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「万里の長城」は本当に防衛施設として役に立っていたのか?

by Lori Branham

およそ2200年前に中国で作られた城壁で、総延長6500km以上で人類史上最大の建造物とも言われている遺跡が「万里の長城」です。万里の長城は外敵から身を守るための防御施設といわれていますが、実際に万里の長城が防衛に役立っていたのかについて、科学系ニュースサイトのLive Scienceが解説しています。

Did the Great Wall of China work? | Live Science
https://www.livescience.com/did-great-wall-china-work

万里の長城の建設当時、中国北部にあるモンゴル高原には匈奴(きょうど)と呼ばれる遊牧民族が勢力を築いており、古代中国の諸国は常に北部から攻め込まれる可能性に怯えていました。万里の長城は、匈奴からの侵略を防ぐための重要な施設だったわけです。万里の長城の建設が始まったのは紀元前700年頃といわれていますが、本格的に建設が進められたのは紀元前221年。始皇帝が中国史で初めて天下統一を果たし、秦の初代皇帝となった時でした。


万里の長城には、壁そのものが入り組むように設置されている箇所もあります。ペンシルバニア大学歴史学部のアーサー・ウォルドロン教授によれば、15世紀の明王朝の時にモンゴル高原から侵入した敵を壁に向けて追い詰め、逃げ道をなくした上で一掃したという記録が残っているとのこと。この記録は万里の長城を戦術的に運用した例だといえます。また、壁の要所要所には見張り台があり、のろしや火を用いて遠方まで素早く情報を伝達することができたという利点がありました。

しかし、万里の長城は総延長こそ世界最大級ですが、壁が一繋ぎになっていないため、敵の侵攻を物理的に食い止める効果は薄かったとのこと。実際に、17世紀に女真族が中国北部から一気に攻め入って北京を平定し、明王朝滅亡後に清王朝を築きましたが、これは万里の長城が女真族の侵攻を止められなかったことを意味しています。


明王朝の滅亡につながった女真族の侵攻を許したことは、万里の長城の長い歴史で最も大きな失敗だといわれ、中国では19世紀まで「万里の長城は非常に高いコストを支払っただけの愚策である」と、否定的に評価されていたとのこと。また、万里の長城は長い年月をかけて民衆の労働力によって建設されたため、「皇帝の圧政の強力な象徴」となってしまったことも、悪印象を強調する一因となりました。

この評価がひっくり返ったのは20世紀に入ってからのこと。1911年に辛亥革命が勃発して清王朝が滅亡し、1912年にアジア初の共和制国家である中華民国が誕生しました。これまで中国の統一国家を象徴した存在であった「皇帝」が排除されたため、中華民国政府は「さまざまな民族をつなぐ新しい国家」のアイデンティティーを形成するシンボルを探していました。そこで、それまで史上最大の失敗作とまで言われ嫌われていたはずの万里の長城が、今度は「勤勉な中国国民によって建設された世界最大級の建築物であり、多くの人が団結して成し遂げた偉大な功績」と評価されるようになったわけです。

このイメージは、1949年に成立した中華人民共和国の共産主義的イデオロギーにも合致していたため、万里の長城は中国を象徴する建築物として大々的に評価されるようになりました。オーストラリアのニューサウスウェールズ大学で中国史を研究するルイーズ・エドワーズ名誉教授は「万里の長城はちょっとしたPR活動によって、評価が一変しました。現代において万里の長城が受けている評価は、その象徴性によるものです。万里の長城にとって象徴性は非常に重要であり、本当の意味で永続する力なのです」とコメントしました。

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in メモ, Posted by log1i_yk

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