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FPSの金字塔「DOOM」の生みの親であるジョン・ロメロ氏が「1990年代におけるインディーゲームの開発はどうだったのか」を語る


id Softwareが開発したFPSゲーム「DOOM」はFPSというジャンルに大きな影響を与えたゲームであり、発売から20年が経過してもなお人々に親しまれています。DOOMのような独立系企業によるゲームをリリースするということが当時どのように考えられていたのかについて、id Softwareをリードしたゲームデザイナーのジョン・ロメロ氏にインタビューが行われました。

John Romero on his book Doom Guy and developing games at a small scale – How To Market A Game
https://howtomarketagame.com/2023/09/25/john-romero-on-his-book-doom-guy-and-developing-games-at-a-small-scale/

1990年代初頭、ロメロ氏はソフトウェア企業のSoftdiskでフルタイムで働いていました。Softdiskは「ゲーマーズ・エッジ」と呼ばれるPCゲームが詰まったフロッピーディスクを毎月発送する月額制のサブスクリプションサービスを提供していた企業として知られています。

ロメロ氏のチームはPCのゲームをファミリーコンピュータのようにスムーズに横スクロールさせる技術を革新し、この新技術を利用したゲームをリリースするためにid Softwareを設立。id Softwareで作ったゲームはApogeeからパブリッシングされました。ロメロ氏がSoftdiskを辞めたとき、SoftdiskのCEOは失った才能の大きさに気づき、id Softwareと交渉して、id SoftwareがSoftdiskのために1991年にさらに6本のゲームを作ることになったというエピソードも伝えられています。ロメロ氏のチームは、1990年と1991年に合計27本のゲームをリリースしました。


インタビュワーのクリス・ズコウスキー氏(以下、ズコウスキー):
なぜ1990年と1991年にこれほど多くのゲームを作ったのですか?

ジョン・ロメロ氏(以下、ロメロ):
ゲーマーズ・エッジのために働いていた頃は、2ヶ月に1本のゲームを出荷しなければなりませんでした。1年でたった6本です。でも、私たちは「コマンダー・キーン(ゲーム)」シリーズをもっと作りたいとも思っていました。そのため、私もジョン・カーマックも業務時間以外のほぼすべてをゲームの開発に費やし、1991年だけで13本のゲームを作りました。本当に多忙でした。

ズコウスキー:
どうしてそんなに早くできたのですか?

ロメロ:
私たち4人のチームは10年間毎日一緒にゲームを作っていたからです。特に小さなゲームを作る経験は豊富で、どれくらいのレベル(面)を設計すればいいかもわかっていました。

ズコウスキー:
どのようにレベルを決めたのですか?

ロメロ:
私たちの最初のゲーム「Slordax」では、どれだけのレベルを作れるか、そしてそのレベルを作るのにどれだけの時間がかかるかが決まりました。当時はテクスチャやキャラクター、効果音など、色んなものを作るのにどれくらいの時間がかかるかわかりませんでした。レベルを作り、そのためのエディターを書かなければなりません。どれだけ多くのレベルを作れるかを見て、まず私たちの力量を見定めたのです。

2作目の「Shadow Knights」は横スクロールの忍者ゲームで、1作目とはまったく違うゲームでした。これも2ヶ月後の完成を目指して作り始め、どれだけのレベルを作れるのかが把握できました。ここで、自分たちがスピードアップしていることがわかりました。


2作目と並行してコマンダー・キーンの制作も進めていて、3カ月で全ゲーム合わせて48レベルを完成させるという目標を立てました。

ズコウスキー:
それほど速く制作するためにはアイデアを小さくまとめる必要があったはずです。どうやったのですか?

ロメロ:
以前に「Might and Magic II: Gates to Another World」などの大規模なゲームを作ったことがありました。作るのは本当に楽しかったんですが、一人で作るには大きすぎました。この経験を生かし、自分たちの持ち時間を超える範囲でゲームを作らないようにしたんです。

制約があることも、その制約が有限であることもわかっていました。だから、大きなゲームを作れないからといって泣き言を言ったり、文句を言ったりすることはありませんでした。こうした姿勢を保つことで、Softdiskへの貢献義務を終えて、純度100%のメイド・イン・id Softwareを作れるようになったんです。


ズコウスキー:
当時はすべてのゲームが小規模だったのでは?

ロメロ:
80年代には大規模なゲームがありました。たとえば「ウルティマV」について言えば、数年がかりで10人くらいのチームが取り組んでいたはずです。アセンブリ言語でプログラミングし、大量のデータを可能な限り圧縮して、おそらくディスク10面分に収まるようにしていたと思います。これらのプロジェクトは大規模でした。彼らのチームには、すべてのタスクを処理するプロデューサーがいたのではないでしょうか。


ズコウスキー:
コマンダー・キーンの続編は短期間にたくさん出ました。お互いに共食いする心配はなかったのですか?

ロメロ:
いいえ。人々はもっともっと多くを望んでいましたから。

ズコウスキー:
皆さんは「Hovertank」というゲームで初の滑らかな3Dスクロールゲームをリリースしましたが、id Softwareではなくゲーマーズ・エッジからリリースしましたよね?なぜこのような革命的な手札を他社で公開したのでしょうか?

ロメロ:
私たちは基本的に、実験と研究開発、そして3Dエンジンを作ることで報酬を得ていました。私たちがHovertankを作り、ゲーマーズ・エッジに売り込んだ結果、その6ヵ月後に「Catacomb 3D」で初めてテクスチャ・マッピングを行うというチャンスを得ることができました。3Dゲームの制作は、ゲーマーズ・エッジの資金を使って挑戦する実験だったんです。


その後に発売した「Wolfenstein 3D」では完全に独り立ちしていました。3Dゲームは2本も作ったことがありましたし、やり方もわかっていましたからね。コマンダー・キーンシリーズからお金が入っていたので資金の心配もありませんでした。

ズコウスキー:
コマンダー・キーンから離れてWolfensteinとDOOMを作る準備ができたのはいつですか?

ロメロ:
3Dこそがこれからの時代だと思っていて、コマンダー・キーンに費やした時間は無駄だったとさえ思いました。この2Dでは無理で、2Dから脱却する必要がある。こう考えて、私は夜中の1時にふと言ったんです。「せっかくクールな技術があるのに、使っていないじゃないか」とね。そうしたら、みんなすぐに「そうだ。君は正しい」と答えてくれました。このエピソードこそが、Wolfenstein誕生のきっかけと言っても過言ではありません。

時間の制約がないゲームを作るのはWolfensteinが初めてだったので、本当にいいゲームを作ろう、自分たちが必要だと思うものを全部詰め込もうと考えたのです。その結果、シェアウェア版を出すのに4ヶ月かかりました。マップとボスの5つのエピソードを完成させるのに1ヵ月半を費やして、ヒント集やその他もろもろも含めて合計で5ヵ月半かかったことになります。けれど、すごくいい感じだったんですよ。時間に縛られることもなかったし。本当に素晴らしいゲームを作ることができたと思っています。


ズコウスキー:
id Softwareの誕生初期、あなたはそれなりに稼いでいたと思いますが、それでも大手スタジオほどではなかったはずです。そのことについてどう思いますか?1990年代に大手スタジオがどれくらいのお金を稼いでいたかご存知ですか?

ロメロ:
私がOrigin Systemsで働いていたとき、会社のミーティングで売上について聞いたことがあります。1987年には300万ドル(2023年の価値換算で約760万ドル=約1億1300万円)の利益が出ていました。

私は、ルーカスアーツやOrigin Systemsのようなクオリティーを持ちながら、自分たちが適切だと思う規模のゲームを作りたかった。壮大な物語を作りたいわけではないんです。ただ、本当に楽しい体験をしたかっただけなんです。

ズコウスキー:
当時、Softdiskはあなたが開発したゲーム1本につき5000ドル(2023年の価値換算で1万1405ドル=約170万円)しか支払っていませんでした。Origin Systemsの収入と比べると少ないと感じましたか?

ロメロ:
いえいえ、十分な額でむしろ驚きました。当時は家賃が本当に安かったので問題ありませんでした。月数百ドルでした。私たちの目標は、会社として、チームとして生き残ることでした。最初の小切手をもらって、会社を立ち上げ、フルタイムで働くことを思いついたとき、たった4人だったんです。私たちが最初に考えたのは、「会社にできるだけ多くのお金を残す必要がある」ということでした。その時点では、家賃や請求書など、毎月生活するために必要なお金の状況は一人ひとり違っていました。車のローンを抱えていた人もいたかもしれません。

その後、私たちは月に5万ドルを稼ぐようになり、少しずつ昇給もしましたが、できる限り銀行に預けておきました。ゲームが売れなかったり、不況に見舞われたり、ゲーム制作に時間がかかりすぎたりしたとしても、ゲームを最後まで完成させて世に送り出す必要があったからです。だから、できる限り保守的にならざるを得ませんでした。そう、私たちは何も買いませんでしたよ。ただ働いていただけです。


ズコウスキー:
現在では、最初の1カ月の売上がゲームの収益に大きく影響します。1990年代、新しく発売されたゲームの収益曲線はどのようなものでしたか?

ロメロ:
ゲームに触れる人の数が限られていましたから、非常に長く安定して売れ続けていました。ゲームに触れる人の数が限られていましたから。初期は高い売上が続き、最低でも半年くらいはピークが続いて、その後は下降していきました。当時は収入を積み重ねることが重要でした。複数のゲームから同時に収入を得る必要があったんです。

ズコウスキー:
WolfensteinとDOOMが大ヒットした後はどうやってお金を稼いでいたんですか?

ロメロ:
DOOMの後はちょうど「Final DOOM」に取りかかった頃ですね。「Heretic」や「Hexen」も開発しました。(拡張パックの)「Master Levels for DOOM 2」もやりましたし、DOOMを「Ultimate DOOM」にアップグレードして小売りに出したりもしました。とにかくたくさんのゲームがありました。私がid Softwareに在籍していた6年間で、35本くらいのゲームをパブリッシュしていたと思います。

ズコウスキー:
もし20歳のジョン・ロメロを2023年に連れてきたとして、現在のツールやゲーム環境で、1990年代の生産性を再現できると思いますか?

ロメロ:
そう思います。itch.ioやインディーズが集まる場所に行けば、インディーゲームの幅広いアートスタイルやゲームを楽しむことができますから。

ホラーゲームはインディーズで大人気ですし、1995年のPlayStationのようなグラフィックの美学もあります。こうしたクオリティのグラフィックを作るのは、リアルを追求するUnreal Engineよりも短時間で済みます。エンジンが完成しているのですから、ゲームプレイの部分にできるだけ多くの時間を費やすことができるのです。この美学は結構大事です。

ズコウスキー:
もし私がゲーム開発を行うとして、理想のゲームがファイナルファンタジーだと言い出したらあなたはどう思いますか?

by CLF

ロメロ:
やれる範囲を徹底的に絞る必要がありますね。規模に見当を付けるのは、開発初期の段階で可能な最重要事項ともいえます。ホラーというジャンルに絞ると、ここ数年で最も人々の印象に残ったホラーゲームはなんでしょうか?私は「P.T.」だと思います。あの廊下です。みんな忘れないでしょう?このゲームは、人々の心に残るために必要なコンテンツの量について完璧に物語っていて、重要なのはデザインで、規模ではないこと、巨大な冒険でもないこと、あなたが選んだジャンルで、誰も見たことのない真新しいことをすること、それが本当にユニークなことなのだと教えてくれています。

ゲームに多くの時間を費やすというのなら、デザインに費やすことですね。自分がやっていることをよく考えて、そのジャンルの枠を押し広げるような新しいものを考えるべきです。

ズコウスキー:
2年、3年、あるいは4年、開発地獄から抜け出せないとしたら?

ロメロ:
終わりが見えない場合や、どこに行き着くのかわからない場合、でももっとワクワクするような別のアイデアがある場合、本当に難しいアドバイスですが、たとえどれだけの時間を費やしたとしても、自分が一番やりたいと思うことをやってほしいと思います。

より短いスパンで、より実行可能なものを作ろうとしてください。たとえその成功がささやかなものだったとしても、あなたは何かを学んだことになります。次にもう少し大きな別のことをやってみましょう。続編でもいいですし、外伝でもいいですし、自分の好きなタイプのゲームであればいつも小さく始めて、面白いものをリリースし、そこから上を目指していけばいいんです。

ただ、ズレが大きければ大きいほど、コースから外れることになります。何年も先の進路を考えてみてください。1度ズレていたら、何年後かにはどうなっているでしょうか?ズレは時間とともに拡大しますので、最初の段階でしっかり適切な決断を下し、できるだけ早く修正する必要があります。何かおかしいと思ったら、できるだけ早く損切りをしてください。時間には限りがあります。試合数は限られているのです。

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in ゲーム, Posted by log1p_kr

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