乗り物

高度1万5000フィートからパラシュートなしで落下して生還したジェットパイロットの証言

by Photos By Clark

Ron Knottの著書「Supersonic Cowboys」に収録された、飛行機事故で1万5000フィート(約4572メートル)の高さから空中に投げ出されながらも生還し、その後飛行士へと復帰したジェット戦闘機パイロットの手記が公開されています。

Jud! You are on fire
https://uss-la-ca135.org/60/1960Judkins-Knott.html

1963年6月、「クルセイダー」の愛称で呼ばれるジェット戦闘機・F-8のパイロットだったクリフ・ジャドキンス氏は、アメリカから転属先である日本に向かう空の旅の途中に、太平洋の上空2万フィート(約6092メートル)の高さで空中給油を受けていました。

F-8はカリフォルニアからハワイまで飛ぶ燃料を搭載できなかったので、「Trans-Pac(太平洋横断の意)」をするパイロットにとって空中給油は日常的な作業だったとのこと。


この日の空中給油も順調だったジャドキンス氏は、リラックスしながら「あと何時間かしたらハワイのオアフ島でみんなと食事をしてるんだろうな。そして、少し休んでからミッドウェイ、ウェーク島と経由して日本の厚木基地まで6000マイル(約9656km)の旅を続けるんだ」と考えていました。

しかし、燃料タンクがほぼ満タンになったころ突然機体が爆発し炎上してしまいます。エンジンが停止し、パイロットの間で「パニックランプ」と呼ばれる火災警告灯が点滅する中、ジャドキンス氏のイヤホンに「ジャド(ジャドキンス氏のこと)、お前の機が燃えているぞ。そこから逃げろ!」と大音量で無線が届きました。


機体を立て直そうと手を尽くしましたがエンジンは再起動せず、やむなく機体を放棄することを決めたジャドキンス氏は、マイクのボタンを押して「脱出する」と告げてから操縦かんから手を放し、射出座席を操作して衝撃に備えました。

しかし、何も起きません。一次射出も二次射出も失敗し脱出できなかったジャドキンス氏は、燃え上がる機体の中に閉じ込められてしまいました。そのさなかにも、ジャドキンス氏の耳元には機体を捨てるよう指示するメッセージが途切れなく聞こえてきます。

パニックになりかけながらも解決策を見つけようと必死に考えをまとめたジャドキンス氏は、ついにコックピットから自力で脱出することにしました。しかし、高速で飛行するジェット機から自力での脱出に成功した前例は当時ありませんでした。なぜなら、射出座席を使わずにパイロットが操縦席から出た瞬間、巨大な尾翼が体に直撃して真っ二つになってしまうからです。


まずキャノピーを押し上げたジャドキンス氏は、機首を高くしてから尾翼を少し右に振って機体を横滑りさせ、なるべく脱出後に尾翼に当たらないようにしました。そして、両腕で顔をかばいながら立ち上がると、ジャドキンス氏の体は勢いよく機外に吸い出されました。

尾翼に真っ二つにされないかとヒヤヒヤしながらも無事を確認したジャドキンス氏は、体が減速するのを待ってからパラシュートのレバーを引っ張ります。しかし、パラシュート開傘の衝撃に備えたジャドキンス氏の目に、さらなる悲惨な光景が飛び込みました。

なんと、開いたのは姿勢安定用の小型パラシュートだけで、メインパラシュートはきれいに折りたたまれたまま空中をたなびいていました。ジャドキンス氏はパラシュートにつながるロープをたぐり寄せて必死に開こうとしましたが、パラシュートは固くすぼまったまま開きませんでした。

眼下を見ると、まるで海に石を投げ込んだような白い輪ができていました。そして中心から白い泡が立っているのを見たジャドキンス氏は、それが愛機が墜落して沈んだ場所だということに気づき、「次は自分の番か」と思いました。

そうしている間にもジャドキンス氏の体は薄い雲の層を突き抜けて落下し、ジャドキンス氏と海との間にあるのは晴れた空だけになりました。「これが生きている間に見る最後の光景かもしれない」と思ったのが、落下前にジャドキンス氏が覚えていた最後の記憶です。


そして、ジャドキンス氏の次の記憶は海の中で聞いた耳が痛くなるような「シューシュー」という音でした。後で気づいたことですが、この音は救命胴衣にガスが充満して膨らんだ時の音だったとのこと。あまりにも一瞬だったため海面に衝突した時の記憶はありませんが、とにかくジャドキンス氏は落下を生き延びました。

衝撃でサバイバルパックを失い、両足を骨折して動かせない事態の中でなんとかパラシュートを体から切り離したジャドキンス氏は、2時間海を漂ってからようやく掃海艇に救助されました。医療チームの会話から聞こえたジャドキンス氏の容態は、「左足首5カ所骨折」「右足首3カ所骨折」「左足の腱(けん)が切断されている」「右の骨盤を骨折」「第7椎骨骨折」「左肺が部分的につぶれている」だったとのことです。また、顔も体も傷だらけで、海水を大量に飲んだからか腸も腎臓も動いていませんでした。

その晩は医師が15分おきに血圧を測るので眠れず、翌朝病院船に引き渡されて本格的な検査を受けた時、ジャドキンス氏はようやく助かったという実感と疲労、そしてすべての人と神への感謝で涙を流したそうです。


実は、ジャドキンス氏の事故の前日にもF-8で事故が発生していましたが、こうしたF-8の事故の原因は給油システムの自動停止装置の故障だと推測されているとのこと。F-8の燃料タンクは強化ゴムでできていますが、停止装置の故障で燃料が過剰に供給された結果風船のようにふくらみ、これが火災の原因になっていました。ただし、ジャドキンス氏の愛機は海の底に沈んだので、射出座席が作動しなかった理由は永遠に不明です。また、パラシュートが開かなかった理由も分かっていません。

さらに、ジャドキンス氏は以前、大けがをして脾臓(ひぞう)を摘出したことがありますが、これが生死を分けていたことも後から知りました。なぜなら、もしジャドキンス氏の体内にまだ脾臓があった場合、落下時の衝撃で破裂して出血多量で死んでいたのは間違いないからです。

F-8の事故、射出座席の不具合、パラシュートの故障と立て続けに不運に見舞われながらも奇跡的に生還したことについて、ジャドキンス氏は「私をラッキーだと思う人もいるかもしれませんが、そのような言葉では言い表せないほど、私の気持ちは複雑です。1万5000フィートからの落下でパラシュートが開かずに生き残るのは、確かに大したものだと思います」と述懐しました。

著者の脚注によると、ジャドキンス氏は事故後6カ月間の治療を経て再びF-8のパイロットに復帰したとのこと。そして、海兵隊から退役した後はデルタ航空のパイロットになり、機長も務めました。

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in 乗り物, Posted by log1l_ks

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