエラルキーの中では被捕食者の層にいました。


12万6200年前、北アフリカ。人類は地中海に到達し、クレタ島に住んでいた痕跡がありますが、どうやってアフリカ大陸からクレタ島に渡ったのかはわかっていません。


サウジアラビアの古代湖の岸辺で、12万年前の多くの動物の足跡の中に人間の足跡が見つかっています。当時、アラビア半島全体が緑の草と湿地に覆われており、狩猟採集民の祖先にとって理想的な環境でした。また、この時期、紐を通して装飾品やジュエリーとして使うために穴を開けられた貝殻も見つかっています。


10万2100年前、紅海。ホモ・サピエンスは大移動を繰り返しながら、少しずつ勢力を伸ばしていきますが、地球の気候が再び変化。アフリカからの人類の拡大を細い流れから大きな波へと加速させました。なお、海面が現在よりはるかに低かったため、大陸間をつなぐ陸橋が存在したといわれています。


最古のホモ・サピエンスの埋葬地は約10万年前のもので、骨格と多数の副葬品が含まれていました。


さらにホモ・サピエンスは森を焼き払い、植生を一掃して狩猟や採集を容易にすることを覚えています。


約7万年から7万5000年前、インドネシアのスマトラ島にあるトバ火山の大噴火が気候を劇的に変化させ、人類の人口を1万人未満に縮小させる遺伝的ボトルネックを引き起こしたといわれています。生き残ったのは、食料をあさり、信頼できる避難所を見つける方法を知っており、被害の少ない地域に住む運を持っていた人々でした。


気候が悪化したことで、人類は洞窟に住むようになり、これにより石の彫刻や壁画といった文化的発展をみせます。また、人類は6万1000年前に弓矢を開発し、狩猟をさらに効率的にしました。より良い技術により、かつては人類拡大の障壁となっていた障害を克服できるようになります。大型動物の広範な絶滅は人間の狩猟のせいだといわれており、陸上の哺乳類はより小さく、より希少になるか、あるいは絶滅しました。


そして5万年以上前、人類はニューギニアに到着し、木の実やヤムイモの採集を容易にするために石斧を使って森林を伐採した証拠があります。


この頃から、ホモ・サピエンスは単に外見が人間に似ているだけの解剖学的現代人から、思考や行動が似ている行動的現代人に移行します。その証拠として、石器時代の技術の急速な拡大や、より優れた洞窟壁画を残すような複雑な行動が示されています。


史上初の像は4万年前のもので、ドイツの洞窟で見つかったライオンの頭を持つ人物像「ライオンマン」です。また、最古の楽器は、同じくドイツの洞窟で発見されたホーレ・フェルスのフルートです。ハゲワシの翼の骨から作られた5つの穴のあるこの笛は最大4万年前のものだといわれています。


人間が進歩するにつれて、ネアンデルタール人は衰退し、約3万5000年前に化石記録から姿を消しました。また、陥没骨折のある頭蓋骨が見つかり、3万3000年前に誰かが撲殺されたことを示唆しています。狩猟の技術も進化し、この頃から犬の家畜化が始まったとされています。


被服の歴史ははっきりしていませんが、その起源は過酷な気候とシラミから体を守るためだったといわれています。約3万年前には亜麻の繊維で服が作られていたとのこと。2万5700年前にはニュージーランドで大規模な噴火がありましたが、人類はこの危機を乗り越えることができました。


2万年前の最終氷期最盛期により海面が120メートル低下し、地球の陸地の25%が氷に覆われました。しかし、それによって人類はかつてないほど遠くへ移動することも可能になりました。アメリカ大陸への進出もその一つで、人類は現在のベーリング海峡を歩いて渡ったと考えられています。


そして1万2000年前、現在のトルコに住む人類はギョベクリ・テペという巨大な建造物を築きました。その協力レベルは新たな文明の到来を告げるものでした。孤立した一団として世界をさまよう代わりに、人類は力を合わせ、学びや信仰、資源を共有するより大きな集団として定住しました。


約5000年前には言語を言葉として書き留めるようになります。人類は石に法を刻み、何世紀にもわたって知識を蓄え、軍隊を築き上げて国家を運営するようになりました。


古代から文明が興り、拡大し、そして侵略されましたが、その代わりに革新や壮大な芸術作品、哲学を残しました。後の世代はそれらの上にさらなる文明を築き上げ、さらなる高みへと到達することができました。


Kurzgesagtは「私たちの現代世界は、何千年もの努力の集大成に過ぎません。世代から世代へと祖先の作品の上に積み重ねられ、より高い場所へと到達してきました。世界中の文化がそれぞれの方法で生活を向上させようと努めました。今日、すべてが非常に速く動き、変化しています。私たちがどうやってここまで来たのかを忘れないようにしましょう」と語りました。

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in 動画,   サイエンス, Posted by log1i_yk

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